25話 治癒術師ミラ

「ごほっ、ごほっ!」


 ミラは、気がつくと地下牢の中で寝かされていた。


 明かりは壁に掛けられた松明のみで、正面には鉄格子がはめられている。


「…………?」


 痛みをこらえて体を起こすミラ。


 魔法を使い、自身の手当てを始める。


 さっき見たものは一体何だったのだろうか。


 ミラは訳が分からず困惑する。


「うぅ……う」

「ひっ!」


 その時、近くで呻き声が聞こえた。


 驚いて周囲を見回すと、牢屋の外に先ほどのロロの姿をしたグールが居た。


「ころ……して……」


 グールは鉄格子の隙間から手を伸ばして、ミラにそう懇願してくる。


「ロロ……なの……?」


 恐る恐る問いかけるミラ。


「ころ……して……」


 しかし、返ってくる答えは同じだった。


「な、何言ってるの……ロロを殺すなんて……そんなこと――」


 そこまで言いかけて、ミラの顔が青ざめる。


 ――牢屋の外にいたのはロロだけではなかった。


「ころせ……」「たす……けて……」「くるしい……」「ミラ……おねー……ちゃん……」「死なせて……」


 鉄格子から、無数の手が付きだす。


「うそ……でしょ……クレイグ……エリィ……それに……先生まで……!」


 グールたちの中には、見知った顔がいくつもあった。


 クレイグにエリィ、さらにはかつて別れた孤児院の院長や子ども達、加えてアンリエッタまでもが、鉄格子の隙間から手を伸ばして、助け――死による救済を求めてくる。


 ミラは、驚愕と恐怖によって言葉を失い、口元に手を当ててがたがたと震える。


「おね……がい……」


 必死に首を横に振り、皆を殺すことを拒否するミラ。


 しかし、グールたちはそれを許してはくれなかった。


「ふざけるな……!」「いやあああああああ!」「たすけてたすけてたすけてたスけてタスけてたすけテタスケて」「ころせころせころせころせころせころせころせ」「うう……うぐぅ……っ」「ころして……!」


「いや……! やめて……!」


 次第にそれは、憎悪のこもった怒声や、苦痛に満ちた悲鳴に変わっていく。


 かつて慕ってくれた孤児院の子どもたち、優しくしてくれた院長、交流した冒険者達、そしてエリィ、クレイグ、ロロの三人。今まで出会ってきた者達全てが、ミラに手を伸ばして「殺せ」と懇願してきている。


 それは、仲間を癒す職業の治癒術師であるミラにとって非常に耐え難いことであった。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ!」


 部屋の隅でうずくまってただひたすら謝罪の言葉を口にするミラ。


 ――彼らを手にかけるなんて、絶対にできない。


 しかし、ミラが拒絶するほど、グールたちの怒りは増していき叫び声が大きくなっていく。


 すでにかなり疲弊しているミラに、もはや彼らが投げかける罵声を耐え続ける精神力は残っていなかった。


「ころせえええええええ」「ふざけるなああああああ」「ひどいよ……」「タスけてたすけテタスケテ「殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ」


「あ……あ……?」


 ふと牢屋の床を見ると、そこにはミラがいつも使っている槍が落ちていた。


 魔物から身を守るために持っているだけで、それほど使い慣れていない槍。


 ミラは、震える手つきでそれを手に取り、槍を支えにして立ち上がる。


 どの道、牢屋から出るためには、皆を殺さなければいけない。


 初めから、ミラに選択肢など残されていないのだ。


「わ……かった……」


 どうして自分がこんな目に遭わなければいけないのか。ミラは涙を流しながら唇を噛み締める。


 やがて、ゆっくりとおぼつかない足取りで鉄格子の前までやってきたミラは、ロロの姿をしたグールの前で槍を構えた。


「ころ……して……」

「ううううううううううううううっ!」


 叫びたくなるのを押し殺しながら槍を構えて、力一杯ロロの喉元に突き刺した。


「ぐうっ!」


 肉が裂かれる不快な感触が伝わってくる。


 ロロの喉元から血が吹き出し、ミラは返り血を浴びた。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 まだ、鉄格子の外には数えきれないほどのグールがいる。


「うわああああああああああああ!」


 それから、ミラは全身に返り血を浴びながら、グール達を刺し殺していった。


 彼らの――特に孤児院の子どもたちの姿をしたグールの――息の根を止める度に、ミラの心が激しい罪悪感と嫌悪感で蝕まれている。


「うぅ……おえぇぇぇぇぇっ!」


 苦痛のあまり、胃の中のものを全て吐き出すミラ。


 かなりの数を手にかけたが、依然としてグールは減らない。


 手元はガタガタと震え、一体殺すのにも時間がかかるようになってしまう。


 その度に、グールが苦しそうに呻くのだ。


「ごめんなさいっ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ!」


 半狂乱になって泣き叫びながら、殺さなければいけないこと、そして楽に殺してあげられないことを謝り続けるミラ。


 それから、数えきれないくらいのグールを刺し殺した後、ミラは不意に血や肉がこびりついた槍を手放す。


「……あ……あぁ」


 それから血の付いた手で、頭を掻きむしって絶叫した。


「あああああああああああああああああああ」


 どうやらいよいよ、精神の限界がきてしまったようだ。


「お願い! もういや! もうたくさんよっ! 私をここから出してぇっ!」


 かすれた声で叫ぶミラ。しかし、そんな叫びは誰にも届かない。


 この場にいる救済者はミラだけなのだから。


 次の瞬間、限界を迎えた鉄格子がねじ曲がり、牢屋の中へグールがなだれ込んでくる。


「ひぃっ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ!」


 ミラは自分ににすがりつき、死を懇願してくるグールにただ謝る。


「いやあああああああああああああ!」


 程なくして、ミラはグール達の波にのみこまれた。

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