第36話 魔女と妖精の女王

 そんなやり取りが暫く続けられた後、三匹のピクシーはやっとリタに対する警戒心を緩めた。するとそのうちの一匹が恐る恐る近づいてくる。

 それは三匹の中では一番お喋りで、見た目も快活そうなピクシーだった。

 まるで昆虫のような羽を羽ばたかせて、淡く緑色に光る身体を宙に浮かせながらリタに近づいてくるとおずおずと口を開いた。


「あなたは魔女? 魔女なの?」


 リタのような小さな幼児を指差して「魔女なのか」と訊いてくるのは少しおかしく聞こえたが、そもそも人間の年齢を見た目で判断できるわけもない彼女たちにそれを言うのは酷というものだろう。



 彼女たち妖精族は、目の前の対象をその外見以外に内面の魔力の形で識別していると聞く。

 全く魔力がないと思っている人間でも微量ながらその内面には魔力を宿しているので、彼女たちはその形でリタやその両親を見分けているのだ。


 魔力の形を見るとその大きさも同時にわかるらしく、ずば抜けた魔力量を誇るリタをピクシーは魔女だと思ったようだ。

 それはまさに核心を突いた質問だったのでいささか面食らったリタは、果たしてどう答えようかと一瞬悩んでしまう。

 しかし全く事情を知らない両親の手前、その質問に対してリタは正直に答えることはできなかった。


「ち、違うろ。わちは魔女ではないろ。何故なじぇにそないなこと訊く?」

 

「……ふぅん、違うんだ…… でも母様かあさまはあなたを友達って言ってた。うん、言ってた。友達って言ってた」


「そ、そりぇは、何かの間違いなんか? わちは、おまぁのかかしゃまなんぞ、知らんし」



 『母様かあさま』とは恐らくピクシーたちの生みの親である「女王ピクシー」のことを指しているのだろう。


 実は山で迷子になった時、リタは女王ピクシーと知り合っていた。

 道案内を頼もうと思ったリタが森で知り合ったピクシーに女王を案内してもらった時に、彼女の方からリタの魔力の大きさに興味を持ってきたからだ。


 女王にしてもリタほどの大きさの魔力を持つ人間に出会ったことがなかったらしく、彼女は興味深々にリタの話を聞きたがった。

 しかしさすがに本当のことを言うわけにもいかず、リタは適当に話を濁したのだが、それでも彼女はリタとの繋がりを持ちたがった。


 妖精である女王ピクシーにとって、リタの溢れるほどの大きな魔力は魅力的に映るらしい。

 真意は不明だが、一族のいざという時のために彼女は大きな魔力持ちの知り合いを得たかったのかもしれない。

 何故なら魔力は妖精族の命の源だからだ。

 今後何か困った時のために、リタと友好関係を築いておきたかったのだろう。


 女王ピクシーと友好関係を結ぶことに特に不利益はなかったので、リタは道案内を頼む代わりに女王の申し出を受け入れたというわけだった。


 恐らく、このピクシーはその時のことを言っているのだろう。


 

「……ま、いっか。なんでもいっか。でも凄いの、あなたの魔力。とっても大きい。すごく大きいよ。見たことないくらい。うん、見たことない」


「そ、そんなに? わちは、それほどでもないと思うがのぉ……」


「あなたの魔力おっきいよ。見たことないくらい。魔女の母様かあさまになれるくらい、おっきいよ。すっごくおっきい」


 悪戯好きそうな顔に驚きの表情を張り付けて、お喋りピクシーが大きな口を開けて頷いている。


「うん、うん。あなたの魔力なら、ティターニア様と、お会いできるかも。うん、うん、できるかも」


「そ、そうかのぉ……」


「そう、そう。とにかく、すっごい魔力よ。こんな人間もいるんだね。うん、うん。いるんだね」



 『ティターニア』とは全ての妖精族を統べる女王の名前だ。

 ピクシーの母親である『女王ピクシー』も、もちろん彼女に対して従属の掟の下に生かされている。そして人間でティターニアに会ったことのある者は殆どいないとされていた。

  

 リタが前世のアニエスだった時にティターニアの名前を文献で知り、以前から一度会ってみたいと思っていた。

 そしていま、ピクシーの口から彼女の名前が出たついでに、その話をもう少し詳しく聞いてみたいと思ったのも事実だ。

 しかし横でエメが聞いているこの状況ではこれ以上この話をすることはできない。

 かくしてリタは、断腸の思いでこの話をここで終わりにすることにした。




それしょれしょうと、おまぁらは、なじぇここにいるろ? 村には帰らんのか?」


「だって、雨に濡れたら羽が痛んじゃうし。そう、そう、痛んじゃうし。そしたら困るもの」


「あたしも雨は嫌いよ。うんうん、嫌いよ。羽を濡らしたら、母様に叱られるし。母様優しいけど、時々怖いし。うん、優しいけど怖いし」


「でもでも、このまま朝に帰っても、きっと母様怖いよ。きっと怖いよ。たくさん、たくさん、叱られる。きっと叱られる」


 お喋りピクシーの後に続いて、残りの二匹も声を上げ始める。

 そのピーピーと甲高い話し声は、小鳥がさえずるのにとても良く似ていた。



 一般にピクシーは森の奥深くに小さな集落――コロニーを作って住んでいる。

 彼女たちに性別はなく皆同じ幼女のような外観をしており、全員が同じ母親――性別がないので、正確には母親ではないが――から生まれるのだ。


 そしてその「母親」は「女王ピクシー」と言われる一際ひときわ大きな個体だ。


 コロニーの中央にいる「女王ピクシー」が一族の生みの親であり、彼女の子供である他のピクシーたちは、コロニーの維持と食糧の確保のために働いている。

 働くと言っても、その外見同様に人間の幼女程度の知能しか持たない彼女たちは、森の中を飛び回りながら一日中ふらふらと遊んでいるようなものなのだが。


 以上のことを考えると、ピクシーの生態は昆虫の蟻や蜂に似ているのかもしれない。


 

 そしていまここにいるピクシー三人娘は、日が暮れたというのにコロニーから遠く離れて、ふらふらと遊び歩いていた不良ピクシーなのだろう。

 そう言われてみれば、如何にも身勝手そうな彼女たちからは、協調性の欠片も感じられなかった。


 彼女たちの話しを聞く限り、このまま朝帰りをすると女王にこっぴどく叱られるらしい。

 これから自分たちを待ち受ける運命に気付いたピクシーたちは、突然青い顔をしながら元気がなくなってしまう。

 その姿は、調子に乗って朝帰りをしたものの、母親に見つかってこっぴどく叱られる年頃の娘のように見えた。


 一匹のピクシーがリタと打ち解けたのを切っ掛けにして、残りの二匹もリタとエメとも仲良くなった。

 お腹もいっぱいになって警戒心を解いた彼女たちは、暖かい焚火の近くでリタのお気に入りのぬいぐるみの上に横になると、無防備な姿を晒して眠りこけてしまうのだった。





 目を覚ましたフェルは、目の前で三匹の妖精がいびきをかいて眠っているのに気が付くと、思わず驚きの声を上げそうになった。

 しかしエメから事情を聞くと、すぐに納得して彼女たちを受け入れた。


 夜が明けるまで、あと数時間はある。

 ちょうど同時に目を覚まして、それから目が冴えてしまったエメとフェルは、焚火の番をしながら今後の話をし始めた。


「それで、実家を頼る気持ちに変わりはないの? あんな形で飛び出して来たのだから、なんと言われるか……」 

  

 なんとも形容のしようがない渋い顔をしながらエメが尋ねると、フェルも同じような顔をしながら答えた。


「いや、もう我々の立場などどうでもいいだろう。とにかく今はリタの身が最優先なんだ。どんなことがあっても、この子は絶対に守り抜かなければならない。そのためであれば、実家を頼ることもやぶさかではないよ。両親とはあんな別れ方をしてしまったが、この子に罪はないんだ。父も母も、きっとリタのことは受け入れてくれるはずだよ」


「そうね…… あの方たちにしてみれば、血の繋がった可愛い孫なんだもの。きっと守ってくれるわ。それに今後を考えると、あなたの実家に預けるのが一番安全だし」


「あぁ、そのとおりだ。あそこがこの子には一番だ。私たちの処遇は些か難しいかもしれないが、それは甘んじて受け入れるしかないだろう。いいね? エメラルダ」


「えぇ。それは大丈夫。覚悟しているから。でも、もしもこの子と引き離すと言われたら、私は――」


「大丈夫。それだけは絶対にさせないよ。私の名前にかけて誓うよ。君とリタを引き離すなんて絶対にさせない」


「うん――ありがとう、あなた」




 類まれな魔力と魔法の才能がリタにあるのはわかっている。

 だからそれを育て、伸ばすためには然るべく環境に置いてあげなければいけないのだ。

 しかし自分達に付き合わせてこのまま田舎暮らしを続けることは、せっかくの彼女の才能を潰してしまうことになってしまう。


 親として子供の将来を考えるのは当然だ。

 そうであればこんなところでリタを燻ぶらせてはいけないし、ましてや役人に捕らえられるなど以ての外だ。

 五年前、エメラルダとの関係を両親に反対されたせいで駆け落ち同然に実家を飛び出したが、いま思えばあの時の自分には余裕がなさすぎたのだと今更ながらに思うのだ。


 若くて世間知らずだったあの時の自分は、視野が狭く、不寛容で、身勝手だった。

 エメラルダと一緒になり、その後にリタが生まれたことには今でも一欠片ひとかけらの悔いもないが、昔の自分の未熟さを思うと後悔が先に立ってくるのも事実だ。


 あんな飛び出し方をして今さら両親に合わせる顔もないが、とにかく今は我が子の身の安全が最優先だ。

 そのためならばこんな頭など何度だって下げられるし、なんなら土下座だってやぶさかではない。


 リタが無事に受け入れられた後は、いかなる罰も受ける覚悟だ。

 出て行けと言われれば出ていくことも厭わない。

 今はただリタの安全と、エメをこの子の近くに置いてあげることさえできればそれでいい。

 

 ゆるゆると小さく燃える焚火の炎を見つめながら、フェル――フェルディナンドは密かに決意をするのだった。





「あのね、あなた。さっきこの子たちが言っていたんだけど――」


 小さなあくびを噛み殺しながら、急に思い出したようにエメが口を開く。

 彼女は目の前で眠りこけている三匹のピクシーを小さく指差していた。


「んっ? なんだい?」


「どうやらリタの魔法の力――魔力? は、とても大きいらしいのよ」


「ピクシーがそう言っていたのかい?」


「えぇ。この子たちがそう言っていたの。どうやらわかるらしいわね、そんなことが」


 エメの説明を聞いて、暫くフェルは何かを考えているようだった。

 そして何か思い当たることがあったらしく、納得したような顔をすると妻に向かって微笑んだ。


「……あぁ、そうだな。妖精は外見ではなく魔力の形で相手を見ていると聞いたことがある。私も君も魔力保有者ではないが、どんな人間でも微量の魔力は持っているらしい。この子たちはそれを見ているんだろう」


「――あぁ、そうなのね、知らなかった。あなたにも私にも魔力があるのね」


「そうだよ。微量過ぎて計測不能だがね。しかし妖精には見えるらしいな」


「そうなんだ…… それでさっき言われたんだけど、リタは女王になれるほどの魔力を持っているって」


「女王? 誰のことだ?」


 フェルが怪訝な顔をした。

 彼とても今の言葉を咄嗟に理解することができなかったらしい。


「まぁ、それは比喩なんでしょうけれど。つまり国で一番という意味じゃないかしら。彼女たちにとっての女王って、『女王ピクシー』のことなんでしょう? きっと」


「そうだな。恐らくそうだろう。つまりリタは、彼女たちの言うところの『女王』――つまり国の一番偉い魔法使い……えぇと、宮廷魔術師と言うのか? それになれるほどって言う意味なんじゃないのかな」


「えぇ、きっとそうなんだと思う。それともう一つ」


「うん」


「リタなら『ティターニア様』にも会えるかもって。――ティターニア様って誰かしら。あなた知ってる?」


「なにっ!? ティターニアだって!? ……まさか、それほどなのか……?」



 夫婦の間で眠りこける愛娘の顔を見つめながら、フェルは驚きの表情を顔に張り付けていた。

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