第25話 結婚の約束

 涙を流しながら娘の身体を抱きしめていたエメだったが、ようやく少し落ち着くと静かにその身体を離した。

 すると、リタの背後に無言で佇む二人の冒険者の姿に気が付いた。


 道の向こうにリタの姿が見えた時から、両親は娘のすぐ隣を歩く見慣れない男女に気付いていた。しかし最愛の娘の無事な姿に気を取られるあまり、すっかりこれまでこの二人の存在を忘れていたのだ。


「あっ…… えぇと、こちらの方は……どちらさま?」


 説明を求めるようにエメがリタの顔を見つめると、やっと思い出したように、慌ててリタが紹介を始めた。


「……迷子になっていたわちを、ちゅれてきてくれた……パウラとクルスじゃ」


 リタの言葉にハッとなった両親は、慌てたように頭を下げて礼をする。

 彼らは娘の恩人らしい。


「あなた方がうちの娘を見つけてくださったのですか? ――これは大変失礼いたしました。娘が無事に帰って来たことに気が動転してしまいまして……」


「あっ、いえ、そんなお気になさらず――」



 たった二言三言言葉を交わしただけなのに、リタの両親の口調にはそれとわかるほどの気品が感じられた。

 その口調はこんな辺境の田舎の村では決して見ることができないものなので、パウラもクルスも少々訝しそうな顔をしながら、彼らの姿を注視する。


 特に情報収集専門の職種に就くパウラは、出会った時から目の前の二人に妙な違和感を感じていたらしく、瞳を細めて彼らの様子を伺っていたのだ。



 いま口を開いたのがリタの父親だろう。

 年の頃は二十代中頃のようだ。

 全体的にくたびれた様子と、ところどころ擦り切れた粗末な服、そして無造作に後ろに束ねられた長い銀色の髪は田舎の村でよく見る農夫そのものだ。


 しかし日に焼けて真っ黒ではあるが、よく見るとその顔はなかなかに整っているし、透き通るような灰色の瞳と背筋の伸びたひょろりと背の高い容姿、そして品のある物腰は、まるで何処かの貴族のように見えなくもない。

 そしてパウラの目が節穴でなければ、いま彼が無意識にした礼の形は、間違いなく貴族の作法だった。



 そして地面にしゃがみ込んでリタの両肩を抱いているのが母親だろう。

 彼女も夫の例に漏れず、その粗末な服装と日焼けを除けばかなり美しい女性であることは間違いなかった。

 年齢は二十代前半のようにもみえるが、童顔のため正確な年齢は不明だ。


 真夏の空のように澄んだ青い瞳と美しい金色の髪、そして思わず二度見してしまうほどの美貌は、粗末な服を着ていても輝いているように見える。

 そしてその顔の造作は娘のリタそっくりだった。


 リタの瞳は父親譲りの灰色なのだが、そこを除けば残りの部分は全てリタに生き写しだ。

 それは将来のリタの姿が想像できるもので、間違いなく彼女が美少女になることが確信できるような姿だった。

 



 そんな事をパウラが考えていると、リタの両親が自己紹介を始めた。

 パウラの目には、そんな父親の姿も決して只の農夫には見えなかった。


「私共はリタの父と母でございます。私がフェルで、こちらが家内のエメです。この度はうちの娘がご迷惑をおかけいたしましたこと、心よりお詫びいたします。そしてここまで連れてきていただいたことに感謝を申し上げます。本当にありがとうございました」


「あっ、いや…… 連れてきたと言うか、案内されたというか……そのぅ……」


 二人の冒険者に対し、リタの両親は揃って深々と頭を下げた。

 しかしそのような丁寧な対応をされることに慣れていないクルスは、彼らに何と答えればいいのかわからずにしどろもどろになっている。


 あらかじめ三人で口裏を合わせていたのになんて使えない男なのかと、その様子を眺めながらパウラは小さな溜息を吐いた。

 そして見ていられないと言わんばかりに、横から口を挟む。


「いいえ、どういたしまして。私たちが道を歩いていましたら道端で泣いているリタちゃんを見かけまして。聞けば道に迷って途方に暮れているようでしたので、連れてきました」


「ご親切に、ありがとうございます」


「いえいえ。とにかくリタちゃんが無事に家に帰ることができてよかったです。――それにしても本当に可愛らしいお嬢さんですね」 


「いやいや、そんな。――まぁ、親の贔屓目ひいきめもあるでしょうが、リタは自慢の娘なんです。私達にしてみれば、世界で一番可愛い娘です」 


 パウラの誉め言葉を聞いたフェルは、満更でもない様子だ。

 その話す姿からは、彼が心からリタを愛している様子が伝わってくる。その顔には嬉しそうな表情が浮かんでおり、娘の話であれば何時間でも話していられそうだ。


「そうでしょうね。ここに来る間に少しお話をしたんですけど、とっても頭も良くて聡明でいらっしゃる。それでここに来る途中なんですが、リタちゃんはとても反省していましたから、もうこれ以上叱らないであげてください」


「はい。もうこの子はわかってくれましたから。今回はこれで終わりにします」





 リタの両親が一通り感謝の言葉を述べ終わると、次はリタを助けた時の話になった。

 もちろんフェルもエメも二人が娘を助けた時の様子を聞きたがったが、その部分はさすがに真実を述べるわけにはいかない。


 リタの目的がオウルベアの卵の強奪だったこと、ユニコーンに跨ってそれを追いかけてきたこと、瀕死のクルスに治癒魔法を使って助けたこと、そして彼女の正体が実はリタではないこと。

 それらは何一つ両親には話せないのだ。


 本来であればここで正直に打ち明けるべきなのだろうが、様々な事情がそれを許さなかった。

 だからここに来るまでに、冒険者の二人とリタは口裏合わせをしていたのだ。


 家出をしたリタが山道で迷子になっているところを、偶然この二人が見つけて家まで連れてきた。家出をした理由は、両親にオウルベアを飼うことを反対されたからだ。

 リタの両親にはそう説明した。


 すると両親はその理由に思い当たる節があったらしく、何かを思い出すように納得すると再びリタに語り掛けた。


「リタ。確かにお前のオウルベアを飼いたいという話を頭ごなしに反対したのは悪かったと思うけれど、こればかりはさすがに同意できなかったんだ。ごめんよ」

 

「そうね。私もいきなり反対してしまって悪かったと思ってるわ。でもわかってちょうだい、こればかりは無理なのよ」


「らいじょうぶ。しょんなことは、もう言わないから……ごめんなしゃい」




 そんなこんなで、リタ家にまた平和が戻ったのを確認した冒険者二人は、今夜の宿を借りるために宿屋を探そうとしたのだが、この村にはそんなものはないことをリタの両親から告げられた。

 フェルもエメも娘の恩人である二人を自宅に泊めてあげたいのは山々だったが、二組のベッドと食卓だけでいっぱいの小屋のような狭い自宅ではそれは望むべくもない。


 しかしそんな時のために村長の自宅には小さいながらも客間が用意されているので、今夜はそちらで休んでもらうことにした。

 そして村長宅で夕食のもてなしを受けたクルスとパウラは、その日はゆっくりとベッドで身体を伸ばすのだった。

 



「なぁ、アニエス――リタの両親だが、あれ、どう思う?」


 ベッドに横になって、あくびを噛み殺しながらクルスが口を開く。

 その様子につられて、パウラも大きなあくびを返した。


「やっぱりあんたもそこに気付いたようね。あの二人、絶対に只の農夫じゃないわ。なんだか妙に礼儀正しいし、言葉遣いも丁寧なんだもの」


「俺にはあいつらが貴族崩れに見えるんだが……どう思う?」


「あぁ、同感ね。あたしもそう思ってた」



 パウラもクルスもギルド員として今まで様々な依頼をこなしてきた。

 その中で彼らは多くの町や村などを見てきたが、未だかつてこれほどまでに教養と高度な礼儀作法を醸す村人に会ったことはない。


 リタの両親の礼の形は間違いなく貴族のものだった。

 そしてその話し方、立ち居振る舞いからもその生まれを隠せてはおらず、彼らが間違いなく貴族、もしくはそれらに類する生まれであるのは間違いないだろう。


 しかし人には色々と事情があるのだし、彼らがこんな田舎で暮らしているのもそれなりに理由があるのだ。

 それをいま会ったばかりの自分たちが根掘り葉掘り探るのもどうかと思ったパウラは、敢えて自分の疑問に封をしたのだった。



「まぁ、いいわ。彼らにはきっとなにか事情があるんでしょ」


「まぁな。もしあいつらが元貴族であったとしても、俺には関係ねぇしな」


「そうね。……でもやっぱりちょっと気になるから、明日アニエスに訊いてみるわよ。あの子――あの人ならきっと教えてくれるでしょ」


 そう言って再び大きなあくびを噛み殺したパウラの顔を眺めながら、突然クルスが何やらモジモジとし始める。

 その大きな熊のような容姿にもかかわらず、小さく肩を丸めた姿はなんだか可愛らしく見えた。


「あぁ、そうだな…… ところでパウラ、昼間に言ったことだけど……」


「えっ? なんだっけ――」


 クルスの言葉に即座にピンと来なかったパウラが、昼間の彼との会話を思い出す。

 すると突然彼女の顔が真っ赤になった。

 今までずっとバタバタとしていてすっかり忘れていたが、彼女はクルスに求婚されていたのだ。

 そして未だ返事をしていなかったことを今更ながらに思い出した。


 パウラの顔色を伺うように、熊のような巨体を丸めてクルスが見つめている。いつもであれば「うざいわねっ!!」などと言ってツッコむ場面なのだが、今日の彼女は少し違っていた。



「う、うん…… 結婚の話ね。どうしようかな……」


 必死な顔で自分を見つめるクルスをパウラが少々意地悪そうな顔でチラチラと眺めていると、クルスが尚も必死な表情で言い募る。


「頼む、お願いだ、うんと言ってくれ。俺はお前がいてくれないとダメなんだ。お前がいなければ生きて行けない」


「でもあんた、あたしの尻に敷かれるとか、気が強すぎるだとか、胸が小さいとかお尻が大きいとか、無神経なことばっかり言うしなぁ」

 

「いや、胸が小さいのは本当……」


「なんですって……!!」


「な、なんでもありません。そんな胸も大好きです。本当です。信じてください」


「ふふふ……まぁいいわ。――ねぇ、アニエス……じゃなかった、リタ、可愛かったわね。中身がおばあちゃんだから喋るとアレだけど、黙っているととっても可愛らしいの。大きくなったらあの母親みたいに綺麗になるわね、あの子」


「えっ? あ、あぁ、リタか。まぁ、そうだな。確かにあいつは可愛いと思う。あと数年したら絶対に美少女と呼ばれるようになるだろうな…… もっとも、中身はばばぁだけどな。それがどうかしたか?」


 突然パウラが関係のない話を振ってきたので少々面食らったクルスだった。

 真剣な顔に怪訝そうな表情が混じっている。



「うん。あの子を見ていたら、あんな可愛い子供が欲しいなって思っちゃった。ねぇ、クルス」


「そ、そうだな。娘でも息子でもどっちでもいいけど、お前の生む子供なら絶対に可愛いと思う。――お前は美人だからな」


「あら、ありがと。……いいわよ、結婚してあげる」


「い、いいのか? 本当に?」


「だからいいって言ってるでしょ。いつ終わるとも知れなかったアニエス捜索も無事に終わったし、これで任務は完了。あとは首都――アルガニルに戻ってギルドに報告したら、長かったこの依頼ともおさらばね。――そうだ、この依頼の報酬の残りを受け取ったら、アルガニルの近郊に小さな家を買わない?」


「あぁ、そうだな。仕事とは言えこの十年ずっと国内を旅して回っていたから、しばらく腰を落ち着けてもいいかもしれんな」


「そこでお花をいっぱい植えて、子供たちに囲まれて…… あぁ、そんな生活もいいかもしれないわね――」


「パウラ……」


「クルス……」


 いつの間にか二人は同じベッドの上で横になっていた。

 そしてどちらともなく二人の顔が近づいて行く。


 全身が筋肉の塊の熊のように大柄な剣士と、未だ子供かと思えるほどに細く小柄なスカウト職の女性のデコボココンビは、ここに正式に結婚の約束をしたのだった。

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