第53話 両親の想いと娘の決意

 背後から射かけられる弓矢を避けながらロレンツォが走り寄っていくと、既にリタは立ち上がっていた。

 一体どうやったのかはわからないが、直前まで縛られて地面に転がされていたはずなのに、彼女は縄と猿轡さるぐつわをいつの間にか外していたのだ。


 耳元を掠める矢の音に頭を竦めながらロレンツォが近づいて行くと、何やら自分の足元に向かって手をかざす幼女の姿が見えた。

 すると彼女の足元の地面が突然盛り上がり、まるで壁のような形に反り上がって飛来する矢を防ぎ始める。


 

 それは、高さ二メートル、幅一メートル、厚さ十センチほどの土製の壁だった。

 突然それが地面から生えてきたのだ。


 しかし、ロレンツォはそれを知っていた。

 何故ならそれは、防御系魔法の基本中の基本とも言える、防護壁プロテクティブ・ウォールに違いなかったからだ。


 初めこそその様子に戸惑ってはいたが、昨日あれだけ魔力弾マジックミサイル火炎弾ファイヤーボールを連発したリタを知っている彼は、特に驚いたりはしなかった。

 あれだけの攻撃魔法を使って見せたのだ、当然防御魔法だって使えるだろう。

 精々その程度の認識だった。 


 しかしそんなことより、ロレンツォは別のところに驚いていた。

 突然始まった戦闘であるにもかかわらず、冷静で無駄がなく、落ちつき払ったリタの姿は、何処か歴戦の従軍魔術師のように見えたからだ。


 手配書には彼女の年齢は四歳だと書いてあった。

 そして実際に目の前にいる幼女も、その年齢にしか見えない。

 しかし飛び交う矢を恐れることなくテキパキと動き続ける彼女の姿は、どうしてもその年齢には見えなかった。



 そんなリタが、駆け寄ってくるロレンツォに大声で叫ぶ。


「はようこっちゃ来い!! おまぁは、魔法防壁マジックウォール頼むたのみゅ。わちたちを囲むように、三つ出せるか?」


 四歳の幼児が二十三歳の魔術師に向かって指示を出す。

 その様子は傍から見ると些か滑稽に見えたが、その実彼女の指示は的確で無駄がなかった。

 リタはロレンツォに、両親を含めた四人を取り囲む魔法防壁を作れと言っているのだ。


 そう言いながらも、リタはすでに三つ目の防護壁を作り出していた。

 彼女が作り出している防護壁プロテクティブ・ウォールは地面から盛り上がってくる土製の大きな壁だ。

 それは弓矢などの物理攻撃を防ぐことができるが、反面、魔法攻撃には弱い。


 だから彼女はロレンツォに魔法防御用の魔法防壁マジックウォールを作れと言ったのだ。

 前日の戦闘で彼が作り出した防壁が自分の火球を防ぎ切ったのを見ていたリタは、どうやら一目置いていたようだ。



 そんな幼女の指示に、青年魔術師は否やなく返事をする。


「あ、あぁ、任せろ、すぐに作るよ――光よ、大地よ、いにしえより災厄の――」


「むぅ……おっそいのぉ!! これだから詠唱魔術師まじゅちゅしは――」


 ロレンツォがおもむろに呪文を唱え始めたのを見ると、リタは面白くなさそうな顔をしながらぶつくさと文句を言っている。

 そうしながらも両親の手縄を手早く切ると、すぐさま複数枚の防護壁プロテクティブ・ウォールを追加した。


 その動きはとても素早く、ロレンツォの目にはまるで土製の壁を直接地面から引っ張り出しているようにしか見えなかった。

 普通の魔術師であればその作業だけでも魔法の詠唱に多少の時間を取られるのだが、リタはそうではなかった。

 彼女は右手で防護壁を作りつつ、駆け寄ってくる騎士たちに向かって左手で魔法矢マジックアローを連射し始めたのだ。



「ぐあっ!!」

「いってぇ!! いたたた!!」 

「うわぁ!!」


 見たところ一発の威力は大したことはなさそうだったが、それでもまるで弾幕のごとく撃ち出される魔法の矢に、騎士たちは怯み始める。

 そして彼らは、それを避けようと物陰を探して右往左往していた。


 その様子を見たロレンツォは、呪文を唱えるのも忘れて茫然としてしまう。

 口はだらしなく開けられて、傍から見ると間抜けな顔に見えた。



 魔法を発動するためには、呪文を唱えなければならない。

 それはあまりにも当たり前すぎて、魔法に携わる者でそれに疑問を持つ者は誰一人いない。

 だから同時に二つの魔法を発動するなど、彼らの常識から言ってあり得ないのだ。

 もしもそれを実現しようとするならば、一つの口で同時に二つの言葉を喋らなければならず、どう考えてもそんなことなどできるはずもなかったからだ。


 しかし彼女はそれをやってのけた。

 右手で防護壁を作り出しながら、左手で魔法矢マジックアローを連射したのだ。

 その姿は、二十年近くに渡って魔法の知識と技術を叩きこまれてきた若きエリート魔術師のロレンツォをしても、全く見たことがないものだった。



 どうやったらあんなことができるのだろう――

 ロレンツォは自身の置かれた状況も忘れてリタの姿に目を釘付けにする。

 そして彼女の一挙手一投足に目を凝らし始めると、遂に衝撃の事実に気付いてしまった。


「む、無詠唱!? まさか……」



 驚きのあまり、ロレンツォの口からその言葉が漏れる。

 そして呪文を唱えるのも忘れてリタを凝視してしまう。

 しかしそれに気付いたリタは、甲高く可愛らしい声でロレンツォを怒鳴りつけた。


「なにをボォーっとしちょる!? えぇから、おまぁは早く防壁を展開すれ!! わちのでは小さすしゃしゅぎて、かかさまたちまで覆えんのじゃ!! はよう!!」


「えっ!? あ――わ、わかった!!」


 リタの怒鳴り声に我に返ったロレンツォは、それまで止めていた口を再び動かし始める。そしていつもの二割増しの早口で呪文を詠唱し始めた。

 その間も周りの魔術師たちが放つ魔法矢マジックアロー魔法弾マジックミサイルが、リタが作った防護壁をガシガシと壊し始めていた。


 リタが作り出した防護壁プロテクティブ・ウォールは、見た目は立派だが所詮は土で作られた厚さ十センチの壁でしかない。

 それは弓矢であれば十分に防ぐことができるが、魔術師の放つ攻撃魔法にはいささか力不足だ。

 その証拠に、両親を守るように覆う土壁は、魔法弾マジックミサイルによって彼方此方あちこちに穴が空き始めていたのだ。 



「きゃー!!」


「うわっ!! 危ない!!」


 時折壁を突き抜けてくる光の弾に、リタの両親が悲鳴を上げる。

 未だその直撃は避けられているが、このままではそう長くは持たないだろう。

 だからロレンツォは手早く数枚の魔法防壁マジックウォールを作り出さなければならないのだが、焦った彼は何度も呪文の詠唱を噛んでいた。


「なにやっちょる!! はよう防壁をちゅくらんと、わちらは死んでしまうじょ!!」


 そんなリタの大声の督促に、ロレンツォは焦るばかりだった。





「なにをやっておるのだ!! あの生意気な魔術師もろとも、さっさと奴らを皆殺しにしろ!!」


 広場の中央で周囲に防壁を張り巡らせる二人の姿にイラついたゲプハルトは、その太くて短い足で何度も地面を踏み鳴らしていた。


 いくらオットー子爵の勅命を受けているとは言え、自分の指示に従わないなど絶対に許せない。

 自分は庶務調査官という役職に就いている以上、今回の捕り物の総責任者なのだ。

 だからあの若造も自分の指示に従うべきだし、加えて異論を唱えるなど以ての外だ。


 さらにヤツは自分の指揮下ではないからと、その指示を無視しようとした。

 そして事の次第をオットー子爵に報告まですると言う。

 バカか? あの若造はバカなのか?

 

 こうなったらあの若造もろとも皆殺しだ。

 あいつはこの捕り物の途中の事故で、死んだことにすればいい。

 この場の全員は自分には逆らえないのだ。だからこの件に関しては後でどうにでもなるだろう。


 などとゲプハルトは考えながら、執拗に部下に対して命令を下していた。



「おい、さっさと行け!! あんな若造とガキに何を手こずっているのだ!! 殺せ、全員殺してしまえ!!」


「りょ、了解致しました!! ――おい、お前たち!! 一斉にかかるぞ、いいか!?」  


 イラつくゲプハルトに睨みつけられた騎士隊長は、部下たちに激を飛ばす。

 しかしその部下たちは、まるで弾幕のように放たれるリタの魔法矢マジックアローのために容易に近付くことができない。

 精々弓兵の矢と魔術師の魔法攻撃が土壁に穴を空ける程度だった。


 



「なぁ、お嬢さん。これからどうするつもりなんだい? 何か手はあるのかい?」

 

 幾つもの防壁に囲まれて、ロレンツォはやっと少しだけ一息つけていた。

 そして魔法矢マジックアローを放ち続けるリタに声をかける。


 いい歳をした大人が四歳児に指示を仰ぐその姿はなんとも情けなくも見えたが、それは仕方のないことなのかもしれない。

 彼とても何か策があってここに逃げ込んできたわけではなかったからだ。

 

 そもそも直前まで敵同士だったにもかかわらず、理由わけもわからずに己の直感に従ってここまで逃げて来たものの、彼がこの状況を打開する方法を思いついたわけではなかった。


 確かに今の状態を維持している間は何とかなるだろうが、このままでは確実にジリ貧なのは目に見えている。

 いずれ魔力が尽きたり体力が衰えてしまえばそれで終わりなのだ。


 今はまだ警戒して物陰に隠れているが、こちらが攻撃の手を休めた瞬間に圧倒的な数の騎士に囲まれてしまうだろう。

 もとよりこの防壁だっていつまで持つかわからない。

 このまま亀のように固まっていてもただ事態が膠着するばかりで、こちらから相手を倒しに行かない以上、逃げ出す、いや、生き残ることすら難しいのだ。

 


 

 それはリタの両親も感じていたらしく、敵に向かって光の矢を放ち続けるリタの背中に声をかけた。


「リタ、お願い。もう手加減しなくてもいいのよ。こうなってしまったら、もうあの人たちを倒してしまわなければ逃げられない」


「うわっ!! そ、そうだ、リタ。かか様の言う通りだ。確かに人に怪我をさせたり殺めたりするのは良くないとずっと言ってきたけど、こうなったらしょうがない。お前が生き残るためには仕方がないんだ」


「きゃー!! 私たちはどうなってもいいけれど、あなたには生きてもらいたいの!! あなた一人だけなら逃げられるでしょう!? 私達にはかまわずに、ここから逃げて!!」


「そうだ!! そのためなら、人を傷つけてもかまわない!! とにかくお前はここから逃げろ、私たちのことはいいから!!」


 フェルとエメは時折防御壁を突き抜けてくる魔法の矢に悲鳴を上げながら、娘に向かって大声をあげる。

 その言葉には両親の悲痛な想いが溢れていた。

 いくら生き残るためとは言え、人の命を奪えと娘に言うのは彼らとて苦しいだろう。しかも相手は四歳の幼児なのだ。


 しかしどんな手段を使ってでも、彼らは娘に生き残ってもらいたかった。

 たとえそれが、人を殺す結果になったとしてもだ。



 先ほどから相手を攻撃するリタの姿を見ていたが、明らかにその姿には迷いが見えた。

 彼女の攻撃は牽制以上のものには見えなかったし、そこにはおよそ相手の命を奪おうなどという意思は見られなかった。

 

 先日のリタは騎士二名を瞬時に再起不能にして見せたが、今の彼女はそうしようとはしない。

 それはつまり、自分たちの存在が彼女に枷をはめているに違いなのだ。

 

「もういいから!! あなたが逃げるためなら、何をしたってかまわない!!」

 

 母親の悲痛な叫びがその場に響き渡った。



  

「……おまぁ、ちょっとだけ代わってくれりょ。三十秒だけ持ちこたえてくれりゃええ」


「えっ!?」


 おもむろにリタがロレンツォに声をかけると、それまで絶え間なく放っていた魔法矢マジックアローを撃つのをやめた。

 すると弾幕が切れたのに気付いた騎士たちが、物陰から出て来始める。

 その様子を視界の隅に収めながら、ロレンツォは返事をした。


「わ、わかった、三十秒だね!? なんとか持ちこたえてみせるよ。でも一体何を――」


 突然黙り込んだリタの様子が気になったロレンツォだったが、光の矢を放つ手を休めるわけにはいかなかった。

 彼女が言う通り三十秒だけ自分一人でこの場を凌がなければならないのだ。

 この幼女にはきっと何か考えがあるのだろうが、今はそんなことを詮索している場合ではない。

 そう思いながら、目の前の敵に牽制の魔法矢マジックアローを放ち続けるロレンツォだった。


 

 そんな青年魔術師の奮闘を尻目に、リタは何やら呪文のようなものを唱えながら、その場でクルクルと回り始める。

 そして、緊迫した空気には全く馴染まない、どこか滑稽な踊りをし始めたかと思うと、最後に大きな声を上げたのだった。


「いらっしゃーい!! さもんっ、ヘカトンケイル !!」

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