第41話 呪いの人形と暗殺者

「ギギギギ……」


 突然の音に驚いたパウラが手を放すと、人形は地面に落ちた。

 しかしそこからの光景は今まで彼女が見たことのないものだった。


 地面に落ちた人形は、まるでそれ自身が生き物であるように身体をくねらせると、すっくと床に起き上がる。そして数度周りをキョロキョロ見廻すと、おもむろに家の玄関へ向かってゆっくりと歩いていった。


 それはオルカホ村でリタと別れた時に彼女から手渡された、全長十センチほどの小さな人型のぬいぐるみだった。

 リタが新婚二人のために襤褸ぼろ布を縫い合わせて作ったもので、その中にはウサギの毛がいっぱいに詰め込まれている。


 彼女はそれを結婚祝いのお守り人形だと言っていたが、思わず呪いの人形かと思うようなその不気味な外見から、パウラは何度も捨ててしまおうかと思っていた。

 しかし自分たちのために稀代の魔女が手作りまでしてくれた物なので、何か御利益でもあるかと思い、そのまま新居の玄関脇に置いていたのだ。


 いざ玄関に置いてみると、その奇怪な外見のせいかある種の魔除けのような気がしなくもなく、またクルスが妙にそれを気に入っていたので、結局そのままにしていた。

 そしていまパウラが助けを求めるようにそれを握り締めていると、まるで突然命が宿ったかのようにトコトコと歩き出したのだ。



 あまりの驚きのために声も出せずにパウラが人形を見送っていると、それは覆面男との戦闘で防戦一方になっているクルスの脇まで歩いて行く。

 そして彼の脚の間を抜けると、男とクルスの間に立ち塞がった。


「ギギギ……」


「な、なんだ!?」


「むっ!?」


 突然足元に現れた謎の生き物――動く人形の姿に、男とクルスは同時に声を上げる。

 しかしそれが不気味な唸り声をあげるだけの小さな人形であることに気付くと、怪訝な顔をしながら男はそれを蹴飛ばした。


「邪魔だ」


 バシッ!!


 しかしその人形はビクともしなかった。

 そして男とクルスの間に立ち塞がったまま不気味な声を上げ続けている。


「ギギギギ……」


 冷静に考えると、たかだか十センチ程度の布製の人形がそんなに重いはずもないのだが、まるで地面に縫い付けられているかのように身動ぎ一つしなかった。

 そして予想を反した人形の重さに、思わず男は体勢を崩してしまう。


 そんな光景を目の当たりにしたクルスは、横目で妻の姿を探した。


「お、おい、パウラ、お前か? これってあのばばあの――」


「よそ見をするな!!」


 その瞬間、視線を外していたクルスの頭に男の剣が振り下ろされたのだった。

 

「クルス!! 危ない!!」


 

 背後の妻の叫び声を聞きながら、まるでスローモーションのように己の頭に振り下ろされる剣を見つめていたクルスは、その瞬間思わず目を瞑ってしまう。

 しかし予想に反して自身の身体に衝撃を感じることはなく、それと同時に透き通るような金属質な音が響き渡った。


 キーンッ――


「なにっ!?」


 瞼の向こうに、男の声が聞こえる。

 その声には何処か焦りのようなものが感じられて、思わずクルスは目を開けた。

 するとそこには、驚くべき光景が広がっていたのだった。



 男の剣は折れていた。

 いや、正確には「切れて」いたのだ。 

 その特徴的な片刃の湾曲刀は手元から20センチ程のところで、スッパリと切れていた。

 その切り口はまるで何かの刃物で切り取ったかのように滑らかで美しく、もともとのその剣の美しさも相まって薄暗闇の中で輝いていた。

 それを目の前にした男は、その切り口を目を見開いて見つめている。


「ギギギギギ……」


 二人の間には相変わらず小さな人形が立っており、それはその不気味な顔を男に向けると短い足を踏み出した。

 その姿に気圧されるように、覆面男が後退る。


「く、くそっ、なんだこいつは!? ま、魔法か? これが魔法なのか?」


 男は人形から顔を背けることができないまま、ゆっくりと後退る。

 その姿は、まるで視線を外した途端に己の命がなくなると言わんばかりだった。





「パ、パウラ、これは!?」


「し、知らない、わからない…… あたしにもさっぱり――」


 男の剣は折れ、男自身も距離を開けた。

 その事実に少し落ち着きを取り戻したのか、クルスは後ろを振り返って妻の姿を確認する。

 するとそこに、茫然とした顔で座り込む最愛の妻がいた。

 本来であればパウラに駆け寄って抱きしめたいところだが、未だ状況がそれを許さない。逸る気持ちを押さえつけながら、クルスは再び正面に顔を向けた。


 相変わらず覆面男が人形相手に気圧されて後退っているが、それもいつまで続くかわからない。

 もとよりこの人形の正体もわからなければ、それが一体何をしようとしているのかも不明だ。だからせめてそれがわかるまでは、クルスは家の入口からその巨体をどけることはできなかった。 


 

「お頭、どうした? なにをそんなに恐れている? 小さな人形ごとき、どうしたというのだ?」


「お頭がやらぬなら、俺がやるが?」


「やらぬなら、除けてもらおう。邪魔だ」


 後退るリーダーの姿に怪訝な顔を向けながら、男の手下達が次々に声を上げる。

 その話しぶりから察するに、彼らの主従関係は微妙なようだった。力のない者は淘汰する、彼らの口はそう言っているのだ。


「やかましい。それならば、お前がこいつの相手をしてみろ。――いけ」



 体長十センチの小さな人形を前にして、覆面の集団が扇状に距離を詰め始める。

 その様子は傍からみると非常に滑稽に見えるものだが、彼らは真剣だった。なにせ特別に鍛えられた自慢の剣が一撃で破壊されたのだ。

 こんな小さななりをしているが、果たして何をしてくるのかわからない。


 そんな不気味な存在を前にして、手下の一人がじりじりと距離を詰め始めたのだった。



「ギギギギ……ギギ……」


 地面に立つ人形が一際不気味な声――音を上げる。

 糸で縫われた目と鼻と、ざっくりと植え付けられた髪はその人形の奇怪さを際立たせているが、それ以上に何をしてくるかわからない気味の悪さを醸している。

 そんな小さな人形が短い腕を振り上げると、一瞬光った――ような気がした。


 次の瞬間、覆面姿の四人の暗殺者たちは己の視界が地面と同じ高さになっていることに気が付いた。

 そして両足に耐え難い痛みが走り、全員が悶絶する。


「ぐあぁぁぁぁー!!」


「ぎゃぁぁーーー!!」


「うぐぁぁーー!! いてぇぇぇ!! ぎゃぁー!!」


「うがぁ!! 足が、俺の足がぁ!!」

 

 

 その光景はまさに地獄だった。

 四人の覆面男全員が、己の足を押さえてのたうち回っている。

 そしてその両足首から大量の血を吹き出しながら、耐え難い痛みに地面を転がり回った。


 彼らは例外なく、全員足首から下を失っていた。

 その証拠に、転げ廻る彼らの近くには八つの足先が転がっているのだ。

  

 リタの作った人形は、地面から十センチの高さで放射状に風刃ウィンドカッターを放っていた。

 そして揃って両足首を切断された男たちが血を吹き出しながら地面をのたうち回っている、ただそれだけのことだった。




 とは言え、その光景はクルスとパウラにとっては衝撃的だった。

 一時は己の命でさえ覚悟をしていたのに、気付けば敵の全員が瀕死の状態になっている。

 その様子はまさに地獄絵図と呼ぶに相応しく、もしも自分が同じことをされたところを想像すると、背筋に冷たいものが流れるほどだった。

 

 茫然とした顔で家の入口から外を眺める二人の耳には、止め処なく男たちの悲鳴が響き渡った。

 その声に二人が耳を塞ぎそうになっていると、それまで地面に仁王立ちしていた小さな人形がクルリと振り向くと二人の方に近づいてくる。

 トコトコと短い足で懸命に歩くその姿は、改めて見るといささか可愛らしく、滑稽に見えた。


「ひっ!!」


「な、なんだ!! やんのか!?」


 恐怖と驚きに身を竦ませながら二人が身構えていると、人形はそのまま彼らの前を素通りするとそのまま家の中へと入って行く。

 そして元いた玄関脇の棚の上に座り込むと、人形はそのまま動かなくなってしまった。

 

 

 結局自分たちは、この人形に助けられたということなのだろうか。

 少なくとも彼(?)は自分達に危害を加える気はないようだし、それどころか絶体絶命の危機を救ってくれた。

 

 そう言えば、この人形をくれたアニエスはこれを「お守り」だと言っていた。

 そしてそのうち何かの役に立つだろう、とも言っていたのだ。


 それを考えると、もしかして彼女は最初からこうなることがわかっていたのではないだろうか。

 自分の居場所を秘密にした結果、それを知る二人には危険が迫ることを予め予想していたのではないか。

 そしてそれを救うために、この人形を作って手渡してくれたのだ。


 そう考えると合点がいく。

 見るからに呪いの人形のような不気味なこの外見も、見る者によっては不安や恐怖を感じる者もいるはずだ。

 そもそもいざと言う時のための人形なのだ。敢えて可愛らしく作る意味はないだろう。


 しかしどう見てもこの人形は滑稽に見える。

 もしかすると、それは普通とは少しずれたアニエスのユーモアなのかもしれなかった。



 

 クルスとパウラが再び動かなくなった人形を眺めながらそんなことを考えている間も、外からは絶え間ない悲鳴が聞こえてくる。

 しかしその声も次第に小さくなっていく。

 見れば四人のうち二人が既に動かなくなっていた。恐らく彼らは出血多量で事切れたのだろう。


 その様子を見た二人は慌てたように残りの二人に駆け寄ると、その傷口を焼いて出血を止めようと試みた。

 それは二人を救おうとしたのではなく、生きたままギルドに突き出すためだった。

 ギルドでは彼らを取り調べて、場合によっては警邏に身柄を渡すのだろう。

 

 しかし男たちはその処置を拒絶すると、自ら毒をあおって自害してしまった。

 それは二人が目を離したちょっとした間の出来事だった。

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