第46話 里から出されるということ

「お願いと言うのはほかでもありません。どうかこの子を連れて行っていただけませんか? この子には広く世界を見せてあげたいのです。如何でしょう?」


 顔に微笑を浮かべたまま、女王ピクシーが自身の願いを口にする。

 それはあくまでも軽い口調だったが、穏やかに弧を描く口元に反してその目は笑っていなかった。

 彼女曰く、それはあくまでも「お願い」とのことだが、その眼差しには有無を言わさぬ強い意志が滲んでいた。


 その様子から察するに、恐らくリタの返答次第では「妖精の小道」を使う許可を翻すかもしれない。思わずそう思えてしまうほどの強い意志が女王の顔には溢れていた。



「しかしのぉ…… わちたちは、これから危ない目に会うかもしれんし……しょれに巻き込むのも……」


 父親のフェルの説明では、これから一家は彼の実家を目指すらしいのだが、そこはこの国の首都の近くなので、どんなに急いでも十日はかかるだろう。

 しかもこちらには体力がなく歩くのが遅い幼女のリタと、未だに怪我のダメージが抜けきらないフェルを抱えているのだ。

 そしてオットー子爵領を抜けるまでは、主要街道を通ることはできない。

 

 子爵のもとに逃げ帰った庶務調査官は、恐らく街道の彼方此方あちこちに見張りを置いているはずだ。

 それは彼に無礼を働いたリタたちが逃げ出すことを想定しているからだ。

 そして見つけ次第捕縛するつもりなのだろう。


 だからリタ一家は幼児と怪我人を抱えたまま、街道を外れた林の中などを歩かなければいけなかったのだ。



「はい。それは十分に承知しています。あなた方の事情は存じ上げませんが、『妖精の小道』を使うということは、それは急ぐ旅なのでしょう」


「そうなのじゃ…… しかしピクシーは森から離れては生きられないと聞く。大丈夫らのか?」


「それは問題ありません。確かにわたくし達は森の精気を吸って生きているので、森から出ることはできません。しかしあなたの近くにいる限りは大丈夫なのです。森の精気の代わりに、あなたの魔力を吸収できるからです」


「魔力……そうしょうなのか? わちの魔力だけでええのか?」

 

「はい。この子一人だけならそれで十分です。あなたから離れない限り、この子は生きていけます」


「でものぉ……」


 女王の説明を聞いたリタは、その話の内容に納得はした。

 それでも彼女は渋い顔をしたままだった。


 女王の言葉を真に受けるのであれば、それはつまり、リタがこのピクシーの面倒を見るということだ。

 それも話を聞く限り、このお喋りなピクシーと四六時中一緒に過ごさなければいけないらしい。


 それはウザい、あまりにもウザすぎる。

 朝から晩までこの甲高い声でぴーちくぱーちくさえずられることを想像すると、それだけで頭が変になりそうだ。



 思わずリタは心の中でそう思ったが、その思いが顔に出てしまっていたらしい。

 彼女の表情を見た女王は、何やら可笑しそうにたおやかな笑い声を上げると、リタを安心させるように優しく口を開いた。


「うふふふ…… あなたの気持ちもわかります。この子はとってもお喋りなので、一日中一緒だとさすがに疲れてしまうかもしれません。でも大丈夫です。あなたの魔力を分けて頂くのは一日に一回程度で十分なのです。それこそ夜に同じベッドで数時間一緒に眠る程度で十分ですのよ」


「うむぅ、それはわかりゅが…… しかしのぅ……」


「ねぇリタ。少し前に、あなたは弟か妹が欲しいって言っていたわよね」


 この期に及んで尚も難色を示し続けるリタに、エメが声をかけてくる。

 彼女は彼女なりに、娘のその姿に何か思うところがあるようだ。

 その顔に優し気な笑みを浮かべると、柔らかくリタの金色の頭を撫でた。


「だからそのピクシーを、あなたの妹だと思って面倒を見てあげなさいな」

 

「そうだよ。この子はお前の妹なんだ。そう思えば可愛いものだろう。もちろん私達も一緒にお世話するから大丈夫。なにもお前一人に任せっぱなしにはしないから、安心しなさい」


 援護をするようにフェルが横から言葉を挟んでくると、エメと同様に優しくリタの頭を撫で回す。

 そんな両親を見てしまったリタは、最早もはや女王の頼みを断るわけにはいかなかった。


 こちらの願いを聞いて貰いながら相手の頼みは聞かないというのであれば、それはまったくフェアではない。

 こちらとて「妖精の小道」が使えなければ困ってしまうのだ。

 もちろん女王の頼みを聞かなかったとしても「妖精の小道」は使わせてくれるのだろうが、そんなことをすれば彼女との間に遺恨を残すことになってしまう。

 

 だからその時点で、リタの心は決まっていた。



「ええよ、わかった。このピクシーはわちが預かる。いずれ無事に帰すから、それまでわちが面倒を見てやろう」 


「そうですか……それはありがとうございます。 ――これっ、こちらへいらっしゃい。話を聞いていたでしょう? あなたはこれから、このリタと一緒に旅に出るのです。いいですね?」


「えっ……!?」


 その言葉を聞いたピクシーは、キョトンとした顔で母親を見つめている。

 彼女はとても眠そうな顔をしており、その美しい緑色の瞳にはあくびを堪えたような涙が浮かんでいた。


 あれだけ厳しく母親に説教された直後だというのに、どうやら彼女は母親とリタの会話を一切聞かずに居眠りをしていたようだ。

 そんなあまりにも空気を読まない――図太い神経を持つ娘に、女王は深い深いため息を吐いた。


「……もしかして、話を聞いていなかったのですか?」


「ごめんなさい、母様、ごめんなさいなの。全然聞いてなかったの。なんだか眠くて、聞いてなかったの」


「……いいでしょう。もう一度だけ言いますから、よく聞くのです。――あなたにはこれからリタと一緒に旅立ってもらいます。いいですね?」


「……えぇ!? なんで? どうしてなの? なんでなの?」


 まるで訳がわからないといった様子で、ピクシーが激しく頭を振っている。

 そして説明を求めるように必死の形相で母親に縋り付く。

 すると女王は、娘に向かって強い口調で言い放った。



「あなたの生活態度は目に余ります。姉たちが皆一生懸命に働いているというのに、あなただけが怠けているのは許されないのです」


「うぅ……」


「それにもうたくさんの妹たちがいるというのに、あなたは甘えが過ぎます。これでは彼女たちにも示しがつきません。ですからこのリタと一緒に旅に出て、そこで世界の厳しさを経験してくるのです。いいですね?」


「えぇ!? それじゃあ、それじゃあ、あたしは里から追い出されるの!? そうなの!?」


「そうです。あなたは里から出されるのです。――しかし誤解してはいけません。なにもわたくしはあなたが憎くて追い出すのではありませんよ。自覚がないようですから敢えて言いますが、あなたは生まれた時から姉や妹たちとは違うのです。ですからその見聞を広げるためにも、外の世界も見てこなければならないのですよ。わかりましたか?」


「えぇぇぇー!!」



 愛する母親の口から、里を出て行けと言われた。

 その事実に小さなピクシーはショックを受けていた。

 口煩いとか怖いとか怒りんぼだとか、確かに彼女は母親に対して思うところはあったが、それでも母親のことは大好きだった。それがまさか彼女の口から本当に出て行けと言われるとは思っていなかったのだ。


 しかしいまの口振りでは、本当にこの里を出されるのは間違いないようだ。

 そしてそれが事実であることを、何処か悲しげな顔で自分を見つめる母親の姿が物語っていた。


 自分は姉や妹たちとは違うと母親は言う。

 しかしそれがどういう意味なのかわからなかった。

 そして彼女は自分が憎くて追い出すのではないというが、それもどういう意味なのかわからない。


 しかしその悲しげな母親の姿から、本当にもう自分がここにいられないのだけはわかる。

 決してこれまで長い人生だったとはいえないが、それでも母親のあんな悲しそうな顔は今まで見たことがなかったのだ。

 その事実に胸を潰されそうになった小さなピクシーは、無言で覚悟を決めたのだった。





「それではこの子は私たちが責任を持ってお預かりします」


「よろしくお願いいたします。いずれこちらから迎えを寄こしますので、それまでよろしくお願いいたします。――お願いです、決して甘やかさないで下さい。時に遠慮なく叱っていただいて結構です」


「わかりました。この子はリタの妹だと思って一緒に育てます。お任せください」 


 女王ピクシーの言葉に、エメが頼もしそうに自身の豊かな胸を叩いている。

 それが妖精とは言え、彼女にとってはいきなり子供が一人増えたようなものだが、それでもエメは自信満々に答えていた――表面上は。 

 

 そんなエメの姿に柔らかく微笑むと、女王は金色に輝く頭を小さく下げた。


「はい、重ね重ね申し訳ありません。――それではこちらからお入りください。この先は森の西の端に繋がっています。普通に歩くよりも恐らく一日程度時間を短縮できるはずです。あなた方のお役に立てば嬉しいのですが」



 リタとエメとフェル、そして小さな一匹のピクシーが「妖精の小道」に踏み込んでいく。

 この道を少し歩くと、すぐに森の外に出られるはずだ。

 そして一度出てしまえば最早もはやすぐに戻って来ることはできない。


 まるで急かすような足取りでリタたちが歩いて行く。

 その一番最後を飛んでいたピクシーが何気に後ろを振り返ると、小道の入り口には緑色の美しい瞳から涙を溢れさせる母親の姿があった。


 あれだけ厳しい口調の女王ピクシーだったが、小道の向こうに娘の姿が消えて行くのを涙を流しながらずっと見送っていたのだ。


 小さなお喋りピクシーには、その姿がとても幼く頼りなく見えた。

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