05 描かれる物語



「しかし不死者アンデッド討伐は好きになれねえな。干からびきって男か女かも分からねえ。早く済ませて瑞々しい女を抱きたいぜ、ガハハハッ」

 戦士のコウエツは豪快に笑いながら、動きの鈍い屍人ゾンビ鎚矛メイスで叩き潰す。これで近場にはもう動く不死者はいない。死者の町ロデスパに入ったがまだ大した動きはなく、皆は余裕の表情だ。

「ここには一応女性もいるんだから、発言には注意しなよ。あと油断は禁物だ」

 注意を促すリーダーのケインに対して、女神官のセレネはジト目を向ける。

「一応は余計です」

 ケインはその表情を見てクスリと笑う。

「仲の良いこって」

 廃屋の屋根の上で遠眼鏡を覗き込んでいた盗賊のグスコが飛び降りてくる。高価な鉄線入りのロープを丁寧に回収し、動きやすいよう手早く身支度を整える。

「北の方角に大量の不死者がいるぜ。生身の人間の匂いを嗅ぎつけたんだろうな、あちらさんも感づいていらっしゃる。予定より数が多そうだが、どうする? セオリー通り行くか? それとも当初の予定通り鍛錬を重視するか?」

 ケインは少し考えるそぶりを見せるが、すぐにかぶりを振る。

「セオリー通りにやるんじゃ、依頼を受けた意味がないな。今回の目的は鍛錬だ、想定よりきついくらいでちょうどいいさ。神話遺跡じゃ予定通りになんていかせてもらえないだろうしな」

 皆頷き同意する。そこに不安の色など無い。普段の談笑と雰囲気は何も変わらない。

「とはいえ、しっかりと準備するぞ。アントンさっき引っ掻かれた傷があるだろ。ちゃんと治療しておけよ」

 戦士兼荷運びのアントンは自分の名前を呼ばれたことに驚いたのか、びくっと巨躯を震わせる。見た目に似合わぬ小心者な彼の日常だ。

「お、俺、丈夫、だから。へ、平気だ」

「馬鹿野郎! こんなところでケチってもしょうがないんだよ! ガハハハッ」

 コウエツの大声と、アントンの肩をバンバンと叩く音が響き渡る。

「そうだぞ、アントン。確かに利幅の小さい仕事だけど、治療薬ポーションを惜しんだりはしないよ。そのために君が荷物を運んでいるんだからね。でも魔力は温存な、セレネ」

 セレネは不満げに頬を膨らませてケインを見ている。アントンは背負い袋を下ろし、治療薬を取り出す。コウエツがその後ろから袋に手を突っ込み、強い酒を取り出す。それを口に含み、アントンの傷口に吹きかけると、また豪快に笑う。

 目を細めてそれを眺める付与術士エンチャンターのガーウェ。彼は和気藹々わきあいあいとする冒険者たちを見ているのが好きだ。それを見ながら酒が飲めれば最高なのだが、今は仕事中だ。

「騒がしくてすみません、ガーウェさん」

 ケインがガーウェに謝罪する。強面こわもてのガーウェが目を細めていると、不機嫌そうに見えたのかもしれない。

「いやいや、構わんよ」

「不死者たちは足が遅いので、こちらから攻め込みます。近づいたら炎の付与術エンチャントをお願いします。ここには炎に弱い不死者しかいませんから」

「資料にはそう書いてあったな。確かにそうなのか?」

「ええ、以前来た時もそうでした。なので長持続型にしてもらえますか」

「そのくらいの術式のアレンジならできるが、解除が難しくなるぞ」

「戦闘中に直接接触して付与しなおすのも難しいですし、その方がいいですよ」

「そうか、分かった」

 ガーウェの了解を得ると、ケインは皆に向き直る。

「よし、行くぞ!」

 掛け声と共に気合いを入れ、進撃を開始する。


「オイオイオイ、ここまで多いとは聞いてねえぞ」

 あまりの物量に押されつつあるコウエツが嘆息する。コウエツに叩き潰されて頭部を失った屍人が倒れ、炎に包まれている。ケインにとっても、索敵を行ったグスコにとっても、この数は予想外であった。

 どこから湧いて出たのか? なぜここまで集まってくるのか?

 五年前の討伐の際でも不死者はこんなにも多くはなく、こんなにも素早く動きはしなかった。伝染病と鉱山で一体どれだけの人が死んだというのか。

 伝染病の際、避難民のキャンプはギルドのある町からは隔離されていて、当時のケインには興味の外であった。

 ケインは意識を今に集中する。昔を悔やんでも意味はない、今を乗り切らねば。

「仕方ない、抑えきれるうちに死者払いをするぞ、セレネ! 集中できるか?」

「やります!」

 ケインの言葉にセレネは健気にも答える。前線が押され、セレネの位置にまで返り血が飛び散っている。

「皆、不死者をセレネに近寄らせるな!」

 おお、と呼応し隊列が再びしっかりと組まれる。セレネ以外の皆は付与された武器を持ち、それぞれが果たすべき役割を担い、不死者の群れにぶつかる。

 セレネも仲間を信頼し、神の思いをここに届けんと意識を高めていく。だが、息が荒い、呼吸が乱れている。

 安全圏で捧げる祈りと極限下で捧げる祈りは違うのだ。

 どちらが強いとか、純粋だとかの違いではない。ただ、違うのだ。

 その違いは繊細な祈りを、術式を、歪める。ほんの些細な誤差のノイズ。

「神よ、螺旋に沈む彼らをその旅路から救い給え。その魂を清め、新たな道を示し給え」

 セレネは身を包む神の愛を、その広がりを感じる。祈りは確かに届いている。

 同心円状に広がる愛の波は死霊ゴーストたちを浄化し、この世から消滅させる。屍人や骸骨スケルトンの多くもその場に崩れ、そうでない者も呆けたように棒立ちになる。

 それは確かに大きな効果を上げた、普段よりも格段に。周囲の不死者のほとんどは無力化されたのだ。そう、さらにその外から不死者たちが押し寄せてくることに目を瞑れば……。

 セレネは咳込み、荒い息をつく。玉のような汗が大量に浮かび、流れ、滴る。意識を集中しすぎたのだろう、唇も紫色に変わり血の気が失せている。

 効果は大きかった。だが通常の消耗ではない。しばらく戦闘は無理だろう。

「逃げるんなら今のうちだぜ、リーダー」

 そう口にしたグスコは棒立ちになった屍人の頸椎を断ち、蹴り倒す。

「馬鹿な! C級相当の依頼に失敗したとなったら、実力が疑問視されてしまう! 神話遺跡挑戦の申請が却下されてしまえば、次はチャンスがいつになるのか分からないんだぞ!」

 柄にもなく血管を浮き上がらせ怒号するケイン。その様子にグスコは肩を竦める。

「分かってるって、落ち着けよ」

 ケインは深く息をつき、怒りを抑える。

「大丈夫だ。……そんなに悪い状況じゃない。だけど、少し間を取った方が良いな。西の方は不死者の姿もほとんど見えないし、わずかに傾斜がある。上を取って優位に戦闘を行おう」

 ケインはセレネに肩を貸し、ゆっくりと西へ向かう。グスコが先行して確認し、コウエツが殿しんがりで迫りつつある不死者たちを警戒する。

 耳を澄ますグスコは風に乗る僅かな異音に気付く。

「ちょっと待て、何か聞こえる」

 その言葉に皆沈黙し、聞き耳を立てる。確かに聞こえる風に混ざり揺らぐ音。すすり泣きのような、切ない歌のような……。

 その音に誘われるように皆はゆっくりとさらに西へ向かう。ゆらりゆらりと……。

 いつもであればセレネが警戒の声を発したであろう。しかし今は疲労困憊で朦朧としていた。精神汚染への耐性の高い神官とはいえ、集中できる状況下でなければ一般人とさして変わらない。

 ほのかにささやく懇願は、認識に溶け込み、まるで自らの意志であるかのように振る舞う。


 気づけばそこには朽ちた井戸があった。そして赤子を抱く美しい女性の姿。

 女性は赤子の柔らかな髪をゆっくりと撫でる。その指の動きは優しげで、しかし輪郭は揺らいでいる。揺らぐ輪郭から、水のようにその体が滴り落ちる。

 ひたりひたりと少しずつ流れ落ちる体。女性は止まらぬ大粒の涙とすすり泣く歌声を振りまき続ける。そして自ら近寄ってきたセレネに赤子を差し出す。どうかこの子だけは幸せにしてあげてください、と……。

 受け取ろうと手を差し伸べたセレネは、赤子に触れて濡れる感覚に我に返らされる。

「違う! これはあなたの赤ちゃんじゃないの! もう助けられないの!」

 濡れ女に気づき、彼女を諭すため、そして仲間を正気に戻すため大声で叫ぶ。その言葉に濡れ女は胸を掻きむしり悲鳴を上げる。

 同時に強い衝撃と鋭い痛みがセレネを襲った。余りの痛みに声を上げようとしたが、出るのは泡の混じった血の塊。痛む場所を見下ろすとセレネの胸部からは錆びた剣先が大きく覗いていた。

 斑点状に汚れが散っていた白の神官衣は急速に真紅に染まっていく。ふらつき倒れた彼女は、もう痛みを鈍くしか感じることができなかった。

「セレネ!」ケインは叫ぶ。「アントン、早く治療薬を!」

 その悲痛な声を聞き、正気に戻ったアントンは慌てて背負い袋から治療薬を取り出そうとする。だが、いつの間にか取り囲まれていた屍人に咬みつかれ、骸骨に錆びた鉄棒で打ち据えられ、上手くいかない。

 不死者たちもケインたちと同様に濡れ女に呼び寄せられていたのだ。

 ケインは不死者の群れの中を己の身を顧みず強引に突破し、アントンから荷物をひったくる。勢いにアントンは転倒し、土を舐める。屍人に覆いかぶさられるが、すぐに跳ね除け起き上がる。

 ケインは再び不死者の群れを強引に突っ切る。引っ掻かれ、咬まれ、薄汚れた武器で殴られ、体に無数の傷が増え続ける。コウエツとグスコが必死で守るセレネの下にたどり着くと、ひざまずき秘蔵の霊薬エリクサーをセレネの口に傾ける。

 注がれた霊薬は、しかし飲み込まれはしなかった。もはやその力は残されていない。ならばと口移しで注ぎ込むも、血の味がするばかりで呼吸も帰ってこない。セレネの瞳は虚空を見つめている。

 ケインはセレネの体を抱き起し、錆びた剣を背から引き抜く。それにすらセレネに抵抗はなく、血液も緩やかに溢れるだけ。脈動もない。もう旅立った後なのだ。

 ケインは意味をなさない言葉を叫び、不死者を斬り裂く。今まで自らの肉体を傷つけても無視し続けてきた不死者を。

 既にケインの肉体はボロボロだった。だが彼は濡れ女を許せなかった。怒りに支配され、立ち塞がる不死者を切り捨て、濡れ女に斬りかかる。その耳元で悪霊は囁く。

「殺せ、殺せ、お前の憎しみはその程度か? 全て殺せ、全て敵だ、ためらうな殺せ」

 一体の悪霊が切り刻まれても、他の悪霊たちは構わずわめき立てる。

 ケインは狂ったように濡れ女を斬りつける。炎をまとった剣で……。もはやそのことを考える余裕もなかった。


 ガーウェは悩んでいた。もうこのパーティーは駄目なのではないか。ケインは大して効果のない攻撃を濡れ女にし続けている。コウエツもセレネの死に気付き、濡れ女に向かって吼えている。

 正気ではない。炎の付与はまだ切れていないんだぞ。濡れ女に対して相性が悪すぎる。かといって解除しようにも直接触れて集中しなければならない。ガーウェは思考を巡らせる。

 俺だけが正気なんだ。他の奴らはもう狂気の渦中だ。どうする? 何をすべきだ?

 ふと目に入るのは地面に落ちた救難信号を発するための魔素結晶体。俺が魔力を注げばすぐにでも助けを求められる。思ったときにはもうそれを実行していた。増幅された魔力の波はギルドにまで伝わるだろう。それに他の不死者や魔物にも……。

 どこか遠くでグスコの声が聞こえる。罵倒だろうか? 何を言っているのか、ガーウェの耳まで届いてこない。

「そうだ、お前だけが正気だ。こいつらと一緒にいていいのか? 大体こいつらは本当の仲間じゃない。一緒に死んでやる義理なんてないだろ?」

 そうだ、俺は他の奴らと仲良く死んでやるなんて御免だ。だからフリーでやってるんだ。俺だけでも生き残るんだ。どこだ? どこから逃げられる?

「向こうだ、向こうなら駆け抜けられる。愚鈍な屍人ばかりだ。お前だけは生還できる」

 そうか、向こうか。行けるか? タイミングは? 冷静に機を窺おう。

 そのとき、既に満身創痍であったケインがついに倒れるのが、ガーウェの虚ろな目に映った。大量の悪霊に囲まれブツブツとつぶやいていたガーウェの意識は脆くも決壊した。悲鳴を上げ、素人のように刃物を振り回しながら、町の入り口の方へ駆けていく。――大量の屍人の下へ駆けていく。

 グスコはそれを見て舌打ちをする。しかし、セレネもケインも倒れた。もう逃げるより他に手はない。それはグスコも同意見だ。

 コウエツとアントンに引くように怒鳴りつけるが、二人は不死者を破壊し続けるだけ。ただただ戦いの激しい場所に向かい続け、不死者を、自分を壊していく。

 悪霊はグスコにも絡みつき、ねっとりと破滅を求める。

「駄目だぜ、お前は本当の危機に何もできないのさ、無力だ、どうせ裏目になる、今度もどうせ仲間を助けられない、どうせ無事に逃げられない、大事なときこそ失敗する」

 うるさい、悪霊め。惑わされてたまるか。

 町の入り口から旧街道へ逃げるしかあるまい。不死者に追われて山に入っても助かるわけがない。可能性があるのはガーウェの向かった先だけだ。

 グスコはそう決断した。不死者の隙間を縫うように駆ける。傷が、痛みが増えていくが致命傷はない。身のこなしには自信がある、方向感覚にもだ。悪霊が不安を増長しようと煽ってくるが、自分を信じろと自分に言い聞かせる。

 かなり移動した……、気がする。いつの間にかふくらはぎに深い傷があり、素早く動くことはできなくなった。泣き叫ぶ声が聞こえる。声のする方へと向かうと、戸板の外れた廃屋のそばでガーウェが悲鳴を上げている。引き千切られたのか、喰われたのか。左腕はどこかに消え、付け根から拍動に合わせて血が噴き出る。

 あいつはもう駄目だ、助からないだろう……。

「そうだ、あいつも助からない、お前に誰かを助けるなんてできないのさ、今度も失敗だ」

 とても苦しそうだ、生きながら屍人に喰われる絶望なんて耐えがたい……。

「そうだなあ、苦しいさ、喜べお前にも一つだけできる事があったぞ、あいつを苦しみから解放してやるんだ、それだけが救いだ、あいつの救いだ、肝心な時に役に立たないお前の救いだ」

 ああ、そうかもな。

 グスコはゆっくりとガーウェのそばに近寄っていく。

 その眼前にまで近づくと、表情を失ったグスコは短剣でガーウェの頸動脈を断ち切った。血液が勢いよく飛び、返り血で視界が赤に染まる。

 これでいい。すぐに意識はなくなるから、苦しまず楽に死ねる。

「ああ、そうだ、よくやった、お前の役割は終わった、最期に役に立てたんだ、お前も楽になっていいぞ」

 そうか、それなら良かった。

 間を置かず背後から屍人が圧し掛かり、グスコは押し倒される。後頭部を掴まれたまま地面に叩き付けられ、折れた前歯が唇を裂く。そのまま何度も地面に叩き付けられ、意識は朦朧としていく。

 コウエツもアントンも既に死んでしまっただろう。最期まで戦士として矜持きょうじを貫けただろうか。俺も終わりだが、こいつに任せてたんじゃ、なかなか死ねないな。

 グスコはふらつく手で口腔に短剣を入れ、屍人の力で口蓋に突き立てる。脳髄を破壊され、グスコはすぐに生命活動を停止した。



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