05 情炎



「お先に上がらせてもらうわね」

「お疲れ、リュデット。昨日の遅番からの今日の早番ご苦労様。しっかり休んでね」

 正午頃になり、私、リュデットは同僚に挨拶すると、冒険者ギルドの裏口から外に出る。この時間は灰もまだ降っていない。風向きの変わる夕方までは大丈夫だ。噴煙は昇っているが空は明るく、暖かな陽ざしに私は包まれる。

 はやる足を抑えて、日課の通り幸運の神の神殿へ向かう。タイトなスカートは早く動くには向いていない。でも、足取りが軽い。幸せな心地だ。仕事の疲れは吹き飛んだ。

 道行く顔馴染みの女性に「今日は一段と笑顔が素敵ね」と声をかけられる。喜びが顔に出ていたようだ。

 こんなに心惹かれることがかつてあっただろうか。エンジェ、愛らしい名前だが、その顔、その瞳は、愛らしいというよりも美しかった。きっと運命なのだろう、この広い世界で彼女と会えた奇跡。その幸運を神に感謝する。

 私は揺れるロザリオに口づけする。私をこの町に導いてくれたこのロザリオ。それもきっと運命だったのだ。

 美しいエンジェとは異なり、兄を名乗る仮面は変な男だった。まあ、冒険者には変人が多いもの。それに恋には障害があった方が燃える。


 白くそびえる神殿に到着すると、開放された大きな門扉を通り抜け、美しい神像の前で祈りを捧げる。

 そして、いつものように懺悔ざんげ室に入る。私の罪悪感を拭うため。

 私の仕事、生き方は自分の心とうまく付き合っていく必要がある。今日は幸せの直中ただなかにあるが、そこを無視することはできない。

「司祭様、私は罪深い人間です。偽りを口にしながら日々の糧を得ています」

 私の悲痛な声が聞こえるだろうか。罪を意識しながら、そうやって生きていくしかない私の声が。

「人は皆、罪を犯さずに生きていくことはできません。罪を意識し、神に許しを請うことが大切なのです」

 司祭様は優しい声で懺悔を受け止めてくれる。

「昨日も今日も冒険者たちを励まし、自信を持たせ、危険な場所に送っているのです。死ぬ人が出ることもあるというのに」

「彼らは自ら選んでその道を進んでいるのです。貴方はできうる限り情報を与え、彼らに協力をしているのでしょう? 彼らの命まで背負う必要はありません。人ができる事には限りがあるのですから」

 司祭様は真摯に私に響かせようと言葉を選んでくれている。優しい人だ。

「はい、そうですね。少し気が楽になりました」

 私がほっと息をつくと、緊張が解けたのを司祭様も感じたのだろう。柔らかな声でいつものように優しく続ける。

「神はあなたの罪をお許しになるでしょう」

 ありがたい言葉だ。私は礼を言い、懺悔室から出ていく。


 ええ、司祭様の言う通り、は私のことをお許しになる。

 ああ、早く彼女に会いたい。お気に入りの衣装で彼女に会いに行き、驚かせてみたい。

 思えば長くこの町に滞在したものだ。最初はそこまで長居するつもりもなかった。私にとって都合のよかったこの町は、私を受け入れ居心地も良かった。

 私はロザリオにもう一度口づけする。このロザリオがきっかけで、私はリュデットになったのだ。元の持ち主もあちらできっと喜んでくれるだろう。

 私がこんなに大事に使っているのだから。ロザリオも、その名前も。

 でも、それも全て運命の出会いのためのものだったんだ。

 だから、ここを捨ててでも、この思いを遂げよう、彼女を手に入れよう。





 突如レイが衝撃音と共に弾き飛ばされ、床を転がると石壁に後頭部をぶつけ、動かなくなる。

 遺体は一旦あの場に置いたまま、侵入者に対処しやすく罠もない地点に到着しようというときだった。

 考えていたより侵入者の到着が早すぎる。けれど、私たちが知らない近道が洞窟にあってもおかしくはない。

 それにしたって、一体何事? 警戒していたのに、視界に映らなかった。

 レイに近寄りたいがその前に危険を認識しないといけない。


「やっぱり手間を惜しんでは駄目ね。前の冒険者と同じ罠では引っ掛からないのね」

 声の方に視線を向けると、十字路の先からぼんやりと女性のシルエットが浮かぶ。体の線が見て取れる赤茶けた戦闘服。細剣エストックを手に持ち、胸を反らし立っている。浮かぶその顔とその声には覚えがある。

 セルカの受付嬢のリュデット。

「レイ少年は大丈夫よ。蹴り飛ばしただけだもの」

 私が背後を気にしていることに気づいたのか、どうでもいいとでも言いたげに伝えてくる。

「ちょっとせっかちなんじゃない? こっちはまだ当たりをつけた段階だったのに」

 これから証拠集めをするつもりだったのに。

「あら、そうかしら? でも、町に戻ってからでは貴方たちを殺し辛いでしょう?」

 リュデットは楽しそうに微笑む。セルカでは丁寧に覆い隠されていた邪悪さが、今はにじみ出ている。

「その割にはレイを殺さなかったのね」

「ええ。そうすれば貴方たちが逃げないでしょう?」

 リュデットは舌なめずりをする。その唇はつややかに光っている。

「私たちが役人だと気付いたのなら、あなたが逃げればよかったのに」

 私は面倒な展開にため息をつく。人との戦いはあまり好きではないのだ。

 白樫の長杖ちょうじょうの先をリュデットに向け、緩やかに流れを意識し、相手の出方を窺う。

「そう、役人だったのね。気付かなかったわ。でも、気付いていたとしても逃げるなんて嫌よ。だって私の欲しいものがそこにあるんですもの」

 リュデットは左手で私を指さし、笑みを歪める。引きるように震える

口元から吐息がもれ、熱い眼差しが私を真っ直ぐにとらえて離さない。

 強い不快感に鳥肌が立つ。

「アンヘルくん、右です!」

 じょうを鋭く右に振るう。考えるより前に体が動く。

「あら、気付かれちゃいました?」

 リュデットは私の懐から飛びのき、足音を立てて距離を離していく。遅れて悪寒が走る。冷汗が滴る。刃先のかすった感触があった服はぱっくりと裂けている。


 いつの間に近づかれていた? 私はリュデットから目を離してはいなかった。

 いや、リュデットの吐息や眼差しを感じ取れたのは何故だ? 既に近づかれていたのでは? 感覚を狂わされているのか?

 なら、ギルドでかけてもらった幸運の加護の影響か。あの時は確かに幸運の術式だと感じたのだけれど。

 術式が変質しているのか? 自分の顔に掛けられた術式を読み取るのは、近いがゆえに逆に難しい。

「エンジェちゃんじゃなくて、アンヘルちゃんだったのね。いいわ、その瞳。もっと私のことを考えて。私への感情をその瞳に刻んで。私が刻まれた貴方の美しい瞳を永遠に私だけのものにしてあげるわ」

 リュデットの歪んだ笑みは、狂気の喜びに満たされている。

「反吐が出るわ」

 私はリュデットのその思考を唾棄だきする。


 幸運の加護、感覚の歪み、そして執着。これらを満たす者。

「欲と歪みの女神の使徒、蒐集家コレクター

「アハハ! アンヘルちゃん、博識なのね。帝国では知られていないと思ったのに。そう、私は神に愛され、祝福されているの!」

 リュデットの興奮が激しくなる。私の鼻先がぞわりとうずく。術式に何らかの変化が起こったのかもしれない。

「視覚や嗅覚には頼らない方が良さそうですよ」

 横目でちらりと見れば、レイの応急処置を済ませたのだろう、天気屋がこちらに向かってきている。その音と距離感は一致しない。

「無茶言わないでよ」

 そもそも視覚に頼らずに戦えるような武術の達人が術士をやっているはずがないのだ。殺気を感じられないことも厳しい要因になっている。リュデットはまだまだ私をもてあそぶつもりなのだろう。

「仮面は邪魔ね。先にそちらを始末するから、アンヘルちゃんはちょっと大人しくしててね」

「左です!」

 力を込めて杖を左に薙ぐ、わずかな物音の聞こえた先に。だが手ごたえはなく、重心がわずかにぶれる。


 ギンと高い金属音が響く。赤いペイントの入った骸骨スケルトンが私の足元に滑り込み、両手に持った短剣で細剣を受け止めている。直後、打撃音と共にリュデットの気配が遠ざかった。

 骸骨は蹴られ外れた鎖骨を入れ直し、私の横にすっと立つ。その骸骨の動きは軽快で無駄がない。

「ありがとう、ラティーニョ。助かったわ」

 骸骨隊の一員、ラティーニョは大したことじゃないと言うように、両手の短剣をクルクルと回し、私の方へ髑髏しゃれこうべを傾けると、カタカタと口元を震わせる。

「物音も立てずにそんなに素早く動ける骸骨なんているのね。貴方も邪悪な神に祝福されているのかしら?」

 その言葉に私は思わず鼻で笑ってしまう。邪神のせいでこんな気持ちの悪い女に目を付けられたというのに祝福だなんて。

 私のアンバーの瞳を見たものは私に好意を抱く。邪神にかけられた呪いの一つ。常人が相手ならそれだけの話だが、異常者は理性による歯止めがないから迷惑極まりない。

「ハッ、あいつらからの祝福なんてあるわけないだろ。寄こすのは呪いだけだ! だけど、気持ちの悪い女と無駄口を叩いた甲斐かいはあったわ」

 リュデットの想像以上の素早さに距離を離されてしまっていたようだが、気付かれぬよう尾行していたラティーニョが追いつくまでの時間は稼げた。

 私は大きく裂けてしまったパンツスカートの邪魔に広がる部分をラティーニョに切り取ってもらう。


 ここからが本番だ。私はリュデットを鋭く睨みつける。その視線の先に正しくリュデットがいるのかは分からないが。

「アハハ! 気持ち悪いだなんて心外だわ。でも、いいわよ、アンヘルちゃん。もっと私を軽蔑して。その美しい瞳を、私がもっと美しく染めたいの」

 本当に気持ちが悪い。この女の執着は必ず断たなければならない。

 私が一歩踏み出すと、大きな手が私の肩をそっと掴んだ。

「あとは僕に任せて下さい。この感覚に僕はもう慣れました。ラティーニョくんはアンヘルくんを守ることに専念してください」


 天気屋は自然体で長剣を構える。天気屋の持つそれは、品質こそ良いが特段変わったところのない普通の長剣だ。なのだが、風体のおかしい天気屋が持つと違和感が大きい。

 その見た目の違和感に反して、自然な構えだ。まるで剣が自分の肉体の一部であるかのような。

 天気屋は迷わず前方に踏み込むと横薙ぎに振るう。同時にリュデットの飛びのく動きが目に入る。

 距離感が狂っているので気持ち悪い。音も距離がずれている。聴覚は正常に働いていると思わせるのもリュデットの罠だったか。


 天気屋は間髪入れずに斬り込み続ける。淀みなく流れる剣筋と不気味な足さばき。緩急の差が激しく、安易な受けを許さない。

 リュデットは過剰に思えるほど体を反らし、アクロバティックにかわしていく。細剣の刺突にこだわらず、体術を織り交ぜ、石壁も利用し立体的に動き回る。

 リュデットが側壁を駆け、蹴り足を利用し急激に方向転換。横手から渾身の刺突。対し、天気屋は縦の跳躍。縦の回転で反転し、天井を蹴り加速。飛び込むリュデットの上を取り、再度反転しながら剣を薙ぐ。

 捉えたかに思えたその一撃。しかしリュデットは石床に両手をつくと、逆立ちの状態で回転。大きく脚が振り回され、金属のぶつかり合う音が響く。

 驚異的な筋力。足に仕込まれているのはミルから奪った旧文明の遺物か。動きからして間違いないだろう。とはいえ、必殺の一撃だったのだ。それで無傷ということはあの速さで長剣の腹を蹴っていたということか。

 さすがに体勢を崩した天気屋はすぐさま跳んで距離を離す。天気屋のズボンの裾口が裂けている。

 どちらも人間離れした動きだ。感覚を狂わされているので正確に見えてはいないが、二人とも私の杖術で対抗できる技量ではない。


 リュデットに掛けられた術式はまだ構成を解明できていない。自分の顔に掛けられ、なおかつ感覚も狂わされているこの状況では、読み取りもままならず術式の解除は非常に困難だ。ラティーニョに協力してもらっていなければ不可能に近い。


「アンヘルくん、困りました。この方、強いですよ」

 天気屋は口元をへの字にし、こちらを振り返る。

「知ってるわよ! 弱かったら私が倒してるわ!」

 大口を叩いておいて、今度は弱音を吐く天気屋には苛つかせられる。こちらを術式の解除に集中させてほしいものだ。

「リュデットさんはその強さがありながら、なぜこのような事件を起こしてきたのですか?」

 天気屋は自然体に戻り、リュデットに質問する。

 リュデットは油断なく天気屋の様子を窺いながら、小首をかしげる。残忍な眼差しと可愛げな仕草が実にいびつだ。

「なぜっていうのは、なんで回りくどく罠にはめて死なせてから遺品をあさるのかってことよね? たくさんの冒険者を死なせたから、それが明らかに人の手で死んでいたら、すぐに捜査が入ってしまうでしょう? ここは私の欲しいものがたくさん手に入るから、長く滞在したかったというだけよ。冒険者って面白いわよね。罠が無いと地図に嘘を描いてもあまり引っ掛からないのだけれど、罠が有ると嘘を描くと時間を浪費して自分の墓穴を掘ってくれる。それに、私の神の加護はかけられた人が欲するもののもとに導いてくれるし、感覚も歪ませる。蒐集しゅうしゅうには最適な環境だった。――って昨日までは思っていたわ。でも、気付いたの。神が私とアンヘルちゃんを出会わせるために導いてくださったんだわ!」

 饒舌じょうぜつは己の興奮がゆえか、私の感情を揺さぶるためか。

 欲望を剥き出しにし、目を見開くリュデット。はしばみ色の瞳は狂気に染まり、整った顔が逆に恐怖を誘う。


 リュデットの手が軽く振るわれる。

 キンと甲高い音。天気屋の構えが変わっている。長剣で弾いたのだろう、天気屋の足元には短剣が落ちていた。

「やっぱり見えているのね。ずるいわ! 私には貴方の顔が見えていないのに!」


 リュデットが特殊な言語をささやくと、天気屋の仮面にまとい付く術式が変質し強まっていく。さらにリュデット自身にも術式は纏い付く。

「アハハ! 仮面の中の顔が美しかったら貴方もコレクションに――? え? あ、あああああああああ!」

 リュデットが突如叫びだす。

 何を思ったか、自分の目に自分の指を突き刺す。

 しぶく血。紅く染まるリュデットの顔。

「アンヘルくん! 離れて下さい!」

 天気屋の指示が飛ぶ。だが、どこに行けというのか?

 ただレイの方へと後ずさることしかできない。

「あああああ、いたいいたいいたいいたい。う、ぐううううるるるるううう、お? あああああ、ほしい……」

 リュデットの右手から指が無くなっている。どくどくと血が溢れている。

 目が潰れたのではなく、指が?

 よく見ればリュデットのはしばみ色の瞳はすでに無く、そこにあるのはただの虚ろ。いや、よく見れば漆黒がうごめいている。

「仮面の内側を見てしまったんですね」

 天気屋が悲しげにため息をつく。

 狂えるリュデットは右腕を目に突き入れる。当然入る大きさではない。

 しかし内側からまぶたが裂け、眼孔が広がる。

 漆黒があふれ、刃物のような歯のような無数の鋭利な物質が腕に食いつき波打つ。

 先程より激しく舞う血飛沫ちしぶき

 先程より大きく響く悲鳴、苦痛の嘆き、渇望の音。

 もう疑いようもない。


 ――怪異が現出したのだ。


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