第45話 怒りのロリ妊婦
今にも雨が降りそうなどんよりとした曇天の下、森の中をヒラヒラと飛ぶ三匹のピクシーの後をリタ一家が追いかけて行く。
宙を舞うピクシーには関係ないが、一晩中雨が降り続いた地面はぬかるんだ部分も多く、未だ体力が回復していないフェルには足元の悪さがとても辛そうに見えた。
それでもリタとフェルの歩く速度で小一時間ほど進むと、鬱蒼と茂る森の中に少し開けた場所が見えてくる。
するとそこには、樹齢数百年と思しき巨木が茂る原始の森の中に、下生えや枝を綺麗に処理された広い一角が広がっていた。
リタはその場所に見覚えがあった。
そこは以前、女王ピクシーに道案内を頼むために訪れたコロニー――ピクシーの里に違いなく、当時と全く変わっていなかった。
三人がピクシーについて里の中に入って行くと、それまでひらひらと優雅に宙を舞っていた多くのピクシーたちが一斉に家――木の幹に開けられた小さな穴――の中に逃げ込んでいく。
そしてその穴の中から顔を半分だけ見せると、不安そうに外を覗き見ていた。
その姿は、彼女たちの臆病で用心深い性質が良くわかるものだった。
森のほぼ中央に位置するこの場所は、たとえ正確な地図を持っていたとしても滅多に人が辿り着ける場所ではない。
それは宙を舞うピクシーには道が必要ないからだ。
だから地上からこの里につながる道は一つを除いて存在せず、当然のように道標なども一つもなかった。
里に辿り着くには、人の背丈ほどもある鬱蒼と茂る下生えをかき分けて行くか、ピクシーしか知らない秘密の抜け道を通るしかない。
そしていまリタ一家は、ピクシー三人娘にその秘密の道を案内されて来たのだった。
三匹のピクシーに案内されて里の中央までやって来ると、そこには取りわけ立派な巨木が生えていた。そして幹の中心には、その巨木に相応しいかなり大きめの穴が空いているのが見える。
何となく近寄りがたい雰囲気を感じたリタたちが少し離れた場所から眺めていると、そこから一匹のピクシーがヒョコリと姿を現した。
そのピクシーは体長が10センチ程度の一般の個体に比べると二回りほど大きく、恐らく倍の20センチ程度はあると思われる。
キラキラと金色に輝く艶のある長い髪と神懸り的に整ったその顔はとても美しく、緑色の切れ長の瞳と紅を引いたような紅い唇が真っ白な肌に映えていた。
背中に昆虫のような羽が生えた細く華奢な身体は全体的に薄い緑色の光に包まれていて、ゆるゆると宙を舞う姿は、全身を包み込む不思議な透明感も相まって、まるで神話に出てくる女神のようだった。
普通のピクシーが10歳程度の人間の女児に似た外見なのに対し、彼女は
そして他の個体と同様に一糸纏わぬ全裸だった。
しかし彼女には一つだけ大きく違う部分があったのだ。
そのピクシーは、お腹が大きく膨らんでいた。
その姿は、間近に出産を控えた臨月の妊婦そのものだった。
未だ幼さを残す、まさに美少女と呼ぶに相応しいその容姿に、大きく膨らんだ妊婦のお腹。
一見背徳的とも思えるその姿に、リタと両親の三人は思わず目を奪われていた。
特に男性のフェルはその姿に何か惹かれるものを感じたらしく、すぐ隣に妻と娘がいるのも忘れて、ひたすら呆けたように彼女の姿を目で追っている。
そんな夫に気付いたエメが、わざとらしく咳払いをしながら脇腹を突く。
「ごほんっ…… ねぇあなた。いくら妖精とは言え、妻の目の前で他の女性の裸をガン見するのは如何なものかと思うのだけれど」
「えっ!? あ、あぁ……す、すまない。えぇと、その、あ、あまりにもあのピクシーが美しかったものだから、つい……」
「ふぅん……そうですか。あなたはああいうのがお好みなんですね……それはそれは」
「い、いや、そうじゃない、そうじゃないんだ。私にとって一番美しいのは、もちろん君だ。君ほど美しい女性を私は知らないよ」
「そうですか、わかりました。それじゃあ、そういうことにしておきましょう」
「エ、エメラルダ……ち、違うよ、本当に誤解だ……」
ロリ妊婦。
まさか夫がそういう趣向の持ち主なのではないかと疑いの眼差しを向ける妻に、フェルは慌てて否定した。
確かにあのピクシーの姿に見惚れたのは事実だが、まさか自分がそんな倒錯的な趣味の持ち主であるはずがない。
それだけは断固として認めるわけにはいかないフェルだった。
そんな美しいピクシーを目の前にして何やら両親が揉め始めたのだが、今のリタはそんな事には構ってはいられなかった。
リタはそのピクシーを知っていた。
なぜなら目の前の彼女こそが、この里に住む全てのピクシーたちの生みの親である「女王ピクシー」だからだ。
以前山で迷子になった時、リタは彼女に村までの道案内を頼んだことがあった。
すると彼女は、自分と友達になることを条件に力を貸してくれたのだ。
それ以来リタと彼女は、互いに友人となった。
恐らくリタの魔力の大きさに惹かれた女王は、リタとの繋がりを持ちたかったのだろう。だから「友人」という形で彼女と親しくなろうとしたのだ。
リタとしてもピクシーの女王と懇意にすることに特にデメリットはなったので、彼女の提案を二つ返事で了承した。
女王ピクシーは絶え間なくその身に子供を宿し、その命が尽きるまでひたすら我が子を産み続ける。
まるで子を産む機械のように子孫を増やし続けて、その中から次代の女王候補が生まれるのを待ち続けるのだ。
そして彼女の子供たちも、寿命が尽きるまで母親のために働き続ける。
良まれたばかりの赤ん坊の世話から始まり、里の維持管理や食べ物の収集など、凡そ母親と自分達が生きていくための仕事を姉妹で分担してこなすのだ。
もちろん遊び好きのピクシーたちなので遊び半分に仕事をする場合も多いが、それでも彼女たちは一族のために懸命に働き続ける。
しかし中には不真面目で怠け者の個体が混じることがある。
それこそが昨夜出会った不良ピクシー三人娘だった。
「おや? 誰かと思えば、あなたはリタではないですか。久方ぶりですね。今日は突然どうされたのですか?」
リタの姿を見つけた女王ピクシーは、その外見同様にとても美しく上品で、落ち着いた口調で話しかけてくる。
その
そんな女王に向かって、リタはぺこりと頭を下げた。
「女王よ、久しいの。そのせちゅは、とても世話になった。おかげで迷わじゅに家まで帰れた」
「ふふふ…… いいのですよ。あなたと友人になりたかったのは
突然親し気に話し始めた二人に、リタの両親は驚きの顔を隠せなかった。
確かに以前に山で迷子になった時に、リタがピクシーの加護を受けたのは知っていたが、まさかこれほどまでに親しげに会話をする仲になっていたとは思いもしなかったのだ。
精々哀れな子供たちに同情した女王が、道案内を用意してくれた程度だと両親は思っていた。
だから、まさかリタが彼女から「友人」認定されているなど、想像だにしていなかったのだ。
そもそも人間が妖精族と友人になった話など殆ど聞いたこともなければ、どうしたらそうなるのかもわからなかった。
だからフェルもエメも直前までの気まずい雰囲気などすっかり忘れて、女王とリタの会話に聞き入っていたのだった。
「
突然リタに「この三匹」と言われたピクシー三人娘は、びくりとその身を震わせる。
それまでリタの後ろに隠れるように身を潜めていた彼女たちは、女王の顔色を窺うようにおずおずと姿を現した。
するとその三匹のピクシーを目にした女王は、優しげな笑みを浮かべたまま、尚も話を続けた。
「あら、あなた達、やっと帰って来たのですね。昨夜からずっと姿が見えなかったので、魔獣に食べられたか、何処かで野垂れ死んでいるものとばかり思っていましたよ。よくぞ平気な顔で帰って来られたものですね」
顔は笑っているが、その言葉はなかなかに辛辣だった。
「か、
「ごめんなさい、ごめんなさい……もうしないから、許して、許して」
「うえぇーん、
決して女王は声を荒げたりせず顔に微笑を浮かべているのだが、その姿からは余計に彼女の怒りが伝わってくる。
その証拠に、顔は笑っていても決して目は笑ってはいなかったのだ。
「あなたたち、これが何度目なのかわかっていますね? 今後も同じことを繰り返すようであれば、この里を出て行ってもらうと前回も
「えぇぇー!! そんな、そんな、かあさま、ごめんなさい、ごめんなさい!!」
「許して、ゆるしてぇ!! ごめんなさい、ごめんなさい!!」
「やだやだ、ここを出ていくなんてやだ。そんな、一人じゃ生きていけないよ」
その言葉を聞いた三匹の不良ピクシーは、目に涙を浮かべながら母親に縋りつく。
その必死な姿は、母親に叱られる幼児そのものだった。
三匹と約束した通り、初めはリタも間に入って執り成そうと思ったのだが、静かな怒りを見せる女王の姿に何も言えなくなってしまう。
そして結局三匹の不良ピクシーは、母親の説教を免れることはできなかったのだった。
それから暫くの間、女王の説教は続いた。
三匹の娘たちは、こんこんと言い聞かせる母親の言葉には一切反論せずにおとなしく聞いている。
そして最後に三匹が泣きじゃくりながら母親に抱き着くと、彼女は優しく子供たちの背中を撫でていたのだった。
そんなわけで女王ピクシーの説教も終わり、やっとリタたちの話の番になった。
そこでリタは「妖精の小道」を使わせてもらえるか女王に交渉すると、彼女は即座に了承した。
「えぇ、よろしいでしょう。他でもないあなたの頼みなのです、
「おぉ、そりぇは
「いえ、いいんですのよ。これはこの子たちを無事に連れ帰っていただいたお礼でもあるのです。どうぞお気になさらずに。……その代わり――というわけではありませんが、
「お願い? ……なんぞ?」
女王の口から思わぬ言葉が漏れた。
妖精が人間にお願いをすることなど滅多にないので、思わずリタは身構えてしまう。
そんな姿を微笑の浮かぶ顔で見つめながら、女王は口を開いた。
「お願いと言うのはほかでもありません。どうかこの子を連れて行っていただけませんか? この子には広く世界を見せてあげたいのです。如何でしょう?」
そう言って女王は、泣きべそをかいている「お寝坊ピクシー」を指差したのだった。
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