第35話 冷たい雨と森の妖精

 裏山を延びる林道を歩き続けたリタ家の三人だったが、やはりと言うべきか、途中でフェルの具合が芳しくなくなった。

 決して口には出さなかったが、浅く早い呼吸と、白を通り越して青くなった顔色を見る限りフェルの体調は最悪に見えた。


 その様子を心配したエメが休憩を勧めたのだが、彼は頑として言うことを聞かなかった。

 あのハゲた庶務調査官が仲間を引き連れて戻って来るまで、あと五日ほどある。

 しかしフェルたちの目的地までは領都を抜けていかなければならないので、むしろ彼らのいる方へ近づいていることになる。


 だからその予想は当てにならず、下手をすればゲプハルト一行と途中で鉢合わせをする可能性すらあった。

 しかし山越えをして時間を稼ごうとしたのが裏目に出たらしく、体調がもとに戻っていないフェルは山道で早速息を切らしてしまったのだった。



「あなた、お願いだから休んでちょうだい。無理をして倒れでもしたら、それこそ身動きができなくなってしまうわ」


「……わかってる。しかしそうも言っていられないだろう。ここで少しでも時間を稼がなければ――」


「かかしゃまの言うことは聞かんならん。ここでととしゃまが倒れたら、この荷物は誰が持つのじゃ? わちか? しょれこそここで足止めじゃ。もうしゅこし素直になったほうがええ」


 母親の援護をするように、上目遣いのリタが父親に言い募る。

 その言葉はまさに正論で、およそ四歳児の言葉とは思えなかった。


「あぁ、そうだな。リタの言う通りだな。でももう少しだけ頑張るよ。あとで必ず休憩するから。約束する」


 優し気な外見に反して意外と頑固なフェルは、口ではそう言いながらリタの小さな金色の頭をわしゃわしゃとかき混ぜた。



 そうこうしているうちに雲行きが怪しくなり、辺りには次第に冷たい雨が降り始める。

 時刻は既に夕刻で、そろそろ今夜の寝床を探す時間になっていたが、未だ適当な場所を見つけられないまま三人は雨に身体を濡らしていた。


 あと半月もすれば雪が降り始めるほどの気温なのだから、外で雨に濡れてしまえばそれだけで体力も体温も奪われてしまう。だから早急に雨風から身を守る場所を探さなければいけないのだが、未だそんな場所も見つけられないままだった。


 このままでは、雨に濡れながら夜を越すことになる。

 早朝には一桁代まで気温が下がり始めたこの季節にそれだけは絶対に避けなければならないが、焦るフェルとエメが周囲をいくら探っても適当な場所が見つからない。

 その後も無慈悲に時間だけが過ぎていき、彼らの厚手の洋服も冷たい雨を吸ってずっしりと重くなってきた。


 この状態で一晩越せば、確実に風邪をひいてしまうだろうし、リタのような体力のない幼児や、病み上がりのフェルはそれだけで命に関わるかもしれない。

 しかし焦れば焦るほど身を隠せる場所は見つからなかった。


   

 そんな時、リタは見覚えのある風景にピンと来ていた。

 そして両親に向かって大きな声で叫ぶ。


「ととしゃま!! かかしゃま!! 良い場所を思いちゅいた!! わちにちゅいて来るのじゃ!!」 


「ど、どうしたんだ、リタ!?」


「なに? どうしたの?」


「えぇから、わちにちゅいてくりぇばわかる!! 早うせぇ!!」


 両親の呼び声にも一切構うことなく、リタがどんどん道から外れて森の中へと歩いて行ってしまうと、その背中を追うようにして慌てて両親が付いて行ったのだった。




 リタが思いついた場所――それは以前卵を強奪したオウルベアの巣だった。

 そこは二頭の中型魔獣のつがいが一緒に入れるほどの大きさの木のうろで、ここであれば三人でも十分な広さがある。

 そして全員が足を伸ばして眠れるほどの奥行きもあるので、ここであれば雨風も十分に凌げるだろう。


 あの二頭のオウルベアはとっくの昔に逃げて出していたので、他の動物が入り込んでさえいなければ、そこで夜を明かせるはずだ。

 急遽それを思い出したリタは、戸惑う両親を尻目にスタスタとまっすぐそこへ向かって歩いて行った。



 両親を先導するように迷いなく目的の木のうろに到着すると、おもむろにリタはその中を覗き込む。

 中に残った魔獣の匂いを敏感に感じ取った動物たちは、警戒して近くに寄り付かないのだろう。どうやら洞に入り込んだ動物はいないようだった。

 もっともオウルベアが出て行ってから既に半年以上経っているので、巣の中の獣臭は人間の鼻には特段気になるほどでもなかったのだが。

 

 木の洞を見た両親は、ここであれば十分に夜を明かせると判断して早速そこへ荷物を置く。それから口々にリタのお手柄を褒め称えた。

 その後、すっかり水を吸って重くなった上着を脱いで、焚火を焚いて乾かし始めた。


 木の洞の入り口に大きな布を吊るして外気の侵入を防ぐと、焚火だけでも十分に暖を取ることができた。これならば、濡れた服も翌朝までには乾くだろう。

 そこでやっと人心地付いた三人は、一つの毛布に身を寄せ合うと、互いの身体を温め合いながら持ってきた食糧を齧り始めた。





 身体が温まって満腹になり、疲れて眠くなった三人がウトウトと船を漕いでいると、布の隙間から洞の中を覗き見る視線にエメだけが気付いた。

 警戒しながら目を凝らしてよく見ると、それはとても小さな鳥のようだった。体長は10センチ程度だろうか、それは小さな羽を羽ばたかせて宙に浮かんでいる。

 不思議に思った彼女は、寝たふりをしながら薄目を開けて様子を探ってみることにしたのだった。



 それは、森の妖精「ピクシー」だった。

 全身から淡い緑色の光を放つその姿は、以前エメも見たことがあるものだ。

 山の中で行方不明になったリタを道案内してくれた時に、彼ら――ピクシーは人間の幼女に似た外見なので、この場合は「彼女たち」だろうか――の姿を初めて見たエメは驚いたのを思い出す。


 そんなピクシーが、木の洞の中を覗き込んでいた。

 それも三匹も。


 彼女たちはこちらの様子を伺いながら、ひそひそと何か相談している。

 しかしいくらエメが耳を澄ませて聞き入っても、その会話を聞き取ることはできなかった。しかしその様子からは彼女たちが洞の中に入りたがっているように見えた。

 その証拠にピクシーたちは冷たい雨を嫌って洞の入り口で雨宿りをしながら、奥に眠るエメたちを盛んに気にしているように見えたのだ。



 そこでエメにはピンときた。

 どうやらここは彼女たちの雨宿り場所になっているのではないだろうか。

 降り出した雨から逃れるようにここに来てみたが、先客――自分たちがいたために戸惑っていたのだ。


 ピクシーと言えばリタだ。

 彼女はピクシーの加護を受けているとフェルも言っていたし、リタであればピクシーたちと話ができるのではないか。

 そう思ったエメは、疲れていて少し可哀想だとは思ったが、隣でウトウトと頭を揺らしているリタの肩をゆすってみたのだった。



「ねぇ、リタ。あそこを見てごらん。あの子たちって、ピクシーじゃない? ほら、見てごらん」


 覗き込むピクシーを指差しながらエメがリタに声をかけると、彼女はピクリと肩を揺らして目を覚ます。

 眠そうにあくびをしながら、母親の指の先に視線を向けた。 


「うーん……かかしゃま、なんぞ……? ――むむっ、ありぇはピクシーかの?」


「きっとそうよ。身体が緑色に光っているし。前にあなたを助けてくれた子たちじゃない?」


「おぉ、ありゃぁピクシーじゃのぉ。これほど人間に寄ってくりゅのは珍しい。ふむぅ、いちゅ見てもかわええのぉ。――ほれ、こっちこんね、ほれほれ」


 ピクシーを見つけると、リタは満面の笑みで手招きをする。

 やはり小さな女の子は可愛いものが大好きらしい。

 もっとも人間の幼女のようなピクシーの外見は、たとえそれが妖精や魔獣に属する生き物だとしても、エメにしても可愛らしいと思ってしまうほどだったのだが。


 しかし二人の人間に気付かれて声をかけられた彼女たちは、入り口の布の裏に姿を隠してしまう。

 しかし外では相変わらず冷たい雨が降っているので、外には逃げていくことができずに洞の入り口で右往左往しているだけだった。

 同時に複数の甲高い声が聞こえてくるところをみると、彼女たちは何かを話し合っているらしい。


 しかしいくら待っても姿を現さないピクシーに焦れたリタは、突然ニンマリと笑いを浮かべると、背負い袋から一つのリンゴを取り出す。

 そしてそれを入り口の近くにそっと置いてみた。



 それから暫く様子を見ていると、布の隙間から様子を伺っていたピクシーのうちの一匹が、リンゴの香りに惹かれるようにふらふらと中へと入ってくる。

 そしておもむろに床に置かれリンゴにかぶりつき始めた。


 小さな幼女のような見た目の妖精が一心不乱にリンゴを齧る様子はとても可愛らしく、その姿を眺めているだけでもエメとリタの心は癒されていた。

 ここ数日の出来事ですっかり荒んでいた二人の心には、その淡く緑色に光る愛らしい妖精の姿はまさになごみそのものだったのだ。


 そしてリタ親子がぼんやりとその愛らしい姿を眺めていると、残りの二匹の妖精も次々に姿を現したのだった。




「おぉ、久しいのぉ。おまぁら、元気にしちょったかの?」

 

 自分の身体と同じくらいの大きさのリンゴを一心不乱に齧るピクシー三匹に、リタが小声で声をかけた。

 それは突然大きな声をかけると驚くと思ったリタが気を遣ったのだが、それでも三匹のピクシーは全身をびくりと震わせると、動きを止めてリタの顔を凝視している。

 そんな彼女たちを怖がらせないように、尚も小声でリタは声をかけた。


「のぉ、わちじゃよ、わち。憶えちょるかのぉ? 前に道案内をしてくれたじゃろ?」


 リタの問いかけに、互いに顔を見合わせながら妖精たちは一斉に声を上げ始める。

 その声はとても甲高く、どこか小鳥のさえずりにも似ていた。 



「ねぇ、ねぇ、知ってる? あの子、知ってる?」


「知らない、知らない。あたし知らない。あんな子知らない」


「わたしは知ってる、知ってる。あの子知ってる」


「えっ? 知ってるの? ほんとにほんと?」


「ほんとにほんと。わたしあの子知ってる」


「なんでなんで? なんで知ってるの?」


母様かあさまにお願いされたの。森の外まで送ってって。昔の昔」


「昔の昔? どうしてどうして?」


母様かあさまのお友達だって言ってた。お友達だって、お友達」


「ほんとのほんと? 母様の友達ってほんと?」


「ほんとにほんとだね、とっても強い魔力が見えるよ。これは母様と同じだね。母様と同じ」


「あっ、ほんとだ。あの子は魔法使い? 魔女かな? 魔女かな?」


「魔女だよ、魔女。きっとね、きっと」


「それじゃあお友達だね、お友達」


「そうだね、そうだね」


 ……


 ……



 ピクシーたちのヒソヒソ話は飽きることなく続いていたが、毛布に包まる以外に特にすることもなかったリタとエメは、そんな愛らしい妖精たちの姿をただぼんやりと眺めていたのだった。

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