14話 急襲

 僕とノルンは背中合わせになって周囲を警戒する。


「ノルン。奴が出てきたら、迷宮の入り口まで全力で逃げて。邪魔になるようだったら武器も捨てて」

「ロロは……?」

「逃げ足には自信がある。なるべく……時間を稼いでから逃げる」

「でも……なんか変だよ。どこからくるのか全然わからない……」


 ノルンの言う通りだ。気配が均一で、どの方角から僕たちを狙っているのかがまったく読めない。


 こんなことは初めてだ。


 緊張の糸が張りつめる。


 次の瞬間、奴は轟音と共に横にある壁を突き破って現れた。


 洞窟の天井に届きそうな巨体。だらしなく垂れた舌、緑色の皮膚、鋭い目つきと牙。


 トロールキングだ。


「しまった――!」


 反応が遅れた僕は、奴の手に捕まれ洞窟の壁に押しつけられる。


「ぐぅッ!」

「ロロ!」


 背嚢がちぎれ、中に入っていたものがノルンの足元に散乱した。


 ノルンは武器を構えるが、トロールキングに睨みつけられ怯んで尻もちをついてしまう。


「オンナ、ニゲルナラ、コイツヲミステロ」

「え……!?」


 トロールキングは、意味を持った言葉を発した。発音が明瞭ではないが、言っていることは理解できる。


 僕を見捨てれば、ノルンだけは見逃してくれるということか? 


「タダシ、ニゲレバ、コイツヲ、ナブリコロシテ、クウ」


 トロールキングは、ノルンが行動を決めるまで僕をどうにかするつもりはないらしい。


 性格の悪い奴だ。


「はな……せ……」

「ダマッテロ」


 トロールキングが僕を握る力を強める。


「うわあああああああああああっ!」


 全身の骨が軋み、僕は激痛のあまり絶叫する。本気になれば僕なんて簡単に握り潰せるのに、あえてゆっくりと苦痛を与えているのだ。ただ自分が悲鳴を聞いて愉しむためだけに。


「ロロっ!……お願い……やめてっ!」


 悲痛な表情でそう叫ぶノルンの体は恐怖で震えている。あれではまともに戦うこともできないだろう。


「ドウスル?」


 その時、ノルンは足元に転がっていた何かを乱暴に掴み取り、自分の首に巻き付けた。……あれは、奴隷の首輪? いつの間にやら背嚢の中に紛れ込んでいたらしい。


 でも、どうしてそんなことを? 恐怖でおかしくなってしまったのだろうか。


「ノ……ルン……?」

「ロロ……私……に、命令してっ!」


 その言葉を聞いて、僕は全てを理解した。


 なるほど、確かに奴隷の首輪に命令をすれば、ノルンの感情を無視して動かすことができる。


 だけど、なんて命令をする? 逃げろ? 戦え? ノルンは一体何と命令をしてほしいんだ?


 トロールキングは僕の方を見て醜悪に笑う。


 そんなの決まっている。「僕を見捨てて逃げろ」だ。こんな奴とまともに戦ったところで勝ち目はない。それなら、犠牲者が一人で済む方が最良の選択である。


 実際に、クレイグはそうした。


 だけど僕は――


「た……す……けて……ぇ……っ」


 最低な選択をした。見捨てられる恐怖に抗えなかった。一人で魔物に散々いたぶられて死にたくなかった。


 あろうことか、ノルンにミラの姿を重ねて助けを求めてしまうなんて。


 一瞬の判断ミスでパーティは全滅する。


 最悪だ。冒険者失格だ。目から大粒の涙が溢れ出す。


 ああ、僕ってやっぱり才能ないんだなぁ…………。


 ミラ、クレイグ、エリィ……みんなの言う通りだったよ。


 今まで迷惑かけて……ごめんね。


 ノルン…………僕はのしたことは、もはや謝って許されることではない。


 霞む視界、ぼんやりと写るノルンの顔は、なぜか一瞬だけ微笑んだ。


「ロロを放せええぇぇぇ!」


 直後、鬼のような形相でメイスを振りかぶり、自分より遥かに大きいトロールキングへ飛びかかるノルン。


 腹に向かって放たれたその一撃は、トロールキングを嘔吐えずかせ、よろめかせる。


「ゲ……ゲヒヒヒヒ!」

「まだまだッ!」


 更に攻撃を仕掛けようとするノルンを、トロールキングは醜い笑い声を上げながら、弾き飛ばす。


「かはッ……!」

「ノルン!」


 ノルンの体は勢いよく壁に叩きつけられ、ずり落ちる。


 砂煙が巻き上がる中、トロールキングの笑い声が洞窟内にこだました。


 刹那、砂煙の中から勢いよくメイスが飛んできて、トロールキングの腕に直撃する。


 僕を掴む腕の力が弱まり、拘束から脱出することができた。


「グゥッ!」


 腕から血を流し、膝をつくトロールキング。衝撃で洞窟全体が揺れる。


 ノルンは――ぼろぼろの姿で立っていた。髪は乱れ、身体中から出血している。


「ノ……ルン……!」

「ロロ…………ごほッ!」


 ノルンは僕の名前を呼んだ後、口から血を吐き出して倒れる。


「…………ノルン!」


 僕は慌ててノルンに駆け寄り、その体を抱き抱えると、素早く岩陰に身を隠した。


 たった一撃で、こんな風になってしまうのか。それなのに僕は……怯えるノルンを無理矢理……!


 洞窟の振動が収まらない。トロールキングが怒り狂い、滅茶苦茶に暴れまわっているようだった。


 僕はノルンの服に再生リジェネレイトのエンチャントをする。お願いだ……これで動けるようになってくれ……!


「ノルンっ! しっかりしてノルン!」

「よかった……助けられた……ロロの‥…役に立てた……」


 全身から出血した痛々しい姿で、僕に微笑むノルン。


「ごめん、ごめんよノルン! 僕の……僕のせいでっ!」

「泣かないで……ロロ……」


 ノルンは僕の顔に手を伸ばし、親指で涙を拭き取った。


「ごめんね……ノルン……僕は……ノルンに助けられてばかりだ……」

「何……言ってるの……ロロ……?


 ノルンの意識がはっきりしない。思った以上に傷が深いみたいだ。僕はポケットから薬を取り出してノルンを抱き起こす。


 通称ネクタル。傷の治りを早める薬だ。再生のエンチャントと合わせれば、絶大な効果を発揮するだろう。


 僕はネクタルを口に含んで、ノルンに口移しした。


「…………っ!」


 独特の甘い匂いと、血が混ざった味がする。


 ノルンは両眼を大きく見開いて、僕を見つめた。


 少しして僕が顔を離すと、ノルンは口を動かして何か言いたそうにする。


「ごめんね……しばらく、安静にしてて」


 僕はノルンの目を閉じさせた。


 ずっとここに居てはトロールキングに気付かれてしまう。巨体の割に俊敏であるため、ノルンを背負って奴から逃げ切ることも不可能だ。


 ノルンを助けるには、もはや奴を倒す以外、他に道はない。


「ドコダ! デテコイ!」


 僕はノルンの居場所がばれないように岩陰から出て、奴の背後に回り込んだ。


 トロールキング。確か、奴の討伐依頼は上級のミスリル以上でなければ受けられなかったはずだ。


 だけど――相討ちくらいなら、僕にでもできるかもしれない。

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