第54話 冥界の巨人
敵の牽制をロレンツォに任せたリタは、腰をクネクネと捩じらせて両手はヒラヒラと空に向かって動かしながら怪しげに踊り始める。
まるで幼児のお遊戯にしか見えないその姿は、何処か微笑ましくも見えたのだが、実のところ彼女は額から大粒の汗が噴き出るほど真剣だった。
そして一頻り踊り終わったかと思うと、ロレンツォとの約束通り30秒まで2秒を残して大声で叫んだ。
「いらっしゃーい!! さもんっ、ヘカトンケイル !!」
幼女特有の少々甲高い可愛らしい声を震わせて、リタが叫ぶ。
するとその頭上にもやもやと何やら雲のようなものが集まり始めたかと思うと、それは次第に何かの形を作り始めた。
もちろんその光景は、周りを取り囲む騎士たちの目にも入っていた。
ロレンツォ一人の放つ
するとリタが作り出した雲がその視界に入ったのだ。
初めは何か火でも着いたのかと彼らは思っていたようだが、次第にその雲が形を取り始めると、その異様な光景に誰もが目を釘付けにしていた。
それは身の丈四メートルはあろうかという巨人だった。
まるで武神のように鍛え抜かれた身体に禍々しい装飾の施された黒色の鎧を纏い、頭全体を覆い隠すようなヘルムのせいでその顔は見えない。
その姿は一見巨大な人間のようにも見えたが、彼の上半身が明らかに普通の存在ではないことを物語っていた。
彼の鍛え抜かれた分厚い胸板の横からは、左右五本ずつ、合計十本もの太い腕が生えていたのだ。
そしてその一本一本の手には様々な得物が握られていた。
それは思わず鈍器かと思うような太い諸刃の剣だったり、凄まじい大きさの戦斧だったり、はたまた五メートルはあろうかと思うような長い槍だったりした。
そんな完全武装の武神のような存在が、ズシリと音を立てて眼前に降り立ったのだ。
そして足元に駆け寄る小さな幼女に、高い位置からその視線を向けていた。
「ヘカトンケイルよ、久しいのぉ。忙しいところを呼び出してすまにゅが、わちがわか
「……」
親しげなリタの言葉に、見上げるような大きさの巨人が無言のまま何やら考え込んでいる。
しかしすぐにそのヘルムに覆われた頭を上下に振ると、リタの質問に肯定の返事を返した。
そんな巨大な存在に、頼もしそうにリタも頷いていた。
その巨人は「ヘカトンケイル」だった。
以前リタが呼び出した「イフリート」と同じく彼も冥界の住人で、その左右に生えた十本の腕で武器を振るう、近接戦闘のスペシャリストだ。
もちろんその四メートルを超える肉体から繰り出される物理攻撃は
それでも物理攻撃全無効の、ある意味チートキャラとも言える「イフリート」に比べればまだマシとも思えるが、いずれにしても半ば彼が神話の世界の住人であることに違いはなかった。
突然目の前に現れた巨人に、親しそうに声をかける幼女。
そのあまりに信じがたい光景に、
聞き間違いでなければ、彼女はこの巨人を「ヘカトンケイル」と呼んでいた。
自分が知っている中でその名を持つ者は、最高クラスの召喚魔法でしか呼び出せない冥界の巨人だけだ。
それも古い文献で少し読んで知っている程度で、その契約方法も呼び出し方もまるでわからない。
自分が魔法の才能を見出されて魔術師への道を歩み始めてから約二十年、未だ召喚魔法には手を出せていない。
それ以前に一人前の魔術師として修めなければならない魔法はまだ半分以上残っているし、やっと憶えた魔法だって全てを使いこなしているとは言い難い。
そもそも召喚魔法に手を出せるのは、その道に特化した「召喚魔術師」か、魔術師の中でも全ての基本魔法を修めた者だけだ。
しかも呼び出す相手とは事前に契約を交わしていなければならないので、いかに実力のある魔術師だったとしても、実際にそれを使いこなすのは中々に難しい。
ハサール王国の養成所で日夜魔法漬けで育ったロレンツォではあったが、実際に召喚魔法をその目で見たのは数えるほどしかなかった。
それも教官が参考として呼び出してくれた、一見ただの犬にしか見えない「クーシー」や小さな火
それでも初めて見た時には、その未知なる存在を呼び出せることを知って目を輝かせたものだったし、いつか自分も使えるようになってみたいと思ったものだった。
しかしそれを使いこなすのは相当難しいことも同時に知った。
それにしても「ヘカトンケイル」とは信じられない。
その道の専門家である「召喚魔術師」であっても、そのレベルの相手を呼び出せるようになるまでには五十年以上かかると言われる。
それをこの小さな幼女が呼び出したのだ、本当に信じられない。
先ほどの無詠唱魔法と言い、召喚魔法と言い、一体この子は何者なのだろう……
「な、な、な、なんだあれは!? ば、ば、化け物か!?」
目の前に突然舞い降りた巨人を目の前にして、ゲプハルト庶務調査官は腰を抜かした。
彼はその場にへたり込むと、まるで信じられないと言った面持ちでその光景を眺めている。
しかしさすがと言うべきか、そんな彼を守るように騎士隊長がその前に立ち塞がった。
「わ、わかりません!! わたしにも何が何だか…… しかし人間でないのは確かです!!」
「あ、あたり前だ!! あんなデカい人間がいてたまるか!! お前は馬鹿なのか!?」
この期に及んでも相手のことを蔑むような口調のゲプハルトであったが、そんな彼でも貴族であることに違いはなく、彼の周りには護衛役が集まってくる。
「ちょ、調査官!! とにかくここは危険です、下がってください!!」
未だその姿を見せただけなのに、周りの者たちは皆一斉に目の前の巨人を警戒している。
それもそうだろう。
突然このタイミングで現れたのだ、どう考えてもアレは罪人たちの味方であるのは間違いないし、あの手に持っている十個の武器が自分達に向けられるのも疑う余地はなかった。
それにしても、その姿は凄まじすぎた。
身の丈四メートルに届くその身体に生える腕は一本一本が大人の胴体ほどもあり、そのそれぞれに巨大な武器が握られている。
しかもその数は左右で十本にもなり、もしもあの身体で襲いかかられたらと想像すると、思わずこの場を逃げ出したくなる。
ここまでの体格差があると、これはもう戦闘とも言えないだろう。
間違いなく一方的な虐殺になるのは目に見えていた。
この場の全員が同じことを考えてゴクリと唾を飲み込んでいると、当然のようにリタは命令を下す。
「あやちゅらを、全員やっちゅけよ!! 一人残らず排除しゅるのじゃ!!」
召喚主であるリタの命令に、小さく頷くヘカトンケイル。
顔を覆うヘルムのせいでその表情はわからないが、その立ち居振る舞いからは高い知性が感じられた。
そしてゆっくりとその巨体をゲプハルトたちのいる方へと向けたのだった。
「う、撃て!! 弓兵はありったけの矢を射かけろ!! 魔術師は威力のある魔法を唱えろ!! ヤツを近づかせるな!! ゲプハルト調査官を守れ!!」
騎士隊長の声が響き渡ると、それを合図にしたように弓兵が矢を放つ。
しかしそれは全く役に立たなかった。
彼らの撃った矢は、ひとつ残らず巨人の鎧と皮膚に弾かれてしまったのだ。
彼の巨体の前では弓兵の射る矢は小枝に等しかった。
鎧の隙間から見えるむき出しの肌に当たった矢であっても、そのままポトリと地面に落ちる。
それは
次に呪文の詠唱が終わった魔術師の手から、攻撃魔法が飛んで行く。
それは
その証拠にゆっくりと歩みを進めるヘカトンケイルは、まるで面倒くさそうに身体を揺する程度で、全く痛がる素振りすら見せない。
そしてその様子を見た騎士たちは、その顔に絶望の表情を浮かべ始める。
遠距離攻撃でダメージを与えられないのであれば、ここから先は彼ら騎士による近接戦闘が始まるのだが、この場の全員が身の丈四メートルの巨人になどに近づきたくなどなかったのだ。
その圧倒的とも言える体格と膂力の差は歴然で、自分たちの剣が届く間合いに入る前にその十本の腕に握られる凶悪な武器で薙ぎ払われるのは目に見えていた。
「や、やめろ…… 来るな……来るな……」
「夢か? これは夢なのか? 夢なら醒めてくれ……」
「くそっ……こんなところで死ぬのか――アレッタ、すまない……」
まるで追い詰めるかの如くゆっくりと歩みを進めるヘカトンケイル。
恐怖の表情を浮かべてじりじりと後退る騎士たち。
それはすでに「戦闘」と呼べるものではなく、「虐殺」と呼ぶに相応しいものだった。
「開門!! かいもーん!! おい、誰かおらぬのか!!」
地方執行官事務所に、突然大声が響き渡る。
しかしその場の全員がにじり寄る巨人に目が釘付けになっていて、誰一人その声に反応する者はいなかった。
リタが召喚してから、ヘカトンケイルは一言も声を発していない。
イフリートが漏らしてたような唸り声はもちろん、リタが話しかけても小さく首を動かす程度で、その声を全く発することはなかった。
それは彼が声を持たないのか、単に声を出すのが面倒なのかはわからなかったが、とにかくその巨人は終始無言だった。
そして今も無言のまま騎士たちを追い詰めており、騎士たちもその圧倒的とも言える姿に気圧されて、
つまり地方執行官事務所は、静寂が支配していたのだ。
事務所の中庭がそんな状態だったので、まさかそこで虐殺が行われようとしているなど思わなかったのだろう。
返事がないのを不審に思った来客は、自身で門を開けると勝手に中に入って来る。
そして固まった。
「なっ!! なんだ、これは……!!」
彼の目に映る無数の腕を生やした鎧姿の巨人と、それに追い詰められる地方執行官ならびに騎士たち。
その誰も彼に視線を向ける者はいなかった。
ある一人を除いては。
「エッケルハルト!? エッケルハルトじゃないか!?」
足音以外には静寂が支配する地方執行官事務所の中庭に、リタの父親――フェルの声が響く。
するとその男――ハサール王国レンテリア伯爵家筆頭執事「エッケルハルト」は、今まさに探し続けていた声を聞いたとばかりに、そちらへ顔を向けたのだった。
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