EP01-9
背中に嫌な汗が一筋、流れていくのが分かる。
レンドの斬撃波は不意打ちじみたものだったから考えても、檻に囚われている三人は殺しても構わないと思われている。そして、それを守れた事に関して感情は良かった。本気でそう思っているが、理性は二つの失敗をしたと判断を下している。一つ目は……。
現状、アリッサが持っている少ない手札を自分の為以外に使った事は失敗だと。
この世界における一カ月は九十日。その間に読破した本の数を正確には数えてはいないが、百冊以上は読んだと思っている。だが、彼らは魔術に関わらず戦闘に転用出来る技術が記載された武術・学術書の類は一切与えてくれなかった。
アリッサ自身、不用意な力を与えるきっかけになりかねない事を慎重に排除するその姿勢自体には好感が持てるとも思っている。だからと言って、現状を甘んじて受け入れて、何もしないという選択肢は、それこそ存在しない。
最初に思い付いたのは魔力そのものを認識する事。
『俺』の知識には存在しない力であり、この世界における自分の体で、道具を必要とせずに行使可能な、最も有益である考えられる能力の把握は必須だと判断した。
もちろん、手掛かりの無い状態から、今迄知覚するどころか存在すら知らないものを理解するのは難しい。どの程度の時間がかかるのか、その時間の程度次第では別の案を優先するべきだとも考えた。
が、その心配は杞憂であり、あっさりと解決した。
決心した次の日、自分の左の瞳に若干の違和感を感じた。その後何かしらの変化が起こらなかったので問題無いと放置していたのだが、食事を運んできたアオイを見た瞬間、理解した。
今、自分の左の瞳はアオイの体の中で循環している魔力の流れそのものを視認している事を。
余りの突然の変化に戸惑ったが、よくよく思い出せば自分の腕が化け物のような巨腕へと変化させる事が出来る体なのだ。それくらい出来てもおかしくは無いと、そう納得させる以外に手段がなかった。
何より、アリッサにとって大きなメリットであってもデメリットでは無いという事実。アリッサを見るアオイの態度が変わることは無く、また鏡で確認してみても自分の瞳に何ら変化は無かった。
(相手に察知されずに、対象の魔力の流れが視える。これは色々とアドバンテージなる)
其処から三日程、施設内に居場所が無いのか、アオイは殆どの時間をアリッサの隣で過ごしていた。アリッサにとってそれは、観察対象と常にいられる理想的な環境でもあった。
魔力は常に体の中で循環し、体の動きや感情の挙動に合わせて流れ方が変わる。そして、意識して外に向けない限りは漏れ出る事はあまり無いという事も理解した。魔力そのものの使い方だけで見るならば、アオイは自覚の無いアリッサの教師役をしていたという事になる。
その辺りで、自分の部屋の魔術的な監視にも気が付いた。
どれだけ術で術自体を隠蔽しようとも、継続的な魔力の流れそのものは消せない。術を動かすために流れてくる魔力、そして術式内部で蠢く魔力の塊がはっきりと見えたのだ。
魔力そのものを視るこの目は間違いなくチートだなと、笑ってしまうほどあっさり発見してしまった。
そして、この眼こそがレンドが放った不意打ちの斬撃波に対応できた所以だ。無駄を削り切った動作だとしても、力まずに体を動かせる人間はいないし、それは体の魔力の流れも同様だ。
この眼に名前はまだ付けていないが、カッコいい名前を付けようと色々と考えているのは秘密だ。もっとも、その眼の能力を誰にも伝えてないのだから周りの者が知る由もないのだが。
だが、ここで想定外の事態が襲った。
「ふむ……眼、がいいのかな?」
レンドは一度見ただけで、アリッサの眼に感づいた。
(視線の動き……からかな? 迂闊だった)
まずいと思った刹那の時間、アリッサは自分の心の動揺を出来うる限り抑えたつもりだ。少なくとも、素人相手なら隠し通せた自信はあるが、相手を考えると見抜かれたと考えるべきだろう。
(単純な経験値の差。それに固定概念によって発想を停滞させない臨機応変さ。これ……勝てるかな)
アリッサの理性が下す二つ目にして最大の失敗。
それは檻の中の三人を助けてしまった事。
三人がアリッサに対して人質として有用であると示してしまった。
この場で何より優先すべき事は自分の安全だと考えていたし、だからこそアオイを早々に遠ざけた。
(人でなしやろくでなし。そう判断されたら、それはそれで他の命を省みない危険思想の持ち主と取られる可能性もある……。生かしても良いと思える好判断材料になったかもしれない、そう思うしかない、かな?)
実質、そう判断したのは一人だけ。三人を見殺しにすることに反対した
だが、アリッサにそれ以上の余裕は与えられなかった。
レンドの空気が露骨に変わり、剣を正眼に構えた。自分を確実に殺す、その意思が肌にビリビリと突き刺さってくる。
もう一筋、背中に嫌な汗が流れていくのを感じとる余裕は……、アリッサにはなかった。
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