第47話 妹の名前を決めよう

 小道に踏み込んでから10分も歩いただろうか。

 リタたち三人と一匹が「妖精の小道」を進んで行くと、突然目の前に明るい大きな穴のようなものが見えてくる。

 恐らく出口なのだろうと思った彼らは、躊躇することなくその身を穴に滑り込ませた。

 

「ここは……」


 薄暗い小道から抜けると、突如目の前に明るい光景が広がった。

 三人と一匹がその明るさに暫く目を慣らしていると、そこが見覚えのある場所であることに気が付いた。


「あぁ、ここはエステパの町の裏側だな。ほら、あっちがオルカホ村の方角だよ」


 真っ先に自分たちの居場所を把握したフェルが、森の向こうを指差した。

 つまりそれは、女王ピクシーの言う通り本当に約一日分の移動時間を稼いだことになる。

 その原理は不明だが、「妖精の小道」とは本当に便利なものだ。

 もしもこれが世界各地に張り巡らされていれば、本当に世界は狭くなるだろう。

 そう思わずにはいられないフェルだった。



 彼が一人でそんなことを考えていると、その後ろでリタとエメがピクシーの名前について議論していた。

 よく考えてみれば、彼女のことは「お喋りピクシー」やら「お寝坊ピクシー」などと呼んではいたが、誰も彼女に名前を尋ねた者はいなかったのだ。

 だから今更ながらにその名を訊いてみた。


「のぅ、おまぁの名前はなんちゅうのら?」


「……それは教えられないの」


「教えられないって……どうして? 名前がわからないと不便だわ」


「だって本名を知られたら支配されちゃうの。無理なの、ダメなの。だめ、ぜったい、なの」


「……それじゃあ、おまぁの通り名は? もちろん、あるじゃろ?」



 人間と同じように、妖精族もそれぞれ固有の名前を持っている。

 しかしその名前を他人に教えることはまずない。

 なぜならそれは、本名を知られることによって相手に精神を支配されてしまう恐れがあるからだ。

 それは人間にはない、彼ら妖精族の特徴とも言えるものだった。


 本当の名前を知ることができれば、魔法を使ってその精神を支配できる。

 その原理はリタが得意とする召喚魔法の基礎とも言えるもので、いにしえより彼ら妖精族はその約束とともに生きてきた。


 だから彼らは同族同士であろうとも絶対に己の本名を名乗ることはない。

 その代わり、皆が俗にいう「通り名」を持っている。

 それを知っているリタは目の前のピクシーにそれを尋ねたのだ。



「もちろん持ってるの。当たり前なの。それなら教えてあげられる、もちろん。……でもきっとあんた達には無理。きっと無理なの」


「無理? それはどういう意味?」


 ピクシーの説明に、エメは怪訝な顔をする。

 名前は教えるけれど、自分達には無理。

 それは一体どういう意味なのだろうか。


 しかしリタは違っていた。

 その言葉にピンと来たのだろう。まるで意味のわからないピクシーの言葉にしたり顔で頷いていた。


「言えるかどうかは聞いてみなければわかりゃぬぞ。とりあえず言ってみそ」 


 リタの言葉に決心がついたのだろう、それまで躊躇っていたピクシーは口を開いた。


「う、うん……それじゃあ言うのね――あたしの通り名は『Φй∇Эюжθζ∬∂』なの」


「……確かにそれは私達には言えないわねぇ」


「……無理じゃろぅのぉ……」


 リタが予想した通り、ピクシーが名乗った通り名はおよそ普通の人間に発音できるものではなかった。

 それは単純な音の羅列ではなくむしろ音波に近いもので、恐らくそれは彼女らピクシーにしか発音できないのだろう。

 それを聞いた途端ピクシーが言った「無理」の意味を理解したエメは、何処か諦めに似た表情を浮かべていた。




「でも、名前がないのも不便よねぇ。――そうだ、リタ、あなたが別の名前をつけてあげたらどう? ――あなたもいいかしら?」 


 同意を求めるようにエメが隣を眺めると、小さなピクシーがふよふよと羽ばたいていた。

 そしてその1センチほどしかない小さな顔に、不思議そうな表情を浮かべている。

 しかし彼女も彼女なりに相手に名前を呼ばれないの不便だと思ったのだろう、エメの言葉のすぐあとに同意の意思を示した。


「それじゃあ、リタ。あなたが決めてあげるのよ。あなたの妹なのだから、可愛い名前にしてあげてね」


「わ、わかった。……うぅーむ、そうじゃのぅ…… ピクシー、ピクシ―、ピク、ピ……」


 妹の名前を決めるという突然の大任を任されたリタは、その愛らしい顔の眉間に深いシワを刻みながら必死に考え始める。

 その様子はとても可愛らしく見えて、リタの両親は仲良く並ぶと微笑ましくその姿を眺めていた。


「ねぇ、リタ。べつにピクシーという名前に拘らなくてもいいのよ。パッと見たフィーリングで決めてもいいのだし」


「いいじゃないか。リタに一任したんだ、全て任せてあげよう」


 まるで頭から湯気が出そうな勢いで悩み続ける娘の姿を、暖かい目で見守る両親。

 暫くその光景が続いたかと思うと、唐突にリタは口を開いた。


「うむっ、決めた!! これはええ名じゃ!! よしっ、おまぁの名前は――」


「名前は――?」


「わくわく……」


ピピ美ぴぴみじゃ!!」


「……」


「……」




 満を持したリタの発表に、その場の全員が固まる。

 確かにエメもフェルも妹の名前はリタに一任すると言ったのだが、それにしてもその名前には違和感があり過ぎた。


 「ピピ美」の「ピ」はわかる。それはもちろん「ピクシー」の「ピ」だろう。

 しかし「」とは一体何なのか。


 そんな不可思議な響きの名前など、今まで誰も聞いたことがない。

 もちろんそれは、ピクシー自身も同様だった。

 確かに自分の通り名は人間には発音できないものだが、だからと言ってそんなおかしな名前もどうかと思うのだ。


「ピピ美か。ふむ、わりぇながらこれ以上ない、ええ名じゃのぉ」


 しかしそんな二人と一匹の視線を尻目に、リタはご満悦だった。


 

 実はその名は、リタのオリジナルではない。

 この大陸の遥か東には黄金が採れるので有名な島国があるのだが、「ピピ美」というのはその国で語り継がれる神話に出てくる女神の名前だった。

 

 「ピピ美」は十代前半の人間の少女のような容姿をしており、背が高くスタイルも良いと言われている。

 そして同年齢のもう一人の小柄な女神(名前は不明。一説によるとポ――なんとかと言うらしい)とペアを組んで様々な伝説を残している。


 彼女たちの偉業はその姿を模した絵巻にも記されており、その話を文献で知ったリタは、常々その国を訪れてそれを読んでみたいと思っていた。

 

 だから一見不可思議な「ピピ美」という名前ではあるが、それには彼女の色々な想いが詰め込まれていたのだ。

 ちなみにリタの愛馬「ユニ夫」というのも、その国で使われているらしい名前を敢えて付けたものだった。




 自信満々で発表したものの、まるで想定外の表情を浮かべる二人と一匹にリタはヘソを曲げてしまう。

 自分に一任すると言ったくせに、いざ発表してみると難色を示すとは何たる身勝手か。

 そんなものは道理が通らないどころか、全く納得できるものではない。


 そもそも人の決定に文句をつけるのであれば、端から一任などすべきではないのだ。

 もしも自分の部下がそんなことをしたのであれば、前世のアニエスであったなら小一時間は問い詰めていただろう。

 

 しかし、目の前の二人と一匹の残念な顔を見ているうちに、リタの灰色の瞳には大粒の涙が浮かび始める。

 明らかに彼らが困惑しているのが見て取れて、リタはとても悲しくなってしまったのだ。


「うぅぅ…… ぐすっ、ぐすっ、なんじゃおまぁら、何か不満があるんか――?」


 両親の目の前でべそをかき始めるリタ。

 その姿に両親は、遅まきながら慌てて賛意を示した。



「ピ、『ピピ美』か。それは良い名前じゃないか。ありそうでなさそうなとても個性的な名前で、わ、私はいいと思うよ」


「そ、そうね。凄くいい名前ね。この子らしい不思議な響きの名前で、とってもいいと思うわ」

 

「あたしは――」


「そ、そうかのぉ? そんなにええ名前かのぉ?」


「あ、あぁ、とってもいい名だ。素晴らしい」


「ちょっと、ちょっと、あたしの意見は――」


「うんうん!! いい名前ね。もうそれでいいんじゃない? ねぇ?」


「そ、そうだな。それで決まりでいいだろう、な!?」


「……あたしの話を……」



 こうしてリタの妹ピクシーの名前は、正式に「ピピ美」に決まった。

 その名前を決めたリタは満場一致でその名前が採用されたと思っていたが、実はそうではなく、そこにピクシー本人の意思は全く入り込む余地はなかったのだ。


 その結果にすっかりヘソを曲げてしまった「ピピ美」は、フェルの担ぐ背嚢の中に閉じこもって暫く出てこなかった。

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