48話 エリィ

「やり方を見せるから、しっかり見ててね」


 薄暗がりの中、ロロの声が聞こえてきた。


「わかったわ」


 あたしがそう返事をすると、ロロは真面目な顔をして手を上向きにして広げる。


 それから少しして、ロロの掌の上で小さな火が燃え始めた。


 ぼんやりとした橙色の明かりが、ロロとあたしの顔を照らす。


「熱くないわけ?」


 あたしは興味津々でその火を眺めながらロロに問いかけた。


「平気だよ。自分の魔力で作った火で火傷することはないんだ。……でも、エリィが触ったら火傷するからダメだよ」


 あたしは、ロロにそう言われて思わず手を引っ込める。


 それを見てロロは笑った。


「……あんた、こういうのは得意よね。弱っちいけど」


「弱くないもん!」 


 赤くなってふくれるロロ。


「そんなんじゃ全然怖くないわよ」


 あたしは笑った。ただ、ちょっとからかうと面白い反応をしてくれるから意地悪をしただけだ。


 別にロロが嫌いなわけじゃない。


「……と、とにかく、エリィは僕なんかより魔力の量が多いんだから、ちゃんと魔法の勉強しないともったいないよ!」


「もったいない?」


「うん、もったいない!」


「……そういう言い方されたのは初めてね。わかったわ、あんたの言うように、ちょっとだけ頑張ってみる」


「エリィだったらきっとすぐに僕なんか追い抜いちゃうよ!」


「だからあんたは私に魔法を教えなさい」


「え!?」


 昔の……孤児院にいた頃のロロはあたしと一緒によく笑っていた。


 あたしは、そんなロロのことを可愛い弟のように思っていた。


 それは孤児院を出て、四人で冒険者をするようになってからも変わらず、あいつのことを虐めてやろうだなんて気持ちは全くなかった。


 ――あの時までは。


 *


 それは、外から帰り部屋へ戻ろうとした時のことだ。


「ち、違うよクレイグ! でも、もう少しゆっくりでも――」


 扉越しに、ロロとクレイグが言い争うような声が聞こえてきた。


 当然、あたしは慌てて扉に駆け寄り何があったのか問いかけようとする。


「うるせぇんだよッ!」


 だが、その時聴こえて来たのはロロが殴り飛ばされ、扉にぶつかる音だった。


「え……あ……!」


 あたしは思わず口元を押さえる。


 心臓がバクバクしていた。


 早く止めなければいけない。


 それはわかっている。


 だけど、何故かその時、あたしはクレイグを止めに入ることができなかった。


 あたしは、全て終わって静かになった後、何も知らないふりをして部屋の中へ入った。


 *


 その日以来、クレイグの暴力は日に日に激しさを増していった。


「やめてよ……クレイグっ……やめてっ」


 扉の向こうで、クレイグに暴力を振るわれ、泣きながら止めるようにお願いするロロ。


 クレイグがロロに激しい暴力を振るうのは、決まって二人きりになった時だ。


 あたしはいつもその声を盗み聞きしている。


 ーー止めに入らなければいけない。


 心の中のもう一人のあたしが、何度も早く止めに入れと言っている。


 だが殴られるロロの姿を想像した時に、あたしの心の奥底で湧き上がるのは、快感に似た何かだった。


 扉越しに聞こえてくる、ロロの悲鳴に近い声。殴られる音。すすり泣き、必死に許しを求める声。


 気がつくと、あたしはそれに夢中になっていた。


「ごめんなさいっ……ごめんなさいっ!」


 泣き叫ぶロロの姿を想像するたび、ありえないほどの背徳感と快感を覚え、胸が高鳴り、背筋がゾクゾクした。


  クレイグの気がすみ、部屋の中が静かになって、ようやくあたしは我に帰る。


 あたしは、全身をうずかせながら息をきらして扉の前に座り込んでいた。


 もっとあの声が聞きたい。


 それからは、目を閉じて眠るたびに、ロロを自分の好きなようにする妄想ばかりしていた。


 この手でロロを泣かせたいという欲求が日に日に高まっていった。


 クレイグは、ロロに無能の烙印を押すことで、あたしにその口実をくれた。


 * 


 度重なる叱責と暴力に疲れ果てていたロロは、ある時些細なミスをした。


 今となっては理由も思い出せないくらい些細なことだ。


 だけど、その時のあたしにとっては、ロロを泣かせる絶好のチャンスだった。


「ねえ、ロロ」


 あたしはロロの頭を、水を張ったバケツの中へ押しつける。


「ごぼっ! がぼぼぼっ!」


 引き上げる。


「……っはあ! げっほぉっ!」


 沈める。


「がぼぼぼぼぉっ! ごぽぉっ!?」


 引き上げる。


「がはっ! うええええええっ!」


 水がびちゃびちゃと床に吐き出される。


「けほっ……ごめんなさい……っ!」


 あたしは、色々思いつくたびに、適当な口実をつけてロロを呼び出しては、追い詰めた。


 泣きながらあたしに謝るロロの姿が一番好きだったからだ。


「げほっ! げほっ!」


 とうとう限界を迎え、あたしの前にぐったりと横たわるロロ。


 そうしてあたしは、ロロを抱きしめる。


「わかれば良いのよ。次から気をつけなさいね」


「うぅっ……!」


 あんたは弱いんだから、あたしの言う通りにしてればいいの。


 *


 あたしは更にロロを虐める方法を考え、クレイグを利用することにした。


 あいつに近づいて、ロロに対して暴力を振るうようそそのかす。


 あいつは短気だから、ちょっと怒らせればその矛先がすぐロロへ向かう。


 元はといえば、あたしはクレイグのせいでおかしくなってしまったのだ。


 利用したってなんの問題もない。


 そうしていくうちに、いつしか私は自分の行為を正当化するようになっていた。


 頭の中には、どうやってロロを泣かせようか、そのことでいっぱいだったように思う。


 どうかしている。


 それでもあたしはやめられなかった。


 ロロの感情や行動を自分の思い通りに支配したかった


 あたしに跪かせて、あたしの言いなりにしたかったのだ。


 *


「――――ッ!」


 気がつくと、あたしはベッドの上に横たわっていた。


 ものすごい冷や汗をかいている。


 あたしはその時、自分が今までロロにして来た仕打ちをはっきりと理解し、そのあまりのおぞましさに吐いた。


 償いをしたい。こんなつもりじゃなかった。迷宮の中でロロを見捨てるなんて、まさかあいつがそこまでするなんて思ってなかった。


「あぁ……うぅっ!」


 どこで間違えてしまったのだろうか。


 あたしはその場で頭を抱え、声をあげて泣いた。

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