第40話 裏切りも厭わない母親の覚悟

「ふふふ…… そうか、面白い。そのうすらデカい図体でどれほど動けるのか試してやろう。――お前ら手を出すな。こいつは俺一人でやる」


 不気味な風貌の覆面男が、その外見同様に気味の悪い声を出す。

 それと同時に背中に背負った剣を抜き放つと、それもまた同様に薄ら寒いものだった。


 クルスはその剣を初めて見た。

 それは全体に緩く湾曲した細身の剣で、刃が片側にしか付いていないものだ。

 まるで剃刀のように切れ味の良さそうなそれは、朝を迎えつつある薄闇の中でギラリと怪しく輝いている。

 その刀身は非常に美しく、それ自体がまるで一つの芸術品のようだった。


 しかしいくら心惹かれるような美麗な剣であっても、それが人殺しの道具であることに変わりはない。

 その証拠にその剣を構えてじりじりと近づいて来る男を見ていると、それとわかるほどの絶望を感じてしまう。

 最早もはや自分がこの剣で斬り殺される姿ですら思い浮かぶようだ。

 そして自身のコケ脅しが全く通用しなかった事実に、クルスは額から冷たい汗を流していた。


 

「ったく、なにやってんのよあんた!! このままだと本当に殺されるわよ!!」


 明らかに格上の相手を前にしてクルスが後退っていると、家の中から小さな声が聞こえて来る。

 まるで叱りつけるようなその小声は、もちろんパウラだ。

 彼女は外から見えないようにしゃがみ込みながら、後退る夫の背中に必死に声をかけてくる。

 その声に気付いたクルスも小声で返した。


「で、でもよ、こうするしかねぇだろ。お前をこいつらに渡すわけにはいかねぇからな」


「バカね。こいつらが只者じゃないのは見ただけでわかるでしょ? こんなのまともに相手できないわよ」


「じゃ、じゃあどうするんだよ? 何か考えでもあるのか?」


「戦っても殺される、このお腹じゃ逃げられない…… こうなったら交渉するしかないでしょ? アニエスの居場所を教えて見逃してもらうのよ」


「お、お前、何言って――」




「ずいぶんと余裕だな。よそ見なんてしている暇があるのか?」


 家の入口で後ろを振り返りながら、何やらヒソヒソとクルスが話し出す。そんなクルスに向かって男が声をかけた。

 その声には明らかに嘲るような響きが含まれて、この状況を楽しんでいるように見える。

 どうやらクルスが家の中の人物に助けを求めているように見えたようだった。


「う、うるさいな、ちょっと考え事してただけだろ!! く、くそっ、かかってこい!!」


「ふんっ、死ね」


 クルスの声を合図にして、男が一気に踏み込んでくる。

 必死に構えるクルスに向かって剣を振り下ろそうとしたその時、突然横から大きな声が上がった。


「待って待って待って!! わかったからちょっと待って!! 教える、教えるからちょっと待って!!」


「パウラ!?」


 それはパウラだった。

 彼女は玄関の陰から咄嗟に姿を現すと、必死の形相で夫の傍に駆け寄ってくる。

 武器を持たないその姿は、まるで戦う気がないことを表していた。




「……夫婦か」


 突然のパウラの登場に全く驚くことなく、覆面男はぼそりと呟く。

 その目は小さく膨らんだパウラの腹を見つめていた。


「ア、アニエスの居場所を知りたいんでしょう? だったら教える、教えるから助けて!!」


「お、おい、パウラ、お前――」


「アニエスの居場所を教えたら、助けてくれる? 私達に手を出さないでくれる?」


「ふんっ、突然姿を現して何かと思えば、命乞いか。無様だな」


 必死なパウラの懇願を小馬鹿にするように、男が鼻息を吐く。

 覆面から唯一見えるその瞳には、相変わらず見下したような感情が見え隠れしていた。

 そんな男の顔を正面から見つめながら、尚もパウラが言い募る。


「そりゃあ命乞いだってなんだってするわよ。あたしたちは結婚したばかりなのよ。それにもうすぐ赤ちゃんだって生まれるんだから、こんなところで死ぬわけにはいかないの!! もしも見逃してくれるなら、アニエスの居場所を教えるくらいどうってことないわよ!!」


「ふんっ、つまらぬ。所詮はこの程度か。魔女の居場所を見つけ出したというから多少は気骨のある奴らかと思ったが……」


「だから、そんなこと言ってられないっての!! とにかくあたしは死ねないのよ。この子が無事に生まれてくるまで――いえ、その後もずっと死ねないの!!」


「パ、パウラ……」



 パウラは妊娠三か月だ。出産予定まであと半年以上あるとは言え、彼女の心はもうすっかり母親になっていた。

 独身の時の彼女は、常に自分中心だった。

 もちろん恋人のクルスのことは大切に思っていたが、基本的には自分を第一に考えて生きてきたのだ。


 それが妊娠した途端、その考えも変わった。

 未だ小さな膨らみでしかないが、彼女は自身のお腹に宿った我が子をまるで宝物のように思うようになった。

 そして気付けば、自分よりもその子の方が大切になっていたのだ。

 

 世の母親たちの一番大切なもの、それは我が子だ。

 子供を守るためであれば母親は如何なる犠牲をも厭わない。

 言うまでもなく古代より母親とはそういうものだった。


 だから今のパウラには、ギルドの守秘義務などどうでもよかった。

 そもそも自分のところのギルド員が狙われているのを知っていながら、護衛の一人も寄こさない。そんな己の命、いては子供の命を守ろうともしてくれない組織などに、彼女は義理立てするつもりなどさらさらなかったのだ。


 目の前の四人と戦っても、恐らく勝ち目はないだろう。

 自分とクルスがどんなに頑張ったとしても、彼らが相手であればあっさり殺されてしまうのは目に見えている。それならば、少しでも生き残る確率の高い方法を選ぶのは当たり前だ。


 いまのパウラには、どんな手段を選んだとしても、自分――お腹の子供が生き残れる道を模索した。

 たとえそれがアニエスの居場所を教えることになったとしても。




「どう? アニエスの居場所を教えてあげるから、あたしたちを見逃して。もちろんあんたたちのことなど誰にも言わないし、あたしたちもすぐにここから姿を消すから」


 決死の覚悟を顔に浮かべて、必死にパウラが言い募る。

 その表情を見る限り彼女が本気でそう言っているのは間違いなく、懸命に男を説得するその姿は、とにかく自分と赤ん坊が生き残ることしか頭にないのは一目でわかる。

 そしていっそ清々しいまでに生への執着を見せるその姿は、暗殺者をして説得できそうなほどの勢いを醸していた。


 するとそんな必死の想いが届いたのか、男は静かに口を開いた。


「わかった。無事に目的が果たせたならば、お前たちは生かしておいてやろう。その代わりこの街――アルガニルから姿を消してもらう」


「わ、わかったわ。言うとおりにするから、これ以上あたしたちに構わないで」


「……ふんっ、つまらん。それでは教えてもらおうか。――アニエス・シュタウヘンベルグはどこにいる?」


「おいパウラ、正気か? お前、まさか本当に教えるつもりか?」


「あんたは黙ってて!! ――アニエスはオルカホ村にいる。そこで四歳の女の子として暮らしているわ」


 パウラの言葉に、覆面男の瞳が怪しく光る。

 覆面で隠した顔からは怪しく光る瞳しか見えないが、不思議とその顔が笑っているような気がした。




「ほう……なるほど。それは聞かねばわからぬはずだ。まさか稀代の魔女が幼い子供に身をやつしていようとはな……それで、そのガキの名前は?」


「リタ――農民だから家名はないはず」


「オルカホ村のリタか…… わかった、聞きたかったのはそれだけだ。もうお前たちに用はない。さっさと何処へなりとも行くがいい」


 そう言って、男は顎をしゃくった。


「えっ……いいの?」


 あっさりと自分たちを解放する言葉を男が吐くと、パウルとクルスは思わず気の抜けた声を上げてしまう。

 自分から交渉しておきながら、実は彼らがこのまま見逃してくれるとは思っていなかったのだ。


 しかし予想に反して告げられた言葉に、パウラはホッと胸を撫で下ろしていた。

 そしてそれはクルスも同じだった。

 まさかこのパウラが情報を漏らしてまで助かろうとするとは思わなかったが、それにも増して明らかに暗殺者であろう目の前の男たちが、このまま生きて帰してくれるとは思わなかったのだ。


 しかし次の言葉を聞いた二人は、頭から冷水を浴びたような恐怖に打たれた。




「……などと、甘いことを言うと思ったか? 我々の姿を見られた以上生かしておくわけにはいかぬ。しかし俺も鬼ではない。ヤツの居場所を吐いた礼として、せめて痛みなく殺してやろう」


 相変わらずボソボソと聞き取りにくいが、それでもその声音からは彼が覆面の下でニヤニヤと笑っているのがわかる。

 格下の相手をいたぶるその姿は決して趣味が良いとは言えず、いままでもそうやって相手を屠って来たのは容易に想像できた。


「は、話が違うじゃない!! アニエスの居場所を教えたら助けてくれるって、さっき――」


 パウラが慌てて反論するが、時すでに遅く、目の前の男以外の三人がその背後で扇状に広がり始める。

 その陣形は、彼らが決してパウラたちを逃がす気がないことを物語っていた。 

 


「死ね!!」


 これ以上会話を続ける気はないらしく、おもむろに覆面男が切り付けて来る。クルスはそれを何とか剣で受けたが、その顔を見る限り余裕はなさそうだった。


「くそっ!! パ、パウラ、お前は家の中へ入れ!! ここは俺が、うがっ!!」


 背後のパウラに気をとられたクルスは、続く二刃、三刃を躱し切れずに全身に切り傷を負っていた。

 しかしそれほど深い傷ではないらしく、彼の構えは依然としてしっかりしている。だがそれは、覆面男が手を抜いているからに違いなかった。


 その証拠に、覆面の隙間から見える男の瞳は、いやらしく笑っていた。



「さぁ、どうする? そろそろ死ぬか? それとも妻が殺されるのをその目で見るか? どっちにする? 選べ」


「くそっ!!」


 男の言葉にはらわたが煮えくり返るような気分を味わうクルスだったが、今の彼には何もできることはない。

 いまも男の気まぐれで生かされているようなものだ。

 彼がその気になればいつでも自分を殺すことが出来る。

 そう思うと、クルスは余計に頭に血が上りそうになった。




「あぁ、アニエスごめんなさい、ごめんさい!! あなたの居場所まで教えて生き残ろうとしたけれどダメだった。あなたならきっと許してくれると思ったのに、これではただの馬鹿だよね!? あたしって卑怯者だよね!? 本当にごめんなさい!!」


 逃げ込んだ家の中で、ふと目に入ったアニエスに貰った人形を握り締めながらパウラは謝罪した。

 そうだ、この人形は彼女に貰ったのだ。

 まるで呪いの人形のような外見をしているが、アニエスはこれを「お守り」だと言ってくれた。


 出会って半日しか一緒にいなかったのに、結婚祝いにと一生懸命この人形を手作りしてくれたのだ。

 そんな彼女を裏切った。

 確かに今はこのお腹の子が一番大事だが、そのためにアニエスを裏切ったのだ。

 この子を救う為にアニエスの居場所を売ったのだ。


 しかし全ては無駄だった。

 もとより相手は情の通じない暗殺者なのだ。それを相手に交渉しようとした自分が馬鹿だった。

 結局アニエスの居場所だけを知られて、自分たちは殺される。

 一縷の望みにかけた結果がこれなのだ。なんと愚かな女なのだろうか。


「アニエス、ごめんなさい、そして助けて!! お願い、助けて!! アニエスぅ!!」

 

 最早もはやパウラに出来る事は何もなかった。

 玄関で戦っている夫を置いて逃げたとしても、この膨らんだお腹では早く走ることはできない。きっとすぐに捕まってしまうだろう。

 そして自分は殺されるのだ。このお腹の子と一緒に。



 玄関からは絶えず夫の叫び声が聞こえて来る。

 いまはまだ何とか戦えているようだが、相手が本気を出した瞬間に彼は殺されるだろう。

 その言いようのない焦燥感と絶望感に包まれながらアニエスの人形を握り締めていると、突然前触れもなくそれは音を出した。


「ギギギ……」



 その音に驚いたパウラが慌てて人形を地面に放ると、それはまるで生きているかのようにすっくと立ち上がったのだった。

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