四
そうは言っても、機械に見つけられないものを人間が見つけるのは無理な話だろう。
凍りついた立方体群の彼方にある楽園と青い月。この世界で唯一残った観光名所を、廃墟と化した路地裏から仰ぎ見る。
瞬きをすれば、目の前には天使のような少女が浮いている。
ELはにこりと微笑んで、ノヴァに問いを投げ掛けた。
『人間にできて機械にできないことは何だと思いますか?』
「そんなものはない」
ELから目を逸らし、ノヴァは探索を再開する。廃墟から廃墟を足跡をつけながら黙々と周囲を走査する。
『兄さんは、自分が機械に劣っているとお考えなのですか?』
まるで愛玩動物を見るように、ELは青い目をきゅっと細めた。
「機械に勝る人間がいるか?」
『キコさんなどは典型例です。彼女の行動は機械にはできません』
「やろうと思えばできるさ」
ブラックドックの足跡を見つけ、それとは別方向を目指す。同じ場所を探しても仕方がない。
『いいえ。機械はやろうと思えません。決められた仕事しかできませんから』
「何の話をしているんだ?」
『このままでは絶対に見つかりませんよ』
無言が肯定だった。端から見つかるとは思っていない。Edenに半ば無視されているとはいえ、キコはこの狭い世界で二年近くも逃亡生活を続けているのだ。
ならば何故探しているのかといえば、仕事だからとしか言いようがない。
『ミオさんが貴方に頼んだのですから、意味があるはずではありませんか?』
「そうかもな」
『そもそもですよ。キコさんは、一体どうやってEdenから逃げられたんでしょうか』
「誰だって逃げようと思えば……」
さくりと、ノヴァは足を止めた。ELがすかさず真正面に回り込む。
『逃げられませんよね。例え外世界にいても、Edenとのリンクは切れません』
そうだ。人体に紐づいた調整素子とメインサーバは、時空を超えても切れることがない。
「キコはEdenに追い出されたんじゃないか? Edenに現れるのは、襲撃のためではなく帰還するため……」
『兄さんも気づいているとは思いますが、その可能性は低いと思います。追い出すくらいなら仮想送りにするべきですし、そもそも、拉致された市民が見つからない理由に説明がつきません』
何かがおかしい。おかしいということに気づいている。ノヴァは
『もっと単純な話ですよ』
「分かっているなら早く言え」
『分からないんですか?』
ELは口に両手を当ててくすくす笑った。こういう時のための拡張機能だろう。ノヴァが苛立たし気に睨みつけると、ELはすまし顔で背中に腕を回し、口を開いた。
『リンクを切ったんですよ』
「それができれば苦労は……」
ELが、背中から何かを取り出すように小さな拳をノヴァに向け、握りこんだ宝物を見せるようにしてその手を開いた。
そこには情報窓が浮かんでいた。ELはそこに書かれた文言を、抑揚に欠けた合成音声を真似するように読み上げた。
『Edenとの通信を無効にしますか?』
ノヴァは碧眼を見開いていた。そんなことが可能なのか。
いや、そうではない。表示されているのなら可能なのだ。
では、何故今、この事実に気づかされているのか。
キコが逃げてから二年間、彼女がどうやって逃げたのか考えもしなかった。考えないようになっていたのは理解できる。しかし、ならば何故。
『緊急事態を受け入れる準備が整った、ということなんですかね?』
ELが楽しそうにニコニコ笑う。ノヴァ自身も、ELと似たような顔を隠しきれていなかった。
Edenとのリンクを切れば、行動制限を受けることはない。Edenを攻撃しようが隔壁を崩そうが自殺しようが止められない。
Edenを欺く必要がなくなったのなら、あとは武器があればいい。そしてその武器は、目下探索中の元後輩が持っているものと思われた。
『どうしますか?』
「ミオにメッセージを送ってくれ」
『方法が見つかったかもしれない、ですよね。もう送りました』
「たまには役に立つんだな」
『常日頃の間違いですよね?』
口を尖らせるELを無視して、ノヴァは承諾の二文字にトンと触れた。
風が吹いた。
砂がさらさらと崩れていく音がした。
がくん、と膝が折れ、倒れそうになるのをなんとか堪える。無音の耳鳴り。無秩序に広がろうとする視野。
『リアルタイム補正が効かなくなったんですね。大丈夫ですか?』
「……は」
そういうことかと納得しつつ、ノヴァは、ゆっくり息を吐いた。
二重に見えたELは、目頭を押さえて数度瞬けば修正された。
「お前は消えないんだな」
『大丈夫そうですね。ええ、私は貴方の調整素子上で稼働していますから。必要な情報はダウンロード済みですので、今まで通りお助けできます』
「補正の肩代わりはできないのか?」
『Edenの補正機能は「非推奨事項をリアルタイムで先回りして弾く」ことに特化しているのだと思われます。流石に私だけでは無理ですね』
何を弾いていたのか。ノヴァは辺りを見回すが、延々と続く白い廃墟しか見当たらない。どこを向いても似たような景色。扉などついていない長方形の穴。その向こうに覗くのもまた廃墟で、長方形の穴が空いていて、砂に埋もれた内部があって、その向こうにもまた……。
『兄さん』
は、とノヴァは呼吸を再開した。
『補正は偉大ですね』
「まったくだな……」
とはいえ、Edenの庇護下から脱した証拠でもあった。キコを探さなければならない。
『キコさんは、何らかの手段で自身の周囲を弾いているのかもしれません。オフライン下なら案外あっさり見つかるかもしれないですよ』
まあ、この方法が間違っていたならEdenに戻ればいい話だ。ノヴァは仕事をしているだけなのだし、これで万が一仮想送りになるなら歓迎したいくらいだった。
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