第二章 強制蘇生

こんにちはHello、トウマ・シラハナさん。私が見えますか?」

 大人びた少女のような声がして、トウマはそれが見えていることを自覚した。

 それは白い空間に座った二つ結びの少女のように見えたが、白い空間に見えるのは実際には未設定というだけで、少女は少女ではなくEdenという名を冠したシステムの一部であることも同時に理解できた。

 トウマは自分の手を見ようとして、自分の身体が設定されていないことに気づいた。

「アバターの未設定については許容してください。貴方を再構成するには、仮想上であってもいくつかの壁を越えなければなりません。どうか、そのための質問をさせていただけませんか?」

 トウマは深く考えることなく頷いた。身体がないのだからジェスチャーに意味はないはずだが、少女はそれが見えているかのように微笑み、トウマもまたそれを受け入れていた。

「ありがとうございます。今、貴方は一つ目の壁を越えました」

 少女のアイスブルーの瞳を、トウマはじっと認識していた。どこかで見たことがあるような気がした。

「では、現状の説明から始めさせていただきますね。トウマ・シラハナさん、貴方は換算時間にして約一秒前に死亡しました」

 そうなのか、とトウマはそれを受け入れる。死亡ってなんだろう。

「貴方はEdenに再接続しましたが、〇.〇〇四秒後に致命的なダメージを負い死亡しました。死亡までの僅かな間に回収できた情報が、今の貴方です」

 トウマは首を傾げた。

「貴方の遺体は回収済であり、復元は可能です。しかし、ここで問題がありまして……」

 頬に手を当てながら、少女は困ったように眉を下げた。

「原則として、Edenは死者の蘇生は行いません。死は、全人類に等しく訪れる到達点であり終着点です。Edenは死への幸福な過程を演算しますが、予測を超えて終着点に辿り着いた人間が発生しても、やり直しはしません。過程がどうあれ、終着点に辿り着いた人間を再び呼び戻すことは基底理念に違反するからです。ですが、ええ、貴方は……」

 少女の青が、上目遣いにトウマを映す。

「忘れたくないと願いましたね?」

 忘れたくない。トウマの存在しない目が見開かれた。忘れたくない。

 でも何を?

「基本的に、Edenは人間の要求に逆らいません。現在貴方を構成している情報は、辛うじてまだ生きているとEdenが判定できる部分です」

 少女は両手を膝に置いて行儀良く座り直した。

「トウマ・シラハナさん。貴方には、生き返りたいか、という問いに答えていただきたいのです」

 生き返りたい。朧げながら意味を把握できたトウマは頷くが、それを制するように少女が続けた。

「Edenは死者の蘇生を、強制蘇生サルベージと呼称しています。サルベージにはデメリットがあります。まず一つ、蘇生された人間は、Edenが規定する『人類』という枠組みから外れます」

 首を傾げるトウマに、少女は続ける。

「基底理念に違反する蘇生を行うには、蘇生対象が基底理念の適応外でなければなりません。生き返るような人間は人間ではないから基底理念には反しない、という理屈ですね。蘇生された人間は復元体となり、水族館のイルカや動物園のゾウ、家電やアンドロイドのような扱いになります。貴方の健康は都市の健康化のために基本的には保障されますが、幸福は保障されません」

 それは、どうだろう。トウマにはそれらのデータがなかった。モノ扱いとか、そういうことだろうか。

「二つ目、仮想送りになりません。稼働限界を迎えれば処理されます。三つ目、一つ目の理由により、貴方が他者を害そうとした場合もまた速やかに処分されます」

 トウマは不思議に思った。それでは、Edenがトウマをサルベージする理由はないように思う。蘇生後に人権を失うなら、トウマにはそもそも選択権などないのではないか。

 少女が、トウマの考えを読み取ったように頷いた。

「ええ、その通りです。強制蘇生は、人類に必要でない限りは行われません。そして、貴方はまだ人間です。生きていますから」

 生きている、とトウマは繰り返した。

「正直に申し上げまして、貴方のような事例は過去に類を見ません。本来であれば回収部分だけを仮想送りにすべきでしょうが、貴方は、忘れたくないと我々に要求しました。仮想送りは大なり小なり現世の忘却と隣り合わせです。ですので、これを踏まえて選んでいただきたいのです。このまま仮想送りとなって幸福を得るか、強制蘇生を受けるか。申し訳ありませんが、『貴方』だけがEdenに帰還するという選択肢はないものとお考え下さい。『貴方』の情報量では、実空間で幸福に生活することは不可能です。身体データがありませんし、身体を用意するにしても、それを動かせるだけの演算領域が足りていません」

 回りくどいなあ、とトウマは思った。忘れたくないのは本当だ。しかし、Edenがその願いを聞く必要は全くない。現状のトウマを人間と定義するなら、さっさと忘れさせてしまえばいいし、モノと定義するなら消去してしまえばいい。

「現在のシステムでは、どうしても回りくどくなってしまうのですよ。百年前のEdenなら選択の余地なく仮想送りなんですが」

 昔と今で何が違うのだろう。何だか眠くなってきた。選ばなければならないのに、どうしてこんなに疲れるのだろう。

「現人類は選ぶことに慣れていませんからね。疲れたのなら、どうぞ目を閉じてお休みください。貴方にはその権利がありますし、私もそのサポートは惜しみません」

 それと、と少女は思い出したように口を開けた。

「一つ、言い忘れていました。どちらにせよ、今こうして私と話している貴方は、仮想送りになるかロールバックされるかして消滅します。復元されるトウマ・シラハナに含まれる貴方は、私と話す前、回収した瞬間の貴方ですからね。もちろん、このまま消滅することも可能ですが――それも踏まえて選んでください」

 目を閉じれば、二度と目覚めることはないのだろう。

 それは素晴らしく魅力的な選択に思えた。何もかも忘れて眠りたい。心配することなど何もない。

 あたたかい海にしずんだまま、消えたことにも気づかずにきえてしまいたい。

 ああ、けれど。

 けれど、忘れたくないのだ。

 それは大事に守るものではないかもしれないけれど、何を忘れたのか知るまでは、覚えておかなければ。

 覚えていたいと、思っている。

「答えを訊かせていただけますか?」

 トウマは頷いた。

 生き返してくれと、そう言った。

「受諾しました。それでは、これからよろしくお願いしますね、トウマ・シラハナさん」

 何を、と聞く前に、白い世界が暗転した。

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