04 夜



 羽根ペンをそっと机に置く。葡萄酒の入った杯を手に取りあおると、またペンを取り、インク壺に浸ける。

 天幕の中では風も遮られ、外の地獄のような光景もまた遮られる。人心地つきながらも、報告書を書き進める指は動き続ける。カリカリカリと文字の踊る音。揺れるランタンの炎は私の心を温める。

 かすかな物音と共に天幕に夜の冷えた風が吹き込む。けれど私のペンは止まらない。天気屋が入ってきたのだと分かっているから。

「お待たせしました、アンヘルくん。いつもながら手早くて感心します」

 机の向かい側まで歩いてきた天気屋を私は一瞥する。天気屋はいつものように背筋をまっすぐに伸ばして立ち、首だけを傾けこちらを見ている。

「本当に遅かったわね。何やってたのよ」

「お恥ずかしながら、少々解読に手間取ってしまいまして」

 天気屋は自分のメモの解読に手間取ったということだ。

 すなわち――

「あなた寝たわね」

「アンヘルくん、知っていますか? 人間って寝ないと死んでしまうんですよ」

「一日くらい徹夜しても死ぬわけないでしょ」

「はっはっはっはっは、アンヘルくんの冗談はいつも面白いですね。はっはっはっは」

 全く同じテンポで刻まれる『は』の音。天気屋の笑いは私の神経を逆なでする。

「一言も冗談を言ってないのだけれど!」

「という訳で、資料をもう一度拝見させていただきたいのですが」

 何がという訳だ。この男とは業務以外で言葉のキャッチボールをできる気がしない。

「あなた、その資料もう覚えたから持って行けと言ったわよね」

「はっはっはっはっは、僕が寝る前のことを覚えているわけがないじゃないですか。本当に冗談がお上手ですね。はっはっはっは」

 こいつ……。立ち上がった私は振りかぶって全力で資料を天気屋に投げつける。

 天気屋は散らばりそうになった資料をパンッと両手で挟み込む。フォーマルな服を着ているくせに動作が機敏で腹立たしい。

「いっそ私のことを忘れてくれないかしらね」

「それは無理ですね。僕は前日のことは覚えておくことができませんが、瘴気を含め気象の動きや怪異にまつわることは逆に忘れることができませんから」

「知ってる。何回も繰り返してるからね、この会話。私もあなたに会った夜のことは本当に忘れたいわ。というか、なかったことにしたい」

 あの怪異の夜は最悪だった。人生の汚点だ。

 だがあの事件がなければ、今の私はない。きっと当てもなく冒険者を続け、道なき道を探していたことだろう。

「僕にとってアンヘルくんは覚えていられる貴重な人物ですからね。忘れたいと思いませんよ。この世は得てして思うようにいかぬものです。アンヘルくんも受け入れていきましょう」

「皮肉が通じない相手との会話は疲れるわ。本題に入って」

 私は再び深く椅子に腰掛けると、手を巻くように払い、先を促す。

 天気屋は襟元を整えると、再び姿勢を正し、資料を見ながら話を切り出してきた。


「では順番に確認していきましょう。アンヘルくんの報告書に不備があるとは思いませんが、私の調べてきたことが注釈に入るかもしれませんしね」

 天気屋の手元にはいつの間にか彼自身の用意した資料も増えている。

「いいわよ。外の遺骸は確認した?」

 私が天幕の外を指さすと、天気屋は指先を軽く追い、大仰に頷いた。

「ええ、もちろんですとも。整然と並べられていましたし。アンヘルくんの几帳面な性格がうかがえますね。ただ六体は無かったようですが?」

「そうなのよね。井戸の中のリーダーを引き上げようとしたのだけど、肉がずるりと抜けてしまうし、水中で他の遺体とか、何かいろいろと絡んでいるようで持ち上がらないのよね」

「それで認識票ドッグタグだけ置いてあったのですね」

 天気屋は胸元からリーダーの認識票を取り出し、私に見せて確認を取る。

 無数の細かな傷と僅かな歪みのある認識票。過去に彼が存在した証。

「他の五人のものは討伐隊によって回収済みだったけど、リーダーのものは回収されてなかったからね。認識票を回収するだけでも苦労したんだから。まあ、冒険者はそれだけでも回収してあげないと可哀想だからね。あと、一つ訂正しておくと几帳面なのは私じゃなくて骸骨スケルトン隊のリーダー、ムネチカくんよ」

「これは失礼。他に二体が足りていないパズルのピースのようになっていましたが、それはよしとしましょう。それでは、――痕跡から見るに、町に入って少し進むと彼らはすぐに接敵しているようですね」

 私は今日の調査と資料から確かな事実と推察されることを順に思い浮かべていく。脳の働きが活発になり、緩やかに熱を帯びつつあるのを感じる。自然と握るペンにも僅かながら力がこもる。

 息がもれ、そこに音が乗る。

「最初の接敵は大した数ではない。魔力を温存し、物理的に撃破。その際、軽い傷を負ったのか、アルコールによる消毒の痕跡、安価な治療薬ポーションの瓶も破棄されている」

 私は目を閉じたまま、感情の無い言葉をただ流す。

「しばらくして町の中央部に到達しています。これまでの散発的な接触ではなく、一気に大量の不死者を相手取ります」

「ここで本来のセオリーならば、まず死者払いターンアンデッドによる浄化。死霊ゴーストを滅し、肉体を持つ不死者アンデッドも弱らせることができる」

「しかし行ったのは聖水を用いた付与に、さらに炎の付与術エンチャントですね」

「これはセオリーに合わない行動。神話遺跡挑戦のための鍛錬をするという話があったわね。そのためかしら?」

 疑問を投げかけた私は目を開き、天気屋の様子を確認する。天気屋の口元以外のほとんどを覆う鈍色にびいろの仮面は、ランタンの光を受けて複雑に輝く。天気屋自身はいつものように口元に薄い笑みの形を浮かべ、体は微動だにしない。

 この男は本当に考えているのだろうか? あまりの普段との変化の無さにはつくづく閉口させられる。この男の何気ない仕草や表情から何かを読み取るのは不可能なのかもしれない。

「そうかもしれません。それに彼らの行動を後押しする資料があります。今回の討伐依頼のマニュアルの参考に用いられた五年前の討伐の資料です」

「五年前って……。ここは瘴気も濃く、新たな不死者が発生したり魔物がやってきたりする恐れのある場所なのに。最悪の場合は瘴気禍しょうきかが発生し、怪異が現出する可能性すらあるわよ」

「そういった可能性をギルドでは考慮していませんね。帝国の出した瘴気予想を鵜呑みにしているのでしょう。まあ、近年の瘴気予測をしているのは僕ですから、瘴気の規模自体に間違いはありませんけどね」

 そこに誇らしげな様子はない。ただ事実を述べているという声色。

「あなたの予測が外れたことはないけど……。不思議ね、信頼してはいけないと私の心の深い所が訴えるわ」

「はっはっはっはっは、またまたご冗談を。しかしその通り、僕のことを知らない人物はただの予想を信用しきってはいけないのです。しかし今回の依頼の周辺環境や魔物の予測は、五年前の依頼のものと全く同じになっています」

 その言葉に私は耳を疑う。五年もの月日が流れて何も変わらないなどということがあるのか?

「はあ? でも先遣隊の斥候情報からも問題は無かったって受付嬢が言ってなかった?」

「詳しく聞いたところ先遣隊は遠眼鏡で大雑把に確認しただけみたいですね」

「なんでだよ! 術士に探らせろよ!」

 イラつきをこめかみを押して抑えていたが、流石に我慢しきれず大声が出てしまう。

「アンヘルくん、言葉遣いが悪いですよ。人員と予算の問題だというのがギルドの主張ですね」

「どっかで中抜きしてるの? そうじゃなきゃ帝国からの駆除依頼の予算が足りないわけないでしょ」

 冒険者ギルドの上層部の強欲ジジイどもは信頼できない奴が多い。自分が下っ端冒険者だった時にされたことは、自分が上に立ったらその分やり返していいと思っているのだ。負の連鎖というやつか。

「その辺りは報告書に記載しておくので、ギルド側が言い訳すればよいのではないですかね」

「意外と辛辣ね、結構怒ってる?」

「それはそうですよ、人の命は軽んじてはいけません」

 天気屋のずっと孤を描き続けていた口元が、急に固く結ばれる。顔の大部分が隠されていても悲痛な表情をしていると明確に分かる。だからこそ私にはそれが人の表情には思えない。

「話を戻しましょう。五年前と同じ魔物予測では全ての不死者に炎が有効なようですね」

「実際よく燃えそうな子ばっかりだったわね」

 私が今日創り出した不死者たちも既に焦げている子や干からびた子ばかりだった。

「資料によるとリーダーのケインさんは五年前の討伐にも参加していて、炎が有効な不死者しかいなかったことを知っていました。ですが、今回の場合は全てではない」

「ええ、調査書にも討伐隊が攻め込んだ際、井戸の縁に泣き女バンシーが座っていたとあるわ。子供を託そうとしてきたとあるから、泣き女の中でも濡れ女に分類されるわね。子を宿したにもかかわらず、母親になることのできなかった悲しい女性霊」

「そこでケインさんと神官のセレネさんは亡くなっていますね。近くでコウエツさんとアントンさんも亡くなっていますので、ここで戦線が崩壊したのでしょう」

「泣き女はその特殊な声で他の魔物を集めるからね。濡れ女には炎も通じないし、対処を間違えば危険よ」

 泣き女の声は様々な精神的影響を与える。それは生者に対してのみならず、不死者に対する指示にすらなるのだ。

「元鉄鳥団の人物も鉄鳥団のパーティー全滅後の大規模討伐隊に参加していまして、その方の話も聞くことができました。ケインさんはワンマンなタイプで作戦は一人で決めるらしいです。咄嗟の判断に脳が二つあるのも危険ですからね、それ自体が間違いなわけではないのですが……。元鉄鳥団の方が言うには、その判断が信用できなくなったので抜けたとのこと。――五年前の討伐隊でも乱戦ではぐれて、仲間の一人を失いケインだけが戻ってきたんだ。同じ場所でまたミスを犯すなんて……。無理矢理にでもセレネさんを抜けさせておけばよかった……。と後悔していらっしゃいました」

 天気屋は突然うつむいて、頭を抱えて嘆き、それが終わるとすぐさま元の姿勢に戻った。

「何で途中から演技したの? ふざけてるなら殴るわよ」

「決してそのような……。今日聞いたことなので、せっかく覚えていたからやりたかった、とかではありませんよ。伝わりやすいかと思いまして……」

 私は天気屋の腹を殴る。その衝撃に合わせて天気屋は口をつぐむ。

「まあ、いいわ。となると同じミスは嫌うだろうから、バラバラにはぐれるような真似はしない」

「そうですね。むしろ密集陣形を取ったかもしれませんね。そして過去の失敗を取り返したくて逃げることも拒んだのではないでしょうか」

「彼もさらに鍛錬を積み、五年前とは根本的に力量も違うという確信もあった。その結果の引き延ばしが精神の汚染を悪化させる。濡れ女さえ倒せばと炎の通じない相手に攻撃し続ける。弱い人間ならとうに逃げだすような状況でも残り続け、徐々に正気を失っていく」

「皆が無事なうちに逃げ出せば助かったのでしょうが、それは叶わなかった。先にケインさんとセレネさんが倒れたのでしょう。そうなれば、もう……」

「正気を失った彼らに勝ち目は無いわね。――この線でシミュレートしてみるわ」

「どうぞ、お願いしますね」

 私はまた椅子に深く座りなおすと、足を組み目を閉じる。閉じようとする視界の隅に天気屋の満足げに頷く姿がちらりと映った。



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