第24話 母親の説教

 結局リタはブルゴー王国にはまだ帰らない、帰るとしても当分先だろうと冒険者二人に伝えた。

 その理由は幾つかあるが、まず第一に魔国の侵攻は暫くないだろうと予測したからだ。



 王国にとって当面の脅威であった魔国は、次の魔王選出で相当揉めているらしい。

 死ぬ間際の先代魔王が言っていた通り、彼が直々に後継者として育てていた人材がいるらしいのだが、先代魔王亡き今となってはその遺志は聞き遂げられず、力を欲する他の勢力の台頭を許してしまっていた。


 世襲制のブルゴー王国とは違い、魔国の王――魔王は一般の魔族の中から選ばれる。

 つまりは立候補による選出なのだ。

 そして魔王として選ばれる基準は至極簡単だ。

 それは「強さと統率力」だった。



 もちろん魔王として個人の戦闘能力も重要視されるが、それ以上に多くの魔族を従えるカリスマ性や大軍を率いる統率力、そして国を治める政治力などが求められる。

 そしていざ選ばれたとしても、その能力が不足していると思われると容赦なくその地位から引き摺り降ろされてしまうのだ。

 だから生まれと血筋のみで国を引き継いでいく人間の王国などよりも、ある意味よっぽど優れた人材による統治が実現されているとも言えるだろう。


 そんな魔国が、次代の魔王選出を巡って国内で争っているらしい。

 先代魔王の派閥と反先代魔王派閥の間の小競り合いがエスカレートして、よもや内戦勃発かと言われている。

 だから向こう数年は彼らがブルゴー王国へ出兵してくることは考えにくく、当面魔国に関しては様子見になりそうだ。

 だからアニエスは、急いで自国に帰る必要はないと判断したようだった。




 第二に、ブルゴー王国の王室内の問題だ。

 正直に言うと、アニエスはブルゴー王室の跡目争いに関してはどうでも良かった。


 先々代の国王の時代から約百年間もブルゴー王国の宮廷魔術師であり続けたアニエスは、それなりに王室や王族たちに愛着はある。

 現国王のアレハンドロなどは彼が赤ん坊の時から知っているし、若い時には教育係を務めたこともあるほどだ。


 国王個人に思うところはないとは言え、ここ三十年に渡る王室内の確執はアニエスの目に余るものだったし、それに絡めて自身の言動まで注目され続けるのにもほとほと疲れてしまっていた。


 王宮内でそれなりに発言力のあるアニエスが、一体どの陣営に味方するのかは常に注目の的だった。

 もちろん彼女は意識して中立であり続けたし、特定の陣営に力を貸すこともなかった。

 それにここ十年はケビンの養育者兼教育係として忙しい日々を送っていたので、尚のこと王宮内のパワーゲームからは遠ざかっていたのだ。



 しかしアニエス本人に全くその気がなかったとしても、今の彼女は第一王子派、第二王子派に続く第三の派閥、「第二王女派」に属するのだと見られている。

 それは意識して距離を置いている第一王子、第二王子に比べて、第二王女に対してはとても懇意にしていたからだ。


 そしてケビンが第二王女エルミニアと婚約をした時、その立ち位置は決定的なものとなった。

 何故ならアニエスは、ケビンの保護者のような存在だからだ。


 彼女にとってケビンは孫のようなものだ。

 だから孫の妻になる第二王女エルミニアの味方をするのは容易に想像がつくし、実際に第一王子、第二王子に比べると彼女に接する態度の違いは一目でわかるほどだった。

 

 

 第二王女の王位継承権の順位は低い。

 しかし、その愛らしい容姿と可愛げのある性格は国民からの人気が高く、その夫となる勇者ケビンも魔王討伐を成し遂げた英雄として国民で知らぬ者はいないほどの知名度を誇っている。

 

 もちろんその人気は二人の王子の比ではなく、「勇者ケビン」と言えば泣く子も黙る国民的英雄なのだ。

 だからそんな二人が結婚をすれば、その人気にあやかろうとして多くの貴族連中が味方に付くのは想像に難く無い。


 もしもそんな二人がこの先国政に口を出し始めれば、そのバックにつく多くの貴族や国民の人気を考えると決して無視できる存在ではなかった。

 そしてそうなることを、二人の王子はともに怖れているのだ。



 しかしアニエスがいなくなり、その席に第一王子派の魔術師が就いたことによって、王宮内の力関係は今後変わって来るのは間違いない。

 第二王女を溺愛する現国王の立ち位置は変わらないだろうが、これまでアニエスの下にいた魔術師協会は新しい宮廷魔術師――イェルド・ルンドマルクに付くはずだ。


 彼らは宮廷魔術師を敵に回すことの恐ろしさを良く知っているので、必ずイェルドの軍門に下るだろう。

 しかしそれについてアニエスは彼らを責める気はない。

 それは長いものに巻かれなければ生きていけない世界であることを、アニエスが一番よく知っているからだ。


 つまりは変わりつつある王宮内のパワーバランスを考えると、自分がいま急いで帰ったところで余計な混乱を招くだけだと結論付けていたのだ。

 確かにケビンと第二王女エルミニア夫婦に力を貸してあげたいとは思うが、それはある程度今後の道筋が見えてからのほうが都合が良いだろうという判断だった。




  

 最後にリタの両親のことだ。

 

 彼らは転生したアニエスを娘のリタだと思い込んでいる。

 そしてアニエス――リタは今後も彼らに真実を知らせるつもりはない。


 それは死んだ娘が奇跡的に生き返ったのだと彼らが本気で信じているからだ。

 目の前のリタが本物のリタではないことがバレれば、彼らを再び悲しみの底に突き落とすことになる。

 だから絶対に自分の正体がバレてはいけないし、ましてや国に帰るために彼らを置いて行くなど、今のリタにはあり得なかった。



 この幼女の身体に転生してからというもの、精神年齢が徐々に退行しているのを自覚していた。

 本来は老成した212歳であるはずなのに、依り代と言うべきこの四歳児の肉体に合わせるように、精神も幼児化しているのだ。


 このままではあと数年以内に肉体と同じ精神年齢になってしまうだろう。

 果たしてその時でもアニエスとしての自我が残っているのか興味深いところではあるが、自分の身体を使って実験のようなことはしたくない。


 それでも現状この身体から抜け出ることは叶わず、アニエスは今後もリタとして生きて行くしかないのだ。

 幸い自分の中にはリタ本人の記憶も残っているし、ずっと寝たきりだったためにこの先も多少おかしな言動をしても怪しまれることもないだろう。


 

 そして幼児化したアニエスの精神が、エメとフェルを両親として本能的に慕っているのも事実だった。

 物心ついた時から孤児だったアニエスは、自分の本当の両親を知らない。だから親に向ける愛情と言うものが理解できなかった。

 しかしエメとフェルと一緒に暮らす中で、アニエスは二人に対して間違いない家族の愛情を抱いている自分に気付いていた。


 だからいまさら両親と離れることなど考えられなかったし、大好きな両親とこれからもずっと一緒に暮らしたいと心の底から思うようになっていたのだ。

 それは彼女の精神の幼児化が進行している紛れもない証拠と言えた。





 すっかり辺りも暗くなった後にクルスとパウラを伴ってリタが家の前まで帰って来ると、すでにそこには両親が待っていた。

 二人は家の中にいることもできずに、ずっと娘の帰りを待っていたようだ。

 遠くからリタの姿を見つけた彼らが転がるように駆け寄って来ると、そのまま力の限り娘の身体を抱きしめた。

 

 そしてそこから、滔々とうとうと母親の説教が始まったのだった。



「あぁ、リタ、リタ!! こんな時間までどこに行っていたの!? お願いだから、勝手に一人でいなくならないで!! あなたにもしものことがあったら、私たちは生きていけないの。わかるでしょう!?」


「あい……」


「もう…… 黙って一人で出掛けるなんて!! しかもこんなに暗くなるまで帰らないから、とと様もかか様も凄く心配したのよ!! もう少しで村の人達と一緒に探しに出るところだったじゃない!!」


「ごめんなしゃい……」


「いいわね、もう二度とこんなことしちゃだめよ。わかったわね!?」


「うぃ……」


「でもよかった、本当によかった!! 山で魔獣に襲われたのか、川に流されたのか、そんなことばかり考えてしまったわ…… とにかく無事でよかった――」



 エメはリタの身体をがっちりと抱いたまま、何度も言い聞かせるように同じことを繰り返し言い続ける。

 自分たちがとても心配したこと、リタがいなければ自分たちは生きていけないこと、そしてもう二度と勝手に遠く行ってはいけないこと、そんなことを何度も何度も繰り返し言い聞かせたのだ。


 初めはリタも黙って聞いていたが、感情を溢れさせながら涙ながらに語る母親の言葉を聞くうちに、彼女も思わず泣き出し始めた。


「う゛えぇーん、ごめんなしゃいー、もうしま゛しぇーん!!」


 それは決して演技などではなく、心からの涙だった。

 いくら老成した212歳の精神を持つリタであっても、両親の前では単なる四歳児でしかなかったのだ。

 ここに来るまでの道中、クルスとパウラの前ではブルゴー王国の宮廷魔導士然とした態度を崩すことのなかった彼女だが、両親の前では単なる幼児に戻っていた。



「エ、エメ、落ち着きなさい。リタだってこんなに反省しているのだし、もう許してあげないか?」  

 

 泣きじゃくる娘の身体を抱きしめたまま感情を爆発させる妻の肩にそっと手を置くと、フェルは優し気な笑みを浮かべたまま二人に語り掛ける。


「とにかくリタに何事もなくて本当によかった。リタも泣いて反省しているし、エメも言いたいことは全て言っただろう? とりあえず今回はリタが無事に帰って来たんだから、それでいいじゃないか」


「そうね、あなた…… リタももうわかったでしょう? ほら、もう泣き止んで。そんな顔をしていたら、せっかくの可愛い顔が台無しよ」


「う゛ぇーん、ぐすっ、ぐすっ…… あい、ごめんなしゃい……」

 

 優しく自分を見つめる父親の顔と、柔らかく身体を抱きしめる母親の温もりを感じたリタは、あふれ出る涙を拭うとやっと泣き止んだのだった。



 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を母親の胸で拭うと、リタはやっと少し冷静になった。そしてその目で両親を眺めていると、彼らのいつもと違う様子に気付く。


 フェルもエメも全身が汚れていた。

 二人とも膝の高さまで泥に浸かったようになっているし、髪にも服にも、全身に土や枯葉などが纏わりついている。

 その姿から想像するに、恐らく彼らはいなくなったリタの姿を求めて山の中を散々歩き回ったのだろう。二人とも全身が泥だらけになっているうえに、手や顔に幾つもの傷ができていた。


 改めてその姿に気付いたリタは、自分がとんでもなく両親を心配させたことを今更ながらに痛感していたのだった。

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