第37話 無力な勇者

「なにっ!? ティターニアだって!? ……まさか、それほどなのか……?」


 エメの言葉に、フェルは驚きの顔で返す。

 それからまるで信じられないと言った表情で、眠りこける娘を見つめていた。

 そんな夫の様子を怪訝な顔で見ながらエメが質問を続ける。


「ティターニアって誰? なんだかとても偉い人みたいだけど……」


「あぁ、すまない。『ティターニア』というのは、全ての妖精族を統べる女王だよ。その姿は絶世の美女と言われていて、いままでにも多くの人間が彼女に会おうとしたんだが、その姿を見た者は殆どいないそうだ」


「……『女王ピクシー』とはまた違うの?」


「あぁ、全然違うよ。『ティターニア』と言えば、ピクシーも含めたすべての妖精族――ライトエルフやダークエルフ、ムリアン、コリガン……ピクシーもそうだな、その他にも色々な種族がいるが、『ティターニア』はそれらの種族を束ねている、まさに女王の中の女王とも言える存在だ」


「えぇ……!? そんなに凄い人……人ではないわね――女王に会えるって……どういうこと? それにはどんな意味があるの?」


 口では驚いているが、エメはその言葉の持つ意味を今一つ理解できていないようだ。些か困惑気味の顔で再度訊き返した。


「そうだな……ティターニアに会おうと思っても、彼女の方からそれを許さない限り絶対に姿を見せることはないと言われている。男はまず門前払いだし、たとえ女であっても、彼女がその価値を認める者にしか声も聞かせないらしい」


「へぇ…… 随分と気難しいのね」


「まぁ、そう言われるとそうなのかもな。とにかく記録に残っている限り、ティターニアの姿を見たり会ったりした人間は、これまでに数人しかいないんじゃないかな。そして彼女が姿を見せるということは、その人間の魔法の才能と魔力の大きさを認めるに等しいと言われている」


「――凄いじゃない!! それじゃあリタも、将来そうなれるかもしれないと言うこと?」




 正確に言うと、これまでティターニアに会えた人間は三人だけだ。

 一番最近では、今から約三百年前に当時最強との呼び名も高かった魔女「シャンタル」の前に、ティターニアのほうから姿を見せた時だった。


 当時真っ二つに勢力が分かれていた妖精界は、常に諍いが絶えなかった。

 そんな妖精界の現状に憂いを抱いたティターニアが、当時中立だった人族の魔女に仲裁の協力を要請したのだ。

 そしてその謝礼として望みを聞き入れられたシャンタルは、妖精界への移住が許された。


 それまでその存在さえ疑問視されて、ともすれば神話の世界の住人とすら思われていたティターニアだったが、その出来事をきっかけにその実在が確認されたのだ。


 しかし彼女が人間の前に姿を現したのは、その時が最後だった。

 それ以来、どんなに人間が望んでも彼女は決してその美しい姿を見せることはなかったのだ。


 そんな奇跡のような存在に認められるほどの力を有しているかもしれない。

 リタはそう言われたのだ。

 もっとも妖精族の中でも最底辺に位置するピクシーの言うことなので、それがどこまで信用できるかはわからないが、善の妖精が嘘をついた話は今まで聞いたことがないので、それはある程度信用できるのかもしれない。



 ティターニアに会える会えないは別にして、妖精をしてそこまでの力を持つと言わしめたリタなのだ。そんな彼女をこのまま田舎で燻ぶらせるわけにはいかないだろう。

 それだけの才能を持つのであれば、それを伸ばすために早い時期から然るべく指導を行わなければならないだろうし、そうすることが親の責務だ。


 そしていまの自分達にそれは不可能だ。

 能力を伸ばすにしても、教育を施すにしても、自分達にそれができないのであれば、国の機関に入れるか家庭教師をつけるしかない。

 国の機関に入れれば当然リタとは離れ離れになってしまうが、家庭教師であればリタは手元に置いて置ける。

 

 そうするのであれば、やはり実家の両親を頼るしかない。

 リタを正式なレンテリア家の一員として認めてもらえれば、身の安全は保障されるし、教育も施すこともできる。

 なにより彼女を手元に置いて置ける。


 何はともあれ、今のフェルとエメにはリタと離れるなど想像できないし、絶対に許せないことだ。そのためならば、実家にこの頭を下げるなど造作もないことだろう。


 次第に口数も少なくなったフェルとエメは、夜明けまでの数時間、延々と同じことを考え続けていたのだった。




 ――――




「よう、ケビン。子供ができたんだってな、おめでとう」


「ありがとう、セシリオ。――ちょっと気が早い気もするが、とにかく嬉しいよ」


 ここは王城内にあるケビンの私室だ。

 いま彼はブルゴー王国騎士団長セシリオを始め、かつての魔王討伐の仲間たちと面会しているところだ。


 魔王討伐で一緒だったセシリオたちとは、初夏にアニエス生存の報を知らせて以来ずっと会っていなかった。

 互いに仕事で忙しかったと言うのもあるが、第二王女と結婚したケビンの身分が、彼らには気軽に面会できるものではなくなっていたのが一番の理由だ。

 

 いまのケビンの立場は、王族の親戚だ。

 形式上は第二王女を娶った形になっているので、王籍を外れたエルミニアはケビンの家名を名乗るようになった。

 それでも王族に所縁の人間であることに変わりはなく、王族の証であるミドルネーム「フル」もそのまま名前の一部に残ってはいるのだが。


 もともとケビンは平民出身なのだが、魔王討伐の恩賞として貴族の家名を貰っていた。

 その目的はもちろん第二王女エルミニアと結婚するためだ。

 ケビンはそれに相応しい地位を手に入れるために、王族所縁の有力貴族「コンテスティ家」の養子となったのだ。


 もちろん王族との強い繋がりを維持したいコンテスティ家の思惑もあったのだろうが、そのおかげでケビンはエルミニアと遂に夫婦となることができた。

 だから今のエルミニアの名前は、「エルミニア・フル・コンテスティ」だ。



 そんなエルミニアがついに懐妊した。

 結婚後五か月での妊娠が早いか遅いかは別にして、この知らせは六月の結婚に続いてまたもや国中にお祝いムードを盛り上げていたのだ。

 そして今日、セシリオはその祝いの言葉を伝える名目で、かつての仲間、チェスとデボラを伴ってケビンの私室を訪ねていたのだった。


「とにかくおめでとう。安定期に入るのはもう少し先だからな。姫さん――じゃなかった、奥方を大事にするんだぞ」


「そうよ。エルミニア様を大事にしてよ。彼女、とってもいい子なんだから」


 相変わらず壁にもたれた姿勢のまま、諜報・特殊工作隊所属のデボラも口を開く。


「もうデボラ!! 仮にも公爵家の奥方に向かって『いい子』はないでしょう? 不敬になるわよ」


 デボラの言い草が気になったのか、聖教会所属の女僧侶チェスが注意をする。


「はいはい、ごめんなさいね。――相変わらずチェスは固いわねぇ。そんなんだから、幾つになっても彼氏ができないのよ。今幾つだっけ? 19だっけ?」


「わ、私は神職に就く身です!! か、彼氏なんて一生必要ありません!!」


「そう言いながら、寂しい一人寝の時はどうするの? 自分で慰めるの?」


「な、な、な、何を言うのです!? そ、そ、そんないやらしいこと、私はしません!! 全ては神の思し召しなのです。一人寝が寂しいなんて思ったことはありません!!」


「いいからいいから。お姉さんにはわかっているのよ。魔王討伐の時に、あなたは夜中にこっそりと――」


「な、な、な、なにを――」


「ふふふ…… あたしは知ってるわよぉ、皆が寝ていると思って、あなたはその指をそっと――」


「いやぁー、やめてぇー!! それ以上言わないでぇー!!」




 相変わらず漫才のような女二人のやり取りに小さな溜息を吐きながら、ケビンは話を続けた。


「あぁ、わかってる。エルには十分言い聞かせてあるから」


「でもよ、それにしては少しできるのが遅かったんじゃないか?」


「えっ? なにがだ?」


「色々と噂は聞いているぞ。お前毎朝のように、起こしに来る侍女を追い返しているそうだな。夜だけでは飽き足らずに、朝っぱらからお盛んらしいじゃないか。 ……一日最低二回だとして、式からもう六か月か……30×2×――」


「や、やめろっ!! な、生々しい計算をするんじゃない!!」 

 

 三十六歳の王国騎士団団長セシリオの顔に、中年特有のニヤニヤとしたいやらしい笑みが浮かぶ。

 その顔を見たケビンは慌てて大声をあげたが、その脳裏には愛らしい妻のあられもない姿が広がっていた。

 そしてその映像を振り払うかのように、ケビンは激しく頭を振った。



「えっ、なになに!? もう少し詳しく!! 詳細に!! 突き詰めて!!」


 それまで顔を真っ赤にして悲鳴を上げるチェスをいじくって遊んでいたデボラだったが、新たなターゲットとしてケビンを選んだようだ。

 もの凄い食い付きでケビンとエルミニアの夜の生活の話を広げようとしている。


「デ、デボラ、君もやめてくれ!! そんなこと人に話せるわけないだろ!?」


 などと言いながら、相変わらずエルミニアの肌色の映像が頭から離れなくなってしまったケビンだった。





「とまぁ、冗談はさて置いてだな。そろそろ本題に入ろうか」


 顔を真っ赤にして大声を上げ始めた二人に向かって軽く鼻息を吐くと、突然表情を改めてセシリオが場の空気を入れ替える。

 アニエスを除いた魔王討伐のメンバーが今日ここに集まったのは、なにもエルミニア懐妊の祝いの言葉を伝えるためではなかった。

 もちろん名目上はそうなってはいたのだが。


「ふぅ…… それでは、ばば様の件だが――」


 セシリオの言葉に、助かったと言わんばかりに安堵の表情を浮かべたケビンが改まったように口を開いた。


「ばば様の居場所を知っているギルド員を、セブリアン殿下の手の者がついに突き止めたらしい」


「なに? それはヤバいんじゃないのか? そいつら拉致られて吐かされるだろ」


「だろうな。殿下の目的がばば様の暗殺だとすれば、居場所がわかればそのギルド員もすぐに殺すだろうな」


「それじゃあ、すぐに知らせないといけないじゃないですか!? むざむざ見殺しになんてできません!!」


 僧侶らしく正義感に溢れるチェスが、思わず大きな声をあげる。

 生来生真面目な彼女は、正義にもとる行為が絶対に許せないのだ。



「大丈夫だ。すでにハサール王国のギルドを通して警告は送ってある。あとは彼らが無事に逃げてくれることを祈るだけだ」


「――つまり、結局それは本人任せと言うことなのね」


 片方の口角だけを上げた皮肉そうな表情を作りながら、デボラが口を挟む。

 それが自分達に向けられたものなのか、ギルドの非力さに対してなのか、それともその両方なのか、彼女の表情だけでは判断がつかなかった。


「仕方ないだろう。所詮は他国の話なんだ。まさかブルゴー王国の名前で動くわけにもいかないし、かといってギルドに護衛は頼めないからな」


 筋肉の隆々とした太い両腕を組みながらセシリオが答えると、彼の顔にもデボラと同じような表情が浮かんでいる。

 そしてよく見ると、残りの二人も同様の表情を浮かべていた。




 冒険者ギルドは何処の国にも属さない独立した組織として各国から認められている。そのおかげでギルド員であればパスを見せるだけで国境を容易に超えて活動できるのだ。

 その代わり彼らは、武力行使を伴う他国からの依頼は一切受けることはない。


 それは彼らが何処の国の味方もしない独立性の担保として、厳しく自身に課しているからだ。

 もちろん魔獣退治や盗賊討伐などの治安維持に絡むような依頼は別だが、政治的な問題が絡むような自国外からの依頼はタブーとされている。


 つまりギルドは、自ら武力行使を行うような他国からの依頼を受けることができないし、しないのだ。

 だから今回の件でも、ブルゴー王国の依頼によってハサール王国内のギルド員の保護といった依頼もすることができない。

 何故ならそれは、犯人側がブルゴー王国関係者であるからだ。


 ただし、ギルドとしても自組織のギルド員の安全は確保しなければならないので、当事者には口頭で危険は伝えると約束はしてくれた。

 そしてケビンも含めて、今回の件で彼らができることは精々その程度でしかなかったのだ。



「ばば様を見つけてくれたギルド員は、とにかく俺にとっては恩人なんだ。そんな彼らが危険な目に合うのを、手をこまねいて見ているしかないと言うのもな……」


「あぁ、その通りだな。なんとか無事に逃げてくれればいいのだが……」


 アニエスを見つけた人物は、この場にいる全員にとって恩人といえるものだ。

 しかしその人物に危険が迫っていることがわかっていながら、自分たちは何もすることができない。


 そんな無力感に包まれた表情を浮かべながら、この場にいる全員がハサール王国のある方角を見つめていたのだった。

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