第9話
「…飛ぶのは星の力を借りてる。引っ張られるのは何かの意思だ」
そう聞いてるだけだけど、と浩二は付け加えた。
「意思……」
「…そう。人の意思、星の意思。色々あるけどな。この世の全てのものには大小さまざまな意識があって意思がある。そうオレらの星では考えてる。そういうものが『なにか』とか『誰か』とか、まあ有り得ないけど具体的に誰かのことを呼んだりするのな。…星がオレらを飛ばそうとする力と、オレらが飛ぼうとする意思と…、そういう引っ張る方の意思が合わさったとき、オレらは飛ぶの」
そうだとしたら、浩二が今ここに居ることはとても天文学的な確率なんじゃないのか。具体的に浩二を呼ぶことはなくても、この世の全てのものに意思があるのだったら、浩二はここに居ない確率の方が断然高い。
「……あれ? 呼ぶって、私?」
確か最初に会ったとき、浩二は里穂に向かって「オマエが、呼んだのか?」と聞いてきた。浩二は少なくともやっぱり里穂がここへ引っ張ったと思っているわけだ。
「…引っ張られたら、引っ張った人なりモノなりのところへまず落ちる。…だから、里穂は疑ってたけど、多分間違いなくオマエがオレんことを引っ張ったんだと思う」
オレが落ちる前になんか考えたりしてなかったか?
そう問われてあのときのことを思い返す。
あの時は星空を見上げていた。そう、流れ星を見たという由香の話を思い出して、自分だったら何を願うだろうと考えたのだった。これから先のことを考えて、せめて大学四年間のうちに一度くらい、思い出に残ることがあるといいなと、そんなことを思ったような気がする。
「……って、ええ? そんな漠然としたことだよ? そんなことで引っ張られたりするの?」
里穂は驚いた。そんなことくらい、考えている人はこの世の中にいっぱい居るだろう。それくらいありふれた思いだ。
「…まあ、タイミング、ってヤツやと思うし。…オレもいっつも飛ばなきゃ、って思ってたワケでもないからな。たまに、飛ばなきゃ駄目なのかなー、くらいで」
「ええー、…なんか、スゴイ。それこそ、……」
言いかけて里穂が言葉を切る。浩二が不思議そうに続きを促したけど、里穂は焦ったように手を顔の前で振って、なんでもない、と繰り返した。
浩二の疑問あらわな視線の前で里穂はどうしていいか困っていた。もともと自分の思考を夢見がちだとは思っていたけど、よりによってこんなときに思ってしまった。
なんて、運命的、だなんて。
地球で生きていたって想いを交し合う人とめぐり合うのを運命的、と言うのだ。星を越えたところで微かにでもお互いが何らかの形で呼び合って、そうして浩二がここへ引っ張られてきたのだとしたら、もう里穂の頭の中ではそれを運命的、という表現以外では表せなかった。
だけど、普通だったらそう言ってしまって「里穂はロマンチストだからなあ」と言われてしまうだけのところを、今はそれが出来なかった。それは多分、先刻の浩二の言葉が引っかかっている所為だった。
笑った顔がキレイだなんて、初めて言われた。
里穂はどちらかというと平凡な顔をしていたからそんなことを言われる機会もなかったし、たまに可愛がってくれる先輩が後輩を等しく可愛がるように「カワイイ」とは言われたことはあったけど、でもやっぱり「キレイ」というのはなかった。
綺麗、という単語はむしろ浩二のためにあるような気がする。彫像のような顔立ちに息吹が吹き込まれているのだ。綺麗じゃないはずがない。雰囲気もどこか星空を思わせて綺麗だった。今だって、背後に煌く星の光がこんなに似合っている。
そんなことを考えていたら、じっと浩二を見つめてしまっていたようだった。どうした? と訝しげに問われて、ああ、と気が付いた。途端に今度は浩二のことを見られなくなってしまう。見つめていた視線をぱっと逸らした。ちょっとあからさま過ぎたかもしれない。
「…里穂?」
「な、…なんでもない! なんでも……」
そう言って俯く里穂を見て、浩二はふ、と瞳に影を落とすと、千切れて広くなった雲の合間から見える星空を仰いだ。
「…どっかに、あるのかな……」
ため息に混じった呟きだったけど、里穂はそれを零さず拾うことが出来た。呟きの気持ちを察知して浩二に問う。
「……何処か、…って……」
「…そうだな。…はじめは、星にも居られないし、星の最期も見届けられないんだったら、もうどこでどうなろうとどうでもいいかな…、て思ってたんだけど、…里穂と話してたら、こうやって地面に落ち着いて誰かと話して笑っていけたら、それも良いなあって思えてきたんだ」
諦め顔の根無し草のような彼からしたら随分前向きな言葉だった。けれど、里穂が聞きたいのはそれではなかった。心がざわついて口が動く。
「違うでしょう……。浩二くん、言ったじゃない。此処に落ち着けるよう願うって。…私と、仲良くなってくれるって……。それって、此処で落ち着いて、此処で暮らしてくってことでしょ……?」
少し声が震えているのが分かった。
何だか無性に、悲しい。
浩二は『誰か』と話して笑っていければいいと思っているのだ。そう、自分の未来に希望を持った。でも、その『誰か』は、『里穂』ではない。
浩二が困ったように微笑う。これも何度も見てきた顔だ。里穂には浩二が何に困っているのかが分からなかった。浩二は瞬きをして、蒼い宇宙をその瞳に映して言った。
「…オレがここに落ち着くにはチカラが足りないんだ……。ここに、オレを繋ぎ止める、チカラ、が、足りない……」
そう言って、また、里穂のほうを見てきた。真っ直ぐに、里穂を見つめる、少し何かを秘めた瞳。
力が足りない……。
それは、いつか浩二は必ずここから飛んでいってしまうということだろうか。
いつか、ではないかもしれない。
ここに浩二を繋ぎ止める力が足りていないのなら、今、この瞬間に、この広い宇宙のどこかで浩二を呼ぶ意思があったとしたら、浩二は今すぐにでもここから飛んで行ってしまうということだ。
里穂は自分の考えに愕然とした。
たった今、浩二が消える。それは今まで感じたことのないような、大きな穴に落ちていくような感覚だった。
笑って、驚いて。漸く歩み寄りかけて、彼という存在と手を繋げたかもしれないのに、彼に伸ばした手が空を切って二度とその手を掴めないかもしれないのだ。
イヤだ。
それは、イヤだ。
頬に触れてくれたやさしい温度がもう二度とありえないかもしれないと思うだけで悲しくなる。飛んで行ってしまっても忘れないでくれたらいいなんて、そんな前言撤回だ。だって、今、自分は、こんなにも目の前に彼が居てくれることを切望している。
里穂の心に渦が巻く。大きなうねりに、足を踏ん張っているのも困難なくらいだ。
浩二の背後には、織姫と彦星が煌いていた。きらりと光った、ふたつの星。
大気に揺れる瞬きに、今にも彼が消えてしまうんじゃないかと思えて、里穂はとっさに浩二の腕を取った。
「……なに?」
見つめてくる双眸は、もう夜の風のように清涼で、それが自分の心を襲った波の温度を余計に感じさせて無意識に視線をそらした。
「里穂?」
応えることも視線を戻すこともなくその場に立ち尽くす里穂の、右手の震えが浩二には不思議だった。
彼女は、何に怯えているというのか。
屋上の風景も、校庭の闇も、二人の間に流れる風だって何一つ変わってはいない。
もう一度そっと名を呼ぶと、項垂れたままの頭が緩く振られた。艶やかな黒髪がそれに合わせて小さく揺れる。
何かを、堪えているその様子に浩二の胸の内がじわりと痺れた。
大丈夫だよ、と。
なにも心配することはないと、里穂が何に怯えているのかも分からないのにそう思って、自分の左腕を握ったままの彼女の背を右の腕だけで緩く抱き締めた。
「…………っ」
里穂は息をのんだ。
薄い布地を通して染みてくる、体温。
それだけが、今、彼が「ここ」にいることの証だった。それが。
一瞬あと、一晩の後、明日もここにいるとは限らないのだと。
そう、里穂に知らしめているようで、衝動的に彼の首に腕を巻きつけた。
「…りほ?」
浩二が、驚いている。
自分は抱き締めるようなことをするくせに、里穂が腕を回すことなんて考えてもいなかったのだ。
首に回した腕を肩につきピンと伸ばす。里穂の背にまわされた浩二の腕もその力に外れた。
「………?」
「………っ」
不思議そうに見つめてくる褐色の双眸を、見返すことなんて出来なかった。
踵を返して逃げるように屋上から下りる。
彼の背には、きっと今も星が回っているはずだった……。
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