第3話

 時計を確認すると、既に午後八時を回っていた。もうイルバンの見舞いは中止であろう。ミザは、先程見た光景が信じられず、広場に戻ってからも放心状態が続いた。ミザが座っているベンチに勢いよく腰を下ろしたヒロミの手には、彼が今しがた売店で購入した炭酸水が入った二つの瓶があった。


「青は品切れだった。」


そう云ってヒロミがミザに手渡したのは透明の炭酸水だ。ミザは、彼がいつも好んで青い着色料の入った炭酸水を選んでいたことを思い出した。何も云わないミザにヒロミは気にしていない様子である。二人は暫く沈黙の状態で、ただ瓶を空にすることだけに集中した。


「・・・俺も最初は驚いたよ。」


空になった瓶を地面に置き、ヒロミが口を開いた。ミザは、何処となく彼の表情が浮かれていることを不思議に思った。


「ヒロミ、君は何か知っているの?」

「何も知らないさ。只、理解は出来る。」


ミザはヒロミに怪訝な顔を向けた。彼の云おうとしていることが、全く分からなかった。


「さっきの“患者”、天然痘って・・・?」

「あそこは収容所だ。天然痘患者のな。」


確信を持ったようなヒロミの言葉に、ミザは狼狽した。


「有り得ないよ。天然痘はとうの昔に全滅したウイルスだ・・・。」


それは、ミザの記憶にも残らないほど遥か以前の出来事だ。


「俺は、ひぃじいさんが持っていた古い医学書を読んだことがある。・・・間違いない、あの症状は天然痘だよ。」


今は亡くなってしまったヒロミの曽祖父は、名の知れた医学者だった。彼は、幼い頃からその類の本を読んで育ったのだとミザによく云っていた。


「・・・それなら、ワクチンが開発されている筈だよね。」

「原初の天然痘ウイルスが発見されて何世紀経ったと思ってるんだ?とっくに遺伝子構造が変わっている。大昔のワクチンが効く訳がない。」

「そんな・・・。」


ミザは先ほどの光景を反芻した。


「これで分かったよ。」


腕を組み、ベンチの背凭れに上半身を傾けてヒロミが、鋭い視線をミザに向けた。


「・・・何が?」


ミザはヒロミの確信を付いたような瞳を見つめながら訊いた。


「おかしいと思わないか?人口規制のために《新世界》へ移住したと云われている人々から何故、何の音沙汰がないのか。」


ICE・TOWNでは、数年前から街のクリーン化を計るため、一時的の人口規制が住民に言い渡されてきた。政府から通知が届いた者は、強制的に《新世界》への移住が義務となる。


「誰も、《新世界》なんかには行っていなかったんだよ。」

「そんな馬鹿な。じゃあ、なんのために・・・。」

「お前も見ただろう。政府は病院に地下収容所を造り、俺たちには街のクリーン化と偽りながら、天然痘患者を隔離していたんだ。」


右手をリュックの中に入れ、ヒロミは小型サイズの端末機を取り出し膝の上に乗せた。彼の細い膝の上でも有り余る程小さなその端末機は、通信機能や衛星放送のよる情報収集機能などの様々な機能を持っており、この街の殆どの人たちが所持していた。しかしミザは、機械を使いこなすことが苦手なので端末機をあまり持ち歩かなかった。 

ヒロミは、素早い手つきで指を動かし、五秒と経たずに端末を衛星に接続した。


「これを見てくれ。」


ミザが覗き込んだ端末の液晶には、中央地区のエリアマップが立体化して映し出されており、所々に赤いランプが、点滅していた。


「このランプは、ここ最近で閉鎖した病院を示している。」

「こんなにあるのか・・・。」


今となっては、人口の半分が居なくなってしまったこの街に、使われなくなった施設というのは沢山存在する。だがそれは、街のクリーン化のための仮閉鎖ということになっている。今街で生活している人々も、いずれこのクリーン化が終わればまたもとに戻るのだと信じて疑わないだろう。ミザもまた、その内の一人であった。


「おかしいだろ。何故か医療施設の閉鎖率だけが異様に高い。ここ二年間の内は特にな。」


ニヤ、と口の端を少し上げ、ヒロミは衛星の接続を切った。足元に置いてあったリュックに端末機をしまうと、中から今度は、小さなプラスチックのケースを手にした。手のひらサイズの箱の蓋を開けると、中には多彩色な金平糖が入っている。彼はそれを一粒摘み上げると、徐に地面に転がした。


「おそらく、殆どの病院施設は“患者”で埋まっているんだろう。・・・分からないのは、何故政府が事実を隠そうとすることだ。クリーン化の為だなんて手の込んだ裏工作なんかしなくたって、只単に伝染病が流行している、とだけ云えばいいことなのに。」

「住民の混乱を避ける為だとか。」


ミザは思いついたことを口に出す。生命の危機に関わるような一大事である。街中がパニックに陥るであ

ろう。


「そんなもの、気休めでしかない。いずれは知ることになるんだ。ずっと隠し通してなんかいられないよ。」

「じゃあ、どうして・・・。」

「・・・何か、この街で重大なことが起ころうとしているのは確かだろうな。」


断固として言い放ったヒロミは、悟ったような表情をしている。ミザは、新しい遊びを見つけたようなどこか楽しげな彼の瞳を見て取り疑問に思う。


「・・・君はどこか楽しそうだね。」

「そうかな?」


ヒロミは一瞬意味深な顔をしてミザから顔を背けた。俯いたヒロミの視線の先には、彼がさっき転がした金平糖がある。黄色の金平糖は、大理石で出来た地面にはとても不釣合いである。ミザは、心なしかその砂糖菓子がゆらゆらと動いているのが分かり、目の錯覚かと思って凝視した。小指の爪大の黄色い粒の下には、小さな黒い蟻が、自分よりも断然大きな金平糖を持ち上げ運び出そうとしていた。よく見れば一匹だけではなく、砂糖の甘い匂いに釣られたのか数匹の列を成している。


「働き蟻だ。こんな環境にも棲みついているんだな。」


ミザは小さく驚きの声を上げる。この地下街には予め防腐剤や殺虫剤など、人工的な施しがされており、生き物が生息するのは困難な環境の筈である。


「こいつ等は人間よりも数段賢く出来ているからな。多少環境が変化するだけで大きなダメージを受ける人間とは違う。」


どこか人間を卑下したような口調に、少し引っかかったミザは、じっと蟻の群れを凝視している彼の横顔を見つめた。


「でも、人間には勝てっこないさ。人類はこの地上の長い歴史の中での中心じゃないか。文明も、科学や医学、何においても優れている。ヒロミはこんなちっぽけな蟻よりも人間の方が劣っているって云うのか?自分も人間なのに。」

「そうさ。断言するよ。もしこの地上に隕石が落ちるなどの、大きな転機が訪れたとしたら、最初に全滅するのは人間だ。」

「そんなことはないよ。一部の生き残りの人たちがきっと新しく、」

「そして自分たち人間が愚かだったということを絶望するんだ。自らの手で長い間利用してきた自然を前に。」

「・・・・・。」


答えることが出来なくて、ミザは手の中の瓶を握り締めた。


「なぁ、ミザ。この街には《ICE・TOWN》と名前が付けられているのに、どうして一度も雪が降らないのか考えたことはないか?」


今までとは打って変わり、真剣な顔でヒロミが訊いた。覗き込んだ彼の瞳の奥では、今までミザが気づかなかった絶望の色が潜んでいた。



続く

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