23話 魔術師エリィ

「クレイグー、ミラぁ……」

 

 エリィは魔法で周囲を照らしながら、静まり返った通路を進んでいく。


 クレイグが、アンリエッタの持っている松明を叩き折った時までは、確かに全員いたはずだ。


 しかし、その後明かりをつけた時にはすでに誰もいなくなっていたのである。


「ったく、一体どこ行っちゃったわけ?」


 どうにもこの迷宮は様子がおかしい。


「ほんとサイアク。これも全部、あの女が訳わかんないこと言ってきたせいよ!」


 エリィが文句を言いながら歩いていると、先の方で道が左右に分かれているのが見えた。


 しかし、どうも様子がおかしい。


「…………ん?」


 よく目をこらして見てみると、丁字路になった突き当たりを人影が横切っている。


 どうやら、誰かいるみたいだ。


「…………! おーい! あたしはここよ!」


 おそらく三人のうちの誰かだと考えたエリィは、人影に向かって呼びかける。


「もしもーし……?」


 しかし、それは返事をせずに通り抜けていき、姿を消した。


「ちょっと、無視しないでよ!」


 エリィ人影を追いかけて通路を曲がる。


 曲がった先は袋小路になっていて、それはちょうどその行き止まりでこちらに背を向けてかがみ込んでいた。


「ねえ、いい加減気付いてよ」


 いくら話しかけても、それはもぞもぞと動くばかりでこちらへ振り向こうとしない。


 薄暗いのではっきりとは見えないが、どうやら髪の長い女のようだ。


 ミラだろうか? エリィは近寄りながら話しかける。


「……ミラ? ちょっとあんた、私が呼んでるんだから返事くらい――」


 その時、エリィの足がぴたりと止まった。何か様子がおかしい。


 何だか血なまぐさく、おまけに腐敗臭まで漂ってくる。思わず眉をひそめるエリィ。


 ちょうどその瞬間、人影がこちらへ振り向いた。


「――え?」


 その姿を見たエリィは一瞬にして青ざめる。


 べっとりと口についた血と、暗闇で光る目。


「……お……うぅぅ……がぁ……!」


 耳をふさぎたくなるほど不快なうめき声。


 ――グールだ。グールが屍肉をむさぼっていたのだ。


「い……や……」


 後ずさるエリィ。予想外の事態に驚き、思わず立ちすくむ。


 しかも、相手はただのグールではない。


 体内に何かが寄生しているのだ。


「あ……ぉぉ……ぐげぇ……!」


 グールの右目や頭、腹部や足を突き破っておぞましい触手が顔をのぞかせている。


 エリィを認識しているのか、それはくちゃくちゃと音を立てながら蠢く。


「――――ッ!」


 とっさに杖を振りかざし、火球を飛ばすエリィ。


 しかし、それが着弾してもグールに大きなダメージを与えることはできない。


 根本的に威力が足りていないのだ。


「そんな……!」


 たじろいだエリィの隙をついて、グールの伸ばした触手が持っている杖を絡めとる。


「いやああああああああ!」


 とうとう戦意を喪失してしまったエリィは、泣き叫びながら逃げ出した。


「なによっ! なんなのよあれぇぇぇ!」


 半狂乱になって叫ぶエリィ。


 グールは、器用に触手を動かしながら、かなりの速さでその後ろを追いかけてくる。


 ――このままでは追いつかれてしまう。


「助けて……助けてクレイグ! ミラぁ!」


 なりふり構わず、助けを求めるエリィ。


 しかし、誰も答えてくれない。


 体力がつきかけ、だいぶ息も上がってきたその時、エリィは触手に右足を絡めとられ、とうとう床へ倒れてしまう。


「やめてぇ! はなしてぇ!」


 むやみやたらに手足を動かして暴れるが、触手はかえって強く絡みつき、エリィを締め上げる。


「ぐぅっ! あぁっ!」


 首を絞めつけられ、恐怖と苦痛のあまり失禁するエリィ。


「うぅ……くっ!」


 朦朧とする意識。すっかり打つ手がなくなり、絶望しきったその時だった。


 突如として迷宮が揺れる。


 触手の締め付けが弱まり、エリィは床へ落とされた。


 受け身を取ることができず、怪我を負うが何とかグールからは逃れることができたようである。


「ごほっ、げほっ、げほっ!」


 エリィは激しくせき込み、壁にもたれかかった。


「はぁ……はぁ……なんなの……!」


先ほどまでグールが居た場所には、壁が降りている。


 どうやら、この迷宮に仕掛けられた罠が作動し、グールはそれに押し潰されたらしい。


 壁と床の隙間からは、大量の血が染み出し、ちぎれた触手がくねくねと動いている。


「は、ははっ! ざまぁないわ!」


 その様子を見ながら、エリィは笑った。


 幸いにも、エリィだけは罠の餌食にならずに済んだらしい。もし、倒れた場所が少しでもずれていたら、グールと共に押しつぶされていただろう。


「ははははっ! ははははははっ!」


 目を見開いて高らかに笑うエリィ。どうやら、恐怖のあまり精神がおかしくなってしまったようだ。


 おそらく一時的なものだが、迷宮で正気を失うことは大きな命取りとなる。


 次の瞬間、エリィのもたれかかっていた壁の罠が作動し、エリィは落とし穴へ悲鳴をあげながら真っ逆さまに落ちていった。


「いやああああああああああっ!」


――ぼすっ。


 少し不快な、鈍い感触。


 幸運が重なり、落ちた先に柔らかい何かが敷き詰められていたおかげで、エリィは重傷は負わずに済んだようだ。


「もういやっ! 一体何なのよっ!」


 立ち上がり、地団太を踏むエリィ。


――ぷちゅ、ぷちゅ。


 真っ暗で何も見えないが、何かがつぶれるような感触がする。


「ん…………?」


 違和感を覚えたエリィは、魔法を使い再び周囲を照らした。


「――――ひぃっ!」

 

 ――虫、虫、虫、虫虫虫虫虫虫。


 その部屋は、床、壁、天井、すべてを虫達に埋め尽くされていた。


 大量に蠢く虫達の隙間から、ちらりといくつもの白骨が覗いている。


 おそらく、死体がここへ落とされ、虫達によって死肉が処理されるようになっているのだろう。


 エリィは、死体処理場へ生きたまま落とされてしまったのだ。


 さらに不幸なことに、虫達は不用意に明かりをつけたエリィの元へ一斉に這ってくる。


「あぁ……! うそ……でしょ……!」


 羽虫、芋虫、毒虫、様々な形をした虫の一匹一匹が、もぞもぞとエリィの体をよじ登ってくる。


 蠢く虫達に包まれたエリィは、激しい不快感と嫌悪感に襲われた。


「いやああああああああっ! ごほぉっ! あぐっ、うえぇぇぇぇぇぇっ!」


 叫んだ口に次々と虫が雪崩れ込み、激しくえずくエリィ。


「おげぇっ! ああああああああああああああああッ!」


 虫達はせいぜいエリィに軽く噛みついてくる程度で、その肉を食いちぎろうとはしてこない。


 おそらく、エリィは誰かに発見されるまでずっとこのままだろう。

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