そうは言っても、機械に見つけられないものを人間が見つけるのは無理な話だろう。

 凍りついた立方体群の彼方にある楽園と青い月。この世界で唯一残った観光名所を、廃墟と化した路地裏から仰ぎ見る。

 瞬きをすれば、目の前には天使のような少女が浮いている。

 ELはにこりと微笑んで、ノヴァに問いを投げ掛けた。

『人間にできて機械にできないことは何だと思いますか?』

「そんなものはない」

 ELから目を逸らし、ノヴァは探索を再開する。廃墟から廃墟を足跡をつけながら黙々と周囲を走査する。

『兄さんは、自分が機械に劣っているとお考えなのですか?』

 まるで愛玩動物を見るように、ELは青い目をきゅっと細めた。

「機械に勝る人間がいるか?」

『キコさんなどは典型例です。彼女の行動は機械にはできません』

「やろうと思えばできるさ」

 ブラックドックの足跡を見つけ、それとは別方向を目指す。同じ場所を探しても仕方がない。

『いいえ。機械はやろうと思えません。決められた仕事しかできませんから』

「何の話をしているんだ?」

『このままでは絶対に見つかりませんよ』

 無言が肯定だった。端から見つかるとは思っていない。Edenに半ば無視されているとはいえ、キコはこの狭い世界で二年近くも逃亡生活を続けているのだ。

 ならば何故探しているのかといえば、仕事だからとしか言いようがない。

『ミオさんが貴方に頼んだのですから、意味があるはずではありませんか?』

「そうかもな」

『そもそもですよ。キコさんは、一体どうやってEdenから逃げられたんでしょうか』

「誰だって逃げようと思えば……」

 さくりと、ノヴァは足を止めた。ELがすかさず真正面に回り込む。

『逃げられませんよね。例え外世界にいても、Edenとのリンクは切れません』

 そうだ。人体に紐づいた調整素子とメインサーバは、時空を超えても切れることがない。

「キコはEdenに追い出されたんじゃないか? Edenに現れるのは、襲撃のためではなく帰還するため……」

『兄さんも気づいているとは思いますが、その可能性は低いと思います。追い出すくらいなら仮想送りにするべきですし、そもそも、拉致された市民が見つからない理由に説明がつきません』

 何かがおかしい。おかしいということに気づいている。ノヴァは解析済ノーマルだ、意識下に起きる全てに幸福的な意味がある。

『もっと単純な話ですよ』

「分かっているなら早く言え」

『分からないんですか?』

 ELは口に両手を当ててくすくす笑った。こういう時のための拡張機能だろう。ノヴァが苛立たし気に睨みつけると、ELはすまし顔で背中に腕を回し、口を開いた。

『リンクを切ったんですよ』

「それができれば苦労は……」

 ELが、背中から何かを取り出すように小さな拳をノヴァに向け、握りこんだ宝物を見せるようにしてその手を開いた。

 そこには情報窓が浮かんでいた。ELはそこに書かれた文言を、抑揚に欠けた合成音声を真似するように読み上げた。

『Edenとの通信を無効にしますか?』

 ノヴァは碧眼を見開いていた。そんなことが可能なのか。

 いや、そうではない。表示されているのなら可能なのだ。

 では、何故今、この事実に気づかされているのか。

 キコが逃げてから二年間、彼女がどうやって逃げたのか考えもしなかった。考えないようになっていたのは理解できる。しかし、ならば何故。

『緊急事態を受け入れる準備が整った、ということなんですかね?』

 ELが楽しそうにニコニコ笑う。ノヴァ自身も、ELと似たような顔を隠しきれていなかった。

 Edenとのリンクを切れば、行動制限を受けることはない。Edenを攻撃しようが隔壁を崩そうが自殺しようが止められない。

 Edenを欺く必要がなくなったのなら、あとは武器があればいい。そしてその武器は、目下探索中の元後輩が持っているものと思われた。

『どうしますか?』

「ミオにメッセージを送ってくれ」

『方法が見つかったかもしれない、ですよね。もう送りました』

「たまには役に立つんだな」

『常日頃の間違いですよね?』

 口を尖らせるELを無視して、ノヴァは承諾の二文字にトンと触れた。

 風が吹いた。

 砂がさらさらと崩れていく音がした。

 がくん、と膝が折れ、倒れそうになるのをなんとか堪える。無音の耳鳴り。無秩序に広がろうとする視野。

『リアルタイム補正が効かなくなったんですね。大丈夫ですか?』

「……は」

 そういうことかと納得しつつ、ノヴァは、ゆっくり息を吐いた。

 二重に見えたELは、目頭を押さえて数度瞬けば修正された。

「お前は消えないんだな」

『大丈夫そうですね。ええ、私は貴方の調整素子上で稼働していますから。必要な情報はダウンロード済みですので、今まで通りお助けできます』

「補正の肩代わりはできないのか?」

『Edenの補正機能は「非推奨事項をリアルタイムで先回りして弾く」ことに特化しているのだと思われます。流石に私だけでは無理ですね』

 何を弾いていたのか。ノヴァは辺りを見回すが、延々と続く白い廃墟しか見当たらない。どこを向いても似たような景色。扉などついていない長方形の穴。その向こうに覗くのもまた廃墟で、長方形の穴が空いていて、砂に埋もれた内部があって、その向こうにもまた……。

『兄さん』

 は、とノヴァは呼吸を再開した。

『補正は偉大ですね』

「まったくだな……」

 とはいえ、Edenの庇護下から脱した証拠でもあった。キコを探さなければならない。

『キコさんは、何らかの手段で自身の周囲を弾いているのかもしれません。オフライン下なら案外あっさり見つかるかもしれないですよ』

 まあ、この方法が間違っていたならEdenに戻ればいい話だ。ノヴァは仕事をしているだけなのだし、これで万が一仮想送りになるなら歓迎したいくらいだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る