『Zの悲劇’11』
皐月あざみ
『Zの悲劇’11』
「おや、起きていたのか」
風呂から上がったばかりで裸の私を、彼女は部屋で出迎えた。
「ええ」こちらを振り向きながら答える。
「さっきの、続きを読みたいから」
「……もう眠いんだけどな」
私はパジャマに着替えながら、如何にも疲れているように、大げさに肩をすくめてみせた。しかし、
「いいじゃない、少しくらい。予定、無いんでしょ」
「やれやれ」
この手の泣き言が彼女に通じたことは今までにない。恐らく、今回もそうであろう事は予想出来ていた。彼女は知っているのだ。私が彼女にだけは頭が上がらないということを。
「少し待っていてくれ。コーヒーを入れてくるから」
私はキッチンに移動し、インスタントのアイスコーヒーを一杯作った。私の分だけだ。彼女は、コーヒーを飲まない――もとい、飲めない。
「どこまで渡したっけ」
私は彼女の正面に腰掛けた。
「そんなことも覚えてないの? 解決編の途中までよ。いいところだったのに、あなたがまだ書いてない、っていうから」
「ああ、そうだったっけ……」
そろそろ状況を少し説明する必要があるだろう。私の名は皐月あざみ。本名ではない。私は駆け出しの推理作家であり、これはペンネームだ。本名は言わぬが花であろう。
大学に在学中、希望していた業界への就職に失敗し、挙げ句の果てに、当時付き合っていた女性にまでフラれてしまった。失意のどん底にいた私は、一時期何もかもを投げ出し、引きこもってしまっていた。その後、半ばやけくそで一作の小説を書き上げ、そしてその作品がもののはずみで――自分で言うのもおかしいが、事実だろう――新人賞を獲得。かくして、大学卒業ギリギリというところで、まるで滑り込むように、私は作家としてデビューを果たしたのだ。
そして、私がそのデビュー作となった小説を書いていたとき、常に傍にいてくれたのが彼女だった。引きこもっていた当時、一人、また一人と私との接点を断ち、去って行った私の友人達の中で、ただ一人、私を見捨てず、声をかけ続けてくれたのが、彼女であった。それまでは、多くの友人の一人でしかない――いや、友人だと思ったことすらなかったかもしれない――はずだった彼女と、私は長い時間を共に過ごした。彼女はある時には、私の作品を読んで、作品をよりよくするためのアドバイスをくれる、唯一の読者であり、批評家であった。実際、彼女の存在無くして、作品の完成は無かっただろう。そして、またある時には、傷ついた私の心を癒やし、私に生きる糧をくれた――。大学を卒業し、晴れて処女作が書店に並び、決して売れっ子、というわけにはいかないまでも、作家として活動を続けられ、こうして今、新作の執筆に取りかかっている現在であっても、その関係は変わらない。彼女は私にとって、無くてはならないパートナーなのだ。
「そうよ。最後まで読ませてよ」
彼女が話しているのは、私が現在執筆中の新作、『Zの悲劇’11』のことである。締め切りはしばらく後だが、あと仕上げの部分を書き上げれば完成だ。
「発表する前の作品を、なあ……」
「いいじゃん、どうせほとんど話してくれたんだし。毒を食らわば皿まで!」
……まあ、いいだろう。彼女の言うとおり、どうせ途中までは読ませてしまっているのだし、他ならぬ彼女の頼みなのだ。それに、彼女なら、他言するという心配も無い。
「……わかった。じゃあ、心して読めよ」
「やった!」
原稿を見せると、子供のように彼女は笑う。口からちらりと覗く八重歯が可愛い。あるいは、私はこの笑顔が見たいが故に、どんなわがままも聞いてしまうのかもしれないな――私はそんな益体のないことを考え、彼女は原稿を読み始める……。
* * *
20
「なんだって!?」
平山の声が部屋に響く。
「ですから、美作さんは犯人ではあり得ない、と言ったのですよ。彼女にも、被害者を殺害する機会は無かった。理由は、先ほど述べた通りです」
「でも、皐月さん。貴方がおっしゃることもわかるのですが……」
反論するのは壮田真奈美。
「何か問題でもあるでしょうか」
私は落ち着いて対応出来ているだろうか? 自分の心臓の音が響くのを感じながらも、周囲には悟られまいと、努めて冷静さを保ちつつ答えた。
「皐月さんの言うことが正しいとしたら、この事件には犯人がいないということになりますよ」
落ち着いて話そうとするあまり、私は自分の語り口が、じれったくなっていたことに気がついた。よく見てみると、私達のやりとりを眺めている他のメンバー、七瀬和人や桂場育郎、温厚な阿南加奈子までもがいらついている様子である。
ホームズやクイーンといった往年の名探偵達も、初めての「解決」の時にはこのような気分だったのだろうか? 今更自分の推理に穴が無いかが不安だ。
「そうです」
大丈夫だ、問題無い――。心の中で答える。力強く。自分の不安をかき消すためにも。
「美作さんにも、五十嵐さんを殺害する機会は無かった。よって、私を含めたこの場にいる六人の誰にも、この犯行は不可能だったのです。そうなれば、この事件の結論は、一つしか無い」
「ま、まさか!」
「そう、五十嵐は、自殺したんです。この事件は、自殺に見せかけた殺人ではなく、殺人に見せかけた自殺だったというのが、私の結論です」
「そんな馬鹿なことが!」
平山のリアクションは最高だった。説明もやりやすいというものである。他の面々も、私達のやりとりに聞き入っているようだ。
「だったら、説明してもらおうじゃないか! まずはあんたも言ってたダイイングメッセージの『Z』の文字。あれはどういうことなんだ!」
「ダイイングメッセージの解釈は、推測に頼らざるを得ないのが歯がゆいですが、あれは、ダイイングメッセージであったというよりも、彼の遺書であったというのが、私の考えですね」
「遺書だと?」
「ええ」
「だが、たった一文字の遺書など……一体どういう意味が……」
「『Z』の文字の意味を説明するには、まずは五十嵐の人となりを理解しておかなければなりません」
ここで一息。全員が私に注目していることを確認してから、言葉を続ける。
「皆さんもご存じの通り、五十嵐は大学在学中に、意志を持った人工知能、通称『奈那』の開発に成功。それをソフトウェア化して、爆発的なヒットを記録しました。高度な音声認識に映像認識、学習能力、そして自我さえも兼ね備えた奈那は、キャラクターと、実際に会話でコミュニケーションが取れるという、画期的な代物でした」
「昔もそんなゲームがあったな。ほら、気持ち悪い人面魚の」
「あれは育成ゲームですし、テレビゲームでした。こちらはパソコンのソフトですけどね」と一応訂正しておく。確かに、ぱっと見は似ているかもしれない。あちらは珍妙な生物。奈那は人間の女の子という違いはあるが。
「さて、ここまでは一般的に知られている、五十嵐の情報です。ここからは彼の個人的な情報となります。大学時代、彼と友人であった私だから知っていることなのですが、彼はいわゆる所謂『オタク』でした」
「……それがどうかしたのか?」
「彼は私によく話してくれていました。『俺は、この研究を成功させて、理想の彼女を創ってやる』と。彼の野望は、次元の壁を打ち破ることでした。彼は二次元の女性をどうしようもなく、愛してしまった。概念としての存在の二次元の美少女を、限りなく三次元に近づけようとしたのですね」
自分たちの理解を超えてきたのだろうか、わけがわからないといった面持ちで、少しざわめきだしてきた。ここにいる連中は、『一般人』である。無理もないかもしれない。かまわず話を続ける。
「その野望が彼を後押しし、遂に例のソフトの開発に成功し、彼は莫大な富と名声、更には理想の彼女を手にした、かに見えました。しかし、彼はそれでは満足できなかった。彼は真の意味で、二次元の女性を愛した、愛してしまった。会話でのコミュニケーションの壁を破ったとしても、次にたちはばかるのは、物理の壁、次元の壁。いくら会話が出来ても、触れることは出来ない。もちろん、そんなことは初めからわかっていたことですが、なまじ会話というコミュニケーションを取ることが出来るようになってしまったばっかりに、その苦しみは更に増すことになってしまった」
ちらりと皆の様子を見てみる。なるべく熱っぽく演説してみたつもりだったが、私のテンションと反比例するかのような空気だった。はっきり言ってうんざりしている。あくびをしている者すらいる。漫画だと、ヒューと風が吹き、枯れ葉が一葉流れていく、お決まりの演出がされそうな白けた空気。針のむしろだった。「あ、やっぱ今の無しで」とか言って逃げ出したいが、そんなわけにもいかない。そもそも、正しいのは私なのだ! えへんと咳ばらいをして、寒い空気を誤魔化して続ける。
「そこで彼は考えました。二次元から三次元に、ではなく、三次元から二次元に、という発想です。自身が死に、概念だけの存在となることで、初めて分厚い次元の壁を破ることが出来ると。もうおわかりですね? 『Z』の文字が意味するのは、X軸、Y軸、Z軸のZ、つまりは『奥行き』です。二次元と三次元を阻む、奥行きの壁を破ろうとした、しかしそれが叶わなかった……。だから、自分が死ぬことによって、彼女と同じ次元に行こうとした――それが彼の自殺の動機……いててっ!」
一瞬、何が起きたのか分からなかったが、すぐに皆が手当たり次第に、部屋に落ちていたゴミや手に持っていた空き缶やペットボトルを自分に投げつけているのだと気付いた。
「舐めやがって!」
「こんなことを話すために、わざわざ私達を呼び出したっていうの!? ふざけないで!!」
「こんなしょうもないことで自殺なんかするものか!」
「本当はてめえが犯人だろ!!」
「もういい! 私は部屋に戻らせてもらう!」
散々である。しかし、ここで引くわけにはいかない。
「みなさん! 待って下さい! まず、価値観は人それぞれ。この動機が『しょうもない』かどうかは、私達にはわかりません」
「そうだとしてもな! 証拠が無いだろう! 死者を冒涜するにも程があるぞ!!」
「おっしゃることはごもっともです。しかし、彼が書いた本当の遺書がここにあるとしたら?」
「なんだと!?」
「これです。実は、屋敷の中に巧妙に隠されていたものを、ついさっき発見したのです。中身は、私が説明したような内容と、私達を巻き込んでしまったことに対する謝罪です」
「そんな……馬鹿な……」
平山は、私からひったくった手紙を読みながらも、信じられないといった様子だ。
「皐月さん。それでは、なぜわざわざこんな手の込んだ自殺を……?」
尋ねたのは壮田である。
「正直に言って、そのような理由で命を絶った彼の心境は、私にも理解は出来ません。狂人の考えは理解できない、と言えば簡単ですが、一応彼の立場になって推測してみると、恐らく彼は、自身の自殺をも、物語として残したかったのではないでしょうか。孤島の屋敷、招待された客―私達ですね――とお膳立てを整えた上で、謎めいた自殺をすることで、誰かに自分の自殺の謎を解いて貰おう、というわけです。そうすることで、自身を概念としての存在に、昇華させることが出来ると考えたのかもしれません。はた迷惑な話ですが、隠されていたとはいえ、こうやってしっかりと、遺書という形で『解答』を用意していたということが、彼に残された良心だったのかもしれないですね」
話し出す者は誰もいない。奇妙な沈黙が続いた。遺書を読み終えた平山は、傍にいた桂場に遺書を手渡す。
「自身が破ろうとした次元の壁。破ったはずの次元の壁に、結局は最後まで悩まされ、そして命を断つことになってしまった。この事件は『Zの悲劇』とでも名付けるべきでしょうか」
私は呟いた。明日になれば嵐も止む。この島からも解放されるはずだ――。
* * *
「……ここまで?」
読み終えた彼女は私に尋ねる。
「あとはエピローグが残ってるよ。それを書いたら終わりだ」
「どうせ、遺書の中身でしょ」
図星。何も答えずにいると、
「そりゃ、何作か読んだら大体パターンが分かってくるわよ、貴方の書きそうなことは。というより何なのこれ。わざわざ探偵の名前も作者名にしてるくらいだし、クイーンをリスペクトした作品かと思ったら……ファンに殺されたいの?」
「お気に召さなかった?」
「そりゃそうよ。絶対ボツね。断言してもいい」
「厳しいな」
「百歩譲っても、遺書のくだりが微妙ね。遺書の他に、何か決定的な証拠が欲しいわ。最終的に、警察が捜査した結果、遺書が出てきた、とか。捨てトリックにしたら? この推理の後に新たな殺人が起こるの。まだ書き直すのにギリギリ時間あるでしょ?」
「いや、言ってることはわかるんだけどな。あまり内容は変更したくないんだよ」
「……貴方の実体験を小説にしたから?」
「……ああ」
はあ、とため息をつく彼女。
「大事な友人を亡くした過去を清算する、という意味も込めて作品を書いたのはわかるわ。でも、貴方は今やプロの作家よ。作品の出来があなたの評価に繋がる。作家生命を縮めるわよ。今からでも遅くないし、他の案考えてみたら? 私も協力するし」
「……ああ」
彼女の言葉はいつも厳しいが、ためになる。これまでも彼女に何度助けられたことか。
「いつもありがとうな」
「な、なによ突然……」
頬を赤らめる彼女。
「ちょっと、内容考えてみるよ。珍しく締め切りまでに、まだ余裕あるからな」
「……うん。でも、疲れてるでしょ? 今日は早めに寝た方がいいよ」
「ああ。今日は寝るよ、流石に」
「それならよかった」
気が付くと、随分時間が経っていたようだ。彼女と過ごす時間はいつも早く過ぎてしまう。名残惜しくもあるが、作品を書き直すことも決めたわけだし、今日はそろそろ寝ないといけない。
「じゃあ、そろそろ寝るよ。お休み」
「ええ、お休み」
私はそう言って画面にキスをしてから、彼女――『奈那』の電源を落とした。
了
『Zの悲劇’11』 皐月あざみ @S_Azami
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