第3話 病気の治療

 決して食欲はなかったが、それでも何とか空腹感がまぎれる程度には胃に粥を流し込んだ。

 そして一仕事終えたアニエスは、再び睡魔に襲われる。


 食事という、たったそれだけの行為であるのに簡単に体力を使い果たしてしまう。

 あまりに虚弱すぎるこの身体では先が思いやられるが、とにかくいまは体力の回復に努めるべきだろう。


「リタ、お腹いっぱいになった? あなたがまた食事をしてくれるなんて嬉しいわ。さぁ、ゆっくり休むのよ。そして早く元気になってね」


 母親がアニエスの頭を優しく撫でると、その後ろに父親の姿が見えた。

 彼も優しげな微笑みを浮かべながら、微睡む娘の姿をいつまでも見つめ続けていたのだった。



 彼らは自分をリタだと思っている。

 しかし、実はそうではない。


 自分はブルゴー王国が誇る宮廷魔法使いアニエスだ。

 そして勇者ケビンの養育者にして教育者でもある。


 年齢はとうに二百歳を超えており、幼少の頃の思い出など遥か遠くにあって今となっては思い出すのも難しい。

 そんな自分がいまさら三歳の幼女として振舞わなければいけないのは何とも難儀なことだが、いまは彼らに疑問を持たれるのは危険だ。


 全く口惜しいが、いまのこの身体では彼らの庇護なしには生きていけない。

 だから今はまだ真実を伝えるべきではないのだ。

 

 なにより彼らを再び悲しみの淵に突き落とすのはあまりにも不憫だろう。

 娘の蘇生に涙を流して喜んでいるのだから、できればそのままにしてあげたい。

 だから自分は、このままリタとして生きて行こうと思うのだ。




 ――――




 それから数日経った。

 

 アニエス――リタは食欲がなくても無理に食事を摂って体力の回復に努めつつ、両親の会話を含めて周囲に注意を向けていた。

 そして少ない情報ではあったが、頭の中で整理する。


 食欲が戻り顔色が少し良くなってきた娘の様子を気にしながら、時折ニコリと微笑んでくる若い女性。

 彼女は自分の母親だ。

 名前は「エメ」、年齢は二十代前半のように見える

 

 エメは小柄で可愛らしい容姿の女性で、もう少し小奇麗な格好をしていれば十代でも通用するほどに若く見える。

 日に焼けて顔は黒いが、服を脱ぐと真っ白な身体をしているところをみると、本来の彼女は色白なのだろう。


 髪は白に近い金髪――プラチナブロンドで、瞳は透き通るような青色だ。

 その整った顔立ちは、遠目に見ても十分に美人であることがわかる。

 真っ黒に日に焼けて粗末な服を着ていてもその美貌は光り輝き、大きく盛り上がった胸は服の上からでも破壊力抜群だった。



 父親の名前は「フェル」だ。

 彼はエメよりも幾つか年上の二十代中頃の青年で、スラリと背が高く線の細い体型は、およそ農民には見えない。

 銀の髪に灰色の瞳の中々の美丈夫で、やはり真っ黒に日焼けをしているが本来は色白らしい。


 そんな二人が溺愛する一人娘が自分――リタだ。

 鏡がないので実際に見たことはないが、両親の会話から推察する限り、自分はエメにそっくりらしい。

 母譲りのプラチナブロンドの髪に、父譲りの灰色の瞳を持つ可愛らしい女児で、将来は絶対に美人になると言われていた。

 もっともそれは、親の贔屓目ひいきめもあるのだろうが。


 そんな自分は生まれた時から病弱で、殆ど家から出たことがないらしい。

 慢性の頭痛持ちのうえに、少し体を動かすだけで熱が出て何日も寝込んでしまう。


 生まれた時から長くは生きられないと言われていたらしく、遂に先日その寿命が尽きたのだった。

 もっともそのおかげでアニエスは転生の魔法を成功させられたのだが。



 リタの脳に意識が入り込んだせいなのか、まるで自分自身のようにリタの記憶が残っている。

 もちろん赤ん坊の頃は不鮮明だが、大凡おおよそ一歳以降の記憶ははっきりと憶えていた。

 だから両親の前では完全にリタになりきることが出来るし、彼らに怪しまれるようなこともなかった。


 ずっと寝たきりだったせいか、リタは言葉の発達が遅いようだ。

 もちろん言葉は理解できるし単語を発することもできるのだが、それを会話にするのが苦手だったのだ。


 両親はその原因を環境のせいだと思っているらしい。

 しかしアニエスが思うに、それは別に原因がありそうだった。




 ここは何処かの田舎の貧しい村のようだ。

 村の名前は「オルカホ村」だが、アニエスの記憶の中にそんな名前の村は無かった。

 仮にブルゴー王国ではなかったとしても、使っている言語が大陸公用語であることから幾つか国は推定できる。

 しかし未だに両親の会話の中から国の名前を拾うことはできなかった。


 村の中でもリタの家は最下層に位置するらしく、家族が暮らすこの家は小さくてぼろぼろだ。

 雨が降れば其処彼処そこかしこに雨漏りはするし、隙間風も通り抜ける。

 自分はもとより、両親が着ている服も古くて擦り切れているし、なにより毎日同じ服を着ている。


 出てくる食事は硬いパンと少しの野菜が入った味の薄いスープばかりだ。

 もっとも未だ体調が元に戻らないリタは、毎日パン粥とスープしか食べられないので文句を言うこともできないのだが。

 それでもこの食事には十分に栄養があるとは思えないので、病気が治り次第食生活の改善に取り組まなければならないだろう。


 

 それにしても体調が良くならない。

 この身体は恐らく先天的な障害を抱えているように思えるが、未だにその原因が特定できない。

 もう少し体力が戻ってきたら、全身に治癒魔法をかけて様子を見てみよう。




 ――――




 アニエスがリタの身体に入り込んでから十日が経った。

 その間も両親は献身的にリタの看病を続けていた。


 もちろん日中は二人とも外仕事があるので付きっ切りにはなれないが、それでも仕事中に何度も様子を見に来てくれたし、家にいる間はずっと付いてくれている。

 そんな二人を見ていると、リタの心の中に何か温かいものが溢れてくるのだった。


 二百歳を超えるアニエスには、両親の記憶は殆どない。

 それが遥か昔のことであるのはもちろんだが、実は彼女は孤児だったからだ。


 生まれつき魔力の強かった彼女には普段から不思議なことが多く起こり、それを気味悪がった両親が幼いアニエスを捨てたのだ。


 その後の数年間、彼女は浮浪児としての生活を余儀なくされ、最後には道端で餓死しかけていた。

 そんな彼女を見つけ、拾い上げたのが後の師匠になるブルゴー王国宮廷魔術師だったのだ。




 日増しに食欲と体力が戻りつつあるリタを献身的に看病しつつ、両親は色々な話をしてくれる。

 するとリタは、両親に対して返事も満足に出来ない自分に次第にイラつくようになっていく。


 自分が上手く話せないのは、恐らく病気が原因だ。

 そして言語機能は脳がつかさどる。

 つまりこの病気の病巣は、脳の何処かにあるのではないだろうか。


 体力のないこの体で魔力切れを起こすと命にかかわる。

 だから今まで控えていたが、リタはそろそろ自分に治癒魔法をかけてみようと思っていた。

 リタ――アニエスの魔法の専門は、攻撃、広域殲滅、召喚と幅広いが、治癒系も基本は一通り押さえているのだ。


 この十日間無理やりにでも胃に食事を流し込んで来た成果もあり、ようやく彼女は魔法が使えるまでに体力が回復していた。

 それでもこの病気持ちの幼すぎる身体では突然何が起こるかわからないので、彼女は慎重に魔法をかけ始めたのだった。

 


 まずはお腹だ。

 両手に魔力を漲らせたリタは、己の腹に両手を当てながら治癒の呪文を唱える。

 しかしぼんやりとした温かいものが腹に入ってくる感覚はあるが、特別体調が良くなったようにも感じられなかったので一旦そこでやめることにした。


 次は胸だ。

 お腹と同様に両手を当てて再度呪文を唱える。

 しかしやはり何かが変わったようには感じられない。


 最後は頭だ。

 最初に予想した通り、やはり脳に異常があるのだろうか。

 しかし脳に治癒魔法をかけると思わぬ副作用が出ることがあるので、ここはかなり慎重にしなければならない。

 仮に失敗した場合はそのまま死んでしまうこともあるからだ。 


 両手の掌を頭に当てながら、ゆっくりと治癒魔法をかけていく。

 そして少しずつ位置をずらしながら唱え続けると、一ヵ所だけ違和感を感じる部分があった。

 場所を特定し、そこに重点的に魔法をかけていく。

 

 するとこれまでずっと感じていた頭の重さが抜けていくのを感じると同時に、慢性的な頭痛も軽くなっていく。

 やはり病巣は脳にあったのだ。


 その後もリタは体力が続く限り呪文を唱え続けると、次第に頭は軽くなり、脚の痺れも取れていった。




 

 体力の限界まで魔法を使ったせいで、疲れ切ったリタはそのまま眠ってしまう。

 そこに農作業から帰って来た両親が様子を見に来た。


「リタ――? リタ? ――あぁ、眠っているのか」

  

 目を瞑って動かなくなっている娘の姿に不安を覚えたのだろう。

 家に帰って来るなりフェルが心配そうにリタの小さな鼻に掌をかざした。

 そしてかすかな寝息を感じ取ると、ホッと安堵の溜息を吐いたのだった。


  

「なぁエメ、リタはだいぶ元気になってきたけど、やはり根本的に病を治すしかないのだろうな」


「そうね…… この前は信じられないような奇跡が起こったけれど、この先何度も同じことが起こるとも思えない。 ……次に発作を起こしたら、この子はきっと死んでしまうでしょうね。でもお医者様に訊いても何の病気かわからないって言うし……」


「ここはやはり父上に頼るしかないのか――」


「……そうね、あんなことを仕出かして今さら頭を下げても許してくれるかはわからないけれど――この子を想うならそれも必要かもしれないわね」


 まるで絞り出すような言葉を聞きながら、エメは苦しそうに顔を伏せる。

 そんな顔をしていても、彼女のその整った顔立ちには何処か気品が感じられた。



「そうだな。この子のためなら、こんな頭の一つや二つ下げたところでどうにかるものでもないだろう」


「そうね……その通りね……」


 両親の気配にもまるで起きる様子を見せないリタ。

 そんな最愛の娘を見つめる彼らの顔には、何か決意のようなものが漲っていたのだった。

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