13話 気をつけて

「うみゃぁ……?」


 倒れていた女の人は、大きなあくびをしながら立ち上がる。……もしかすると、倒れてたんじゃなくて寝てたのかもしれない。


 よく考えたら、丸まって寝ているようにも見えたし……。


 僕は立ち上がった女の人の姿をじっと見る。


 青みがかった長い髪、頭から飛び出した猫耳、長い睫毛、とても綺麗な人だ。


 そして猫のようにしなやかな、何もまとっていない体。あとおっぱーー。


「ロロ! 見ちゃダメっ!」


 僕はノルンに視界を手で塞がれた。僕は無意識のうちに獣人の女の人に目を奪われていたことを自覚し、恥ずかしくなる。顔から火が出そう。


 でもちょっと見たい。いや、ただでさえ性奴隷を買うなどという凶行に及んだ僕がこれ以上罪を重ねることは許されない。でもちょっと見たい。


「と、とにかく、背嚢はいのうの中に布が入ってるはずだから、それを渡してあげて」

「わかった。手、離すけど、ロロは目を瞑っててね?」

「………………はい」

「むぅ」


 ノルンは僕の返事が遅れたことに不満の意を表明する。頑張って誘惑に抗っているので許してほしい。でもちょっと見たい。


「はい、これどうぞ」

「恩に着るにゃん。行きずりの人」

「ロロ、もう目を開けても大丈夫だよ」


 そう言われた僕は、ゆっくりと目を開く。戦いには勝利した。ここで見ないのは意気地なしだなどという批判は一切受け付けない。


「それで、どうしてこんなところで倒れたの?」


 僕は女の人に問いかける。


「うみゃぁ、二日酔いで……よく覚えてないにゃん」


 とんでもない答えが返ってきた。


「ロロ……この人少し変……」


 ノルンは怖がって僕の後ろに隠れる。


「そんなこと言ったら失礼だよ、ノルン」


 事実だけど。


「あー、だんだん目が覚めてきたにゃ。この感じはまた酔っ払ってやらかしたやつだにゃ」


 女の人は、猫の耳をぴくぴくと動かしながら呟いた。


「あの、ここは迷宮の中だよ? 冒険者以外の立ち入りは基本的にだめだし、何よりそんな格好で寝てたら危ないよ」

「心配無用にゃあ。今はペンダントがどっかいったけど、私は冒険者だからにゃん。それより、キミたちの方こそ見たところペンダントをつけていないようだにゃ?」

「僕たちは今試験中だから……」

「にゃるほど。失礼したにゃん」


 女の人はそう言うとゆっくり立ち上がる。


「とにかく、私は一度服を着るために迷宮を出るにゃ。試験、頑張るんだにゃん」

「ありがとう……」


 その時、女の人の猫耳が再び動いた。


「あー、でも、なんだか迷宮の様子が少し変だにゃ。キミたち、進むのはいいけど危なそうだったらすぐ引き返すにゃん」

「う、うん……少し変って、どういうこと?」

「二日酔いのせいで詳しくはわからないけど、魔物の数が異様に少ないにゃ。それ自体はいいことかもしれないけど、いつもと様子が違うってことは心に留めておくにゃん?」

「わかったよ、ありがとう」

「それじゃ、にゃんにゃーん。気をつけてにゃーん」


 女の人は、それだけ言うと迷宮の入り口へ向けて歩き出した。よくよく考えたら、裸一貫なのに一人で帰して大丈夫だろうか?


 そう思って声をかけようとした時にはすでに、女の人は姿を消していた。


「なんか……掴みどころのない人だったな……」

「‥…行こ、ロロ」


 ノルンは僕の隣に並んで歩き始める。さっきよりも距離が近い。それに、なんだか少しだけ怒ってるような気が。


「の、ノルン? 怒ってるの……?」


 僕の問いかけに対し、ノルンは首を振った。


「わかんない、なんかもやもやするの」


 ふくれるノルン。


 これは……もしかして嫉妬してる……? いや、そんなまさかね。


 と、とにかく今は迷宮探索中だ。おかしなことを考えるのはやめよう。


 不帰の洞窟の第一階層は、ほとんど整備されているため、道のりも平坦で容易に採掘場までたどり着くことができた。


 後は銅鉱石を持ち帰るだけだ。


 ノルンがメイスで岩を砕き、銅鉱石を掘り出すのにそれほど時間はかからなかった。さすがドワーフ。僕だったらこうはいかないだろう。どちらかといえば、採掘より採取の方が得意だ。お花を摘むのは任せてほしい。


「やったねロロ。これで冒険者になれるよ!」


 鉱石を手に持って喜ぶノルン。


「そうだね。でもまだ何があるかわからないから、気をつけて帰ろう」

「うん!」


 ノルンは僕が背負っている背嚢に鉱石を入れると、元気に歩き出した。


「ノルン、道そっちじゃないよ」

「え!? あ、地図反対に見てた……」

「帰りは僕が地図を見るよ。ありがとうノルン。よく頑張ったね」

「えへへー」


 振り返って地図を頼りに帰ろうとしたその時、ノルンが僕の手を握ってきた。


「ロロ…………」


 ひどく怯えている。それは僕も同じだった。


 なんだこの気配は。 


 決して警戒を怠っていたわけじゃない。それは、今の今まで完璧に気配を消していた。それでいて、周囲の魔物を威圧していたのである。


 さっきの女の人が感じた違和感の正体、迷宮にまったく魔物がいないの理由は、この異様な気配に恐れをなして皆姿を隠しているからだ。


 奴は今になって僕たちにその存在を知らしめた。一体何が目的だ? 僕たちが怯える様子を見て楽しんでいるのか? だとしたら、相手はかなり狡猾でずる賢い魔物だということになる。


 しくじった。

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