第2話 蘇った三歳児

「リタ!! リタ!! お願いだから目を覚ましてちょうだい!! お願いよぉ…… うあぁぁぁ――」

 

「リタ……リタ……あぁぁぁ――」


 耳元で大きな声が聞こえる。

 それも男と女の二人のようだ。

 身体を揺すられるこの感覚……彼らはどうやら自分の肩を掴んで揺すっているらしい。


 おかしい……ついさっきまで、自分は全身に大やけどを負って倒れていたのだ。

 こんな男女に揺さぶられながら泣かれている状況ではなかったはずだ。


 それに――リタ? リタって誰だ?


 

「この子はまだ三歳になったばかりだというのに、こんなことって…… 神様、あまりと言えばあまりの仕打ちです……」


「リタ、リタ――あぁ、まるで眠っているだけにしか見えない。こんなにも可愛らしい顔をして……まるで今にも目を開けそうだ……」


「どうして……どうしてなの? この子はなにも悪いことはしていないのに、どうして……」


「この子は生まれつき身体が弱かったからな……生まれてからもほとんど家から出た事もなかったし…… それにしても、あまりに不憫だ」




 どうやら自分は「リタ」らしい。


 ――というか、どうして自分はリタなのか。

 ――もしかして本当に転生の魔法が成功したのだろうか? そんな馬鹿な。


 あれは究極の魔法なのだ。

 だからその存在は確認されていても、今まで誰一人として成功した者はいなかった。

 それがどうして――



「なぁ、エメ。この子はここまでの運命だったんだよ。とても可哀想だが、安らかに眠らせてあげないか?」


「ううぅぅぅ…… そうね、そうよね、あなた。――ごめんね、リタ。あなたには何もしてあげられなかった。美味しい物も満足に食べさせてあげられなかったし、綺麗なお洋服も着せてあげられなかった…… ごめんね……ごめんね」


「私たちの娘として生まれてきてくれてありがとう。お前は本当に天使のようだった。お前以上に可愛いらしい子供は見たことがなかったよ。それが……それが……たった三年で……」


「あなた、触って。ほら、まだこんなに温かい……まるで眠っているだけのようね……」


「そうだな。本当にそのとおりだ――」


 

 状況から察するに、どうやら自分は死んだらしい。

 目を瞑っているのでわからないが、両親と思しき二人の男女が自分の肩を抱いたまま悲しみに暮れている。

 しかし目の前の人間が生きているのか、死んでいるのかくらいわかりそうなものだろうに。


 もう少し状況を確認したいところだが、これ以上は我慢出来ない。

 彼らには悪いが、さっさと起き上がってしまおう。


「あうあう……あぅぅ…… あう……」


 それまでぐったりと力なく横たわっていたリタ――魔女アニエスがパチリと目を開けると、目の前に若い男女の姿が見えた。

 彼らは顔中を涙と鼻水だらけにしておいおいと泣いている。

 そしてアニエスの一声にハッと顔を上げたのだった。




「リ、リタ!?」


「リタ――い、生きていたのか!?」

 

 死んでいると思っていた娘が、目を開けて自分たちを凝視している。

 その姿に気付いた二人の男女――恐らくリタの両親――は、まるで信じられないものを見るような顔で娘を見る。

 そしてアニエスの身体に抱き付いた。


「リタ、リタ!! あぁ、リタ!! 良かった、もう死んでしまったのかと…‥」


「リタ!! 私の可愛い娘…… あぁ、神様…… 何とお礼を言えば……」


 目の前の二人が泣きながら天を仰ぐ姿を見つめながら、アニエスは小さくため息を吐いた。

 彼らは自分の事を完全に娘――リタだと思っているようだ。

 その姿を見ているとなにやら可哀想に思えるのだが……



「あぁう…… うぅ……」


「あぁ、だめだリタ。声を出してはいけない。今はとにかく横になるんだ。体力を使うからおしゃべりもなしだよ、いいね?」


「あなたはずっと何日も意識を失っていたのよ。とにかくお水を飲んで。さぁ、ゆっくりと……」


 それから暫く両親は力なく横たわるリタに絶えず話しかけながら、水を飲ませたり、背中を擦ったりと必死に命を繋ごうとする。

 そんなことを一時間も続けていただろうか。トントンと優しく背中を叩かれ続けたリタ――アニエスは、睡魔に襲われるとそのまま眠ってしまったのだった。



 

 アニエスが再び目を覚ますと、少し離れたところで両親は椅子に腰かけたままぐったりとしていた。

 どうやら彼らは看病に疲れて眠ってしまったらしい。

 そんな二人を眺めながら、アニエスは必死に頭を回転させる。



 どうやら自分の転生魔法は成功したようだ。

 あんな二百年前に一度見ただけのうろ覚えの呪文が成功するとは思わなかったが、ここにいるのは現実なのだからやはりそういうことなのだろう。


 転生魔法は必ず成功するとは限らない。

 この魔法は、呪文が完成すると同時に肉体から意識を切り離すものだ。

 そして同時刻に死んだ他の人間の身体に自分の意識を転移させる。



 この広い世界では同時刻に死ぬ人間は多数いるのだろうが、そのタイミングは非常にシビアだと文献には書かれていた。

 失敗すれば自分の意識はそのまま霧散するだけだし、成功しても何処の誰の身体に入り込むのか全くわからない。


 しかして、この魔法は成功した。

 どうせ死ぬ身だからとヤケっぱちになって唱えたが、驚いたことに成功したようなのだ。


 それはまさに奇跡だった。

 

 そしていま自分はここにいる。


 「リタ」と呼ばれる子供になって。




 両親の会話を聞く限り、リタは三歳の女の子のようだ。

 生まれた時から身体が弱く、殆ど外出したことが無かったらしい。

 そしてついさっき死んでしまったのだ。


 幼い三歳の女の子が死んでしまったのは確かに不憫だと思うが、そのおかげで自分の魔法が成功したのだ。

 それを思うとリタと呼ばれる幼女にはむしろ感謝すべきだろう。

 

 ――いや、ちょっと待て。

 リタは病気で死んだと言っていたな。


 ……と言うことは、この体は病気なのだろうか。

 せっかく転生に成功したのに、入り込んだ身体が病気で寝たきりなのではたまったものではない。



 両親が居眠りしているのを確認すると、アニエスは自分の手を眺めてみる。

 その手はガリガリに痩せ細り、筋張って、とても小さかった。


 生まれてからずっと寝たきりだったせいか、肌の色は真っ白だ。

 リタの病気が何なのかは知らないが、あとで治療をするにしても今はとにかく体力をつけなければいけない。

 そうでなければ、このまままた死んでしまいそうだ。


 そういえば、妙に腹が減った。

 喉も乾いている。

 それもかなり切実だ。まるで生命の危機を覚えるほどの飢餓感だ。

 マズい、これは非常にマズい。


 せっかく新しい身体に転生したのに、このままでは飢えと渇きと病ですぐに死んでしまいそうだ。

 今はとにかく、この状況を何とかしなければ――

  

  


 「あぁう、うぅーう、あぅ……」


 アニエスは必至に声をあげて叫んでみたが、看病疲れのせいなのか、ぐったりと机に突っ伏した両親は全く目を覚ます気配がない。

 それよりも、自分がまともに声を出すことが出来ないことが気になった。

 

 「あぅあぅーうー……」


 ダメだ、渇きと空腹のせいでまるで腹に力が入らない。

 そしてそれだけではないのだろうが、口もまともに動かない。


 しかも病のせいなのか、やたらと具合が悪い。

 頭も痛い。

 このままでは本当に死んでしまいそうだ……


 くなる上は――

  


 ズゴォン!!!



 両親の足元でファイヤーボールが炸裂した。

 それは満足に声を出せないアニエスが渾身の力を振り絞って放った魔法だった。

 本来の彼女の力から言えば信じられないほどに小さな火球でしかなかったが、飢えと渇きと病に苦しむ三歳女児の肉体ではそれが精一杯だったのだ。


 しかしその目的は果たすことが出来た。

 この身体でも従前どおりに魔法を発動できることがわかった。


 確かにこの幼い身体では発動する魔法の規模も威力も圧倒的に小さいが、とにかく今まで通り魔法は使えるのだ。

 それがわかっただけでも大きな収穫だった。




 突然響いた爆発音に驚いた両親が、ガバっと机から顔を上げる。

 それから二人揃って辺りに目を走らせた。


「な、なんだ!? なにが起こった!?」


「きゃー!! なになに!? なんなの?」


 突然の轟音に驚いた彼らがキョロキョロと周りを見回していると、目を開けて何かを言いたそうにしているリタに気付く。

 慌てて両親が寄って来ると、パクパクと口を動かす愛娘の顔に耳を近づけた。


「ごめんよ、リタ。何か言いたいことがあるのかい?」


「ご、ごめんね、リタ。どうしたの?」

  

「あ……あうぅ……み、みじゅ…… お、おなか……」


 滑舌が悪く舌足らずなアニエスの言葉は到底聞き取れたものではなかったが、不思議と彼らは理解した。

 これが血の繋がった親子の成せる業なのだろうか。


「わ、わかったわ。いますぐご飯を用意するから、ちょっとだけ待ってね。まずはお水を飲ませてあげるから」



 全く力の入らない体を抱き起されて、乾き切った口に水を流し込まれる。

 恐らく一度沸かした湯冷ましなのだろう、それは妙に味気なく生温かった。


 母親が木の椀に入った何かを持ってくると、ゆっくりと口に入れてくれる。

 それはパンを湯で溶かした粥のようなもので、それ自体は全く味はしなかったが、弱り切った胃には丁度良かった。


 空腹だけど全く食欲のないアニエスではあったが、弱り切ったこの身体を考えると、ここは無理にでも食べなければいけないだろう。


 

 時々むせ返りながら、それでもゆっくりと粥を食べる娘の姿を見つめる両親の眼差し。

 それは慈愛に満ちて温かく、スプーンを差し出す母親の目からは涙が流れていた。



 死の直前のリタは、食事も喉を通らなかったのだろう。


 そんな娘が再び食事を始めたのが相当嬉しかったらしく、リタを見つめる両親からは、嬉しそうな笑顔がいつまでも絶えることはなかった。

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