45話 お似合い

 ノエルは、牢屋の扉を開ける前に一度パメラの方へ振り返る。


「念のため……僕が入った後、鍵を閉めてからお兄さまのところへ行ってください」


「き、気をつけてくださいね、ノエル……!」


 パメラは、ノエルから鍵を預かり不安そうに念を押した。


「はやく……しろ……!」


「わかってます……」


 牢屋の中へ足を踏み入れ、未だ呻き声を上げながらうずくまるクレイグへゆっくりと近づいていくノエル。


「だ、大丈夫ですか……?」


 背中をさすりながらクレイグをのぞき込み、治癒魔法を使おうとする。


「なんてな」


 しかし、クレイグの傷はすでに癒えていた。


 その手には鋭く尖った破片のようなものが握られている。


 どうやら、クレイグはそれで自分自身を傷つけ、苦しむ演技をしていたらしい。


 自身の体に驚異的な再生能力が備わったことを利用したのだ。


「え…………?」


 ノエルは突然飛び掛かってきたクレイグによって、突き飛ばされた。


「まんまと引っかかったなぁ! 詰めが甘いんだよ!」


「パ、パメラ! 牢屋の鍵を閉めてください!」


「やめろッ!」


 鬼のような形相で、入り口へ走るクレイグ。


「わわっ!」


 ノエルに言われた通り、パメラは大慌てで牢屋の鍵を閉めた。


 クレイグは勢い余って扉にぶつかり、がしゃんと大きな音を立てる。


「ひ、ひぃ!」


 あまりの気迫に怯えて尻もちをつき、鉄格子から遠ざかるパメラ。


「クソがッ!」


 脱出が間に合わなかったクレイグは、腹立たしげに鉄格子を蹴り飛ばした。


「ノ、ノエル――!」


「ぼくのことは心配ありません。パメラはすぐにお兄さまを――」


 その時、クレイグはノエルの体を無理やり起こし、パメラに見せつけるように締め上げた。


「ぐぅっ!」


「おいおい、告げ口する気かよ?」


「何してるんですかっ!」


 ノエルの首に腕を回すクレイグ。


「俺にとっちゃあ、こいつの細い首の骨を折ることなんて造作もねぇんだぜ?」


「あぐっ……うぅ……!」


「ノ、ノエルを離してください!」


 パメラは叫んだ。その目にはうっすらと涙が浮かんでいる。


「てめぇがそこを離れた瞬間こいつを殺す」


 クレイグはノエルの首を締め上げ、脅すように言い放った。


「わ、わかりました! 言う通りにしますから、やめてください!」


「じゃあ、今すぐその鍵でここの扉を開けろ」


「そ、それは……!」


 ここでクレイグを逃せば、ザカリーに迷惑がかかる。そんなことはノエルも望んでいない。


 しかし、ノエルはなんとか助けたい。


 どうすることもできないパメラは、その場に立ち尽くしてしまう。


「けほっ……ぼくはっ……だいじょうぶですっ……」


「で、でも!」


「早く……お兄さまを……」


 そうこうしている内に、クレイグが苛立っていく。


「黙ってろ! てめぇを見てるとロロを思い出して無性に腹が立つんだよッ!」


「――――!?」


 鈍い音が鳴り響いた。


 クレイグの放った全力のパンチが、ノエルの腹部に食い込んだのである。


「うぐッ……げほッ、げほッ、うえぇっ!」


 腹部を強く殴打されたことによって激しく咳き込み、血と胃液が混じった液体を吐き出しながらうずくまるノエル。


 パメラは思わず悲鳴を上げて叫んだ。


「お願いですっ! もうやめてくださいっ!」


「てめぇがここを開けてくれさえすれば、すぐにでもやめてやるさ。なぁ……?」


 クレイグは、未だうずくまっているノエルの髪を引っ掴んで引きずり、鉄格子に押し付けた。


「言いなりになっちゃ…… だめですっ……パメラ……!」


「わ、わたしは……わたしはっ!」


 パメラは震えながらその場にへたり込み、苦しそうなノエルの顔と、手に持っている鍵を交互に見る。


 もはや彼女に、冷静に判断するだけの精神的余裕は残っていない。


「強がってられんのも今のうちだぜ、クソガキ」


 突然、ノエルの右手がクレイグによって捕まれる。


「こ、これ以上何を――!」


「よく見てな」


 クレイグは、そのままゆっくりと小指をつまむと、本来曲げてはいけない方向へ勢いよく折り曲げた。


 ぽきっ、と骨の折れる音が鳴る。


 「うわああああああああああああ!」


 次の瞬間、ノエルの絶叫が響き渡った。


 苦痛に悶え、暴れまわるが、腕を掴むクレイグの力に勝つことはできない。


 あまりにも非道な仕打ちに、パメラは大きく目を見開いて泣き喚いた、


「いーち」


「やめてぇ! もうやめてくださいっ!」


 がしゃがしゃと鉄格子を揺らしてクレイグに懇願するパメラ。


「やめて欲しかったら、どうすればいいかはもう言ったはずだぜ」


「あぁ……うぅ……それは……」


「パ……メラ……にげ……て……」


「にー」


「…………っ! 痛い痛い痛い痛い痛いっ!」


 痛みのあまり泣き叫ぶノエル。


 再び、ぽきりと音が鳴った。


「くぅっ、あああああああああああああああ!」


 今度は薬指の骨が、ゆっくりと折り曲げられたようだ。


「いやぁ! やめてっ!」


「さん、しー」


「ぐはぁッ! うぐううううううううううう!」


 パメラに考える隙を与えず、立て続けに中指と人差し指の骨を折り曲げ、ノエルの悲鳴を聞かせ続けるクレイグ。


 その表情は歓喜に満ちていた。もはや彼にとって、牢屋から出ることはどうでもよくなりつつある。


「わかりましたぁっ!」


 パメラは叫んだ。


「ご」


 しかし、クレイグはすぐに止まらない。


「がああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」


「すげえ声が出たなぁ」


 結局、ノエルは親指の骨まで折られてしまった。


 その右手は目を背けたくなるほど痛々しく腫れている。


 ノエルの頭は力なく項垂れ、辛うじて意識を保っている様子だった。


 何かを言いたそうにしているが、すでに喉は潰れ声が出ない。


 冷や汗や涙が床へ滴っている。  


 たった数秒の間だったが、クレイグの怒りを受け続けたノエルは、ぼろぼろになっていた。


「あーあ、かわいそうに。てめぇがもたもたしてたせいで、右手の指全部折れちまったじゃねえか。こっちの手はもう動かせねえな」


 クレイグは興味がなさそうに、ノエルの右手を離す。


「ひっぐ……えっぐっ……ッ!」


 目から大粒の涙を流しながら歯を食いしばり、クレイグを睨みつけるパメラ。


 そのあまりにも滑稽な姿に、クレイグは思わず笑い声を上げた。


「おいおい、何してんだ。早くここを開けろよ」


 パメラはゆっくりと牢屋の扉へと近づき、再び鍵を開ける。


 その様子を確認したクレイグは、ノエルをどさりと床へ落として、ゆっくりと外へ出てきた。


「……ありがとよ」


「――ノエルぅ!」


 すかさず、牢屋に中に倒れているノエルに駆け寄ろうとするパメラ。


「おっと」


 しかしクレイグは、前に立ち塞がってそれを止めた。


「どいてください! ノエルが! ノエルがぁっ! うえええええええええん!」


「おいおい、泣いてる場合かよ? 今はてめぇの心配をすべきだぜ」


「…………え?」


 次の瞬間、パメラの体がふわりと宙に浮く。


 その細い首には、クレイグの両手が巻きついていた。


「ぁ……ぁ……! かはぁっ!」


 パメラは鍵を床に落として、苦しそうに手足をじたばたさせる。


「さっきはよくも散々馬鹿にしてくれたなぁ?」


「う……くっ……」


「馬鹿はてめぇらの方だよ」


 目からは涙がこぼれ落ち、顔は次第に赤くなっていく。


「ハハハッ! 今のてめぇの顔を鏡で見せてやりてぇぜ!」


 パメラを締め上げて、大声で笑うクレイグ。


 とうとう限界が訪れたパメラは、足をだらんとぶら下げて失禁した。


「うわ汚ねぇ!」


 想定外の事態に、クレイグは小さく悲鳴を上げてパメラを牢屋へ投げこんだ。


「……ったく、最後までイライラさせやがって」


 牢屋の扉を閉め、鍵をかけるクレイグ。


 中には、意識を失ったパメラとノエルが無造作に横たわっている。


「ゲロとションベン、なかなかお似合いだぜ。あばよ」


 クレイグはそう吐き捨てると、鼻歌まじりに牢屋の並ぶ長い通路を歩き始めた。

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