第27話 飛べなくたって
二回目の図書界。
太陽のない白い空が、うすぼんやりと光っていて、無数の光の筋が天から降っている。
立つ場所はまたも本棚の真上だ。無数の書庫には植物のつるが這っていて、先はぽっかりあいた本棚と本棚の暗い空間に消えている。
ずっと遠くに、とてつもない高さの命脈の樹が見えた。
前回よりも気温が高い気がして、ユイはペン太に尋ねようと首を回した。
しかし、
「ユイ! こっちに!」
上空をひと睨みしたペン太が、すごい力でユイの腕を引いた。
「えっ?」
ユイの口から空気を漏らすような声が出た。まったく状況がわからなかった。
理由を問う暇もなく、ペン太が本棚から突然飛び降りる。目の前には深層に続く暗い闇がある。
トカゲに驚いて落ちた記憶がよみがえった。
「ええぇぇっ!」
ユイが悲鳴をあげた――とその時、腕が一気に真横に引かれた。
体が急に方向転換し、肩が一瞬抜けたと思った。
「ユイ、大丈夫か!」
ユイはペン太の白い胸に頭を抱きしめられていた。
そこは、本棚の棚の中だった。たくさんの本が詰まる場所に、何とか二人が収まるほどの小さな空間があった。
ペン太は飛び降りた瞬間に、片手を本棚の板にかけ、反対の手でユイの手を引いて、その空間に飛び込んだのだ。
「どうして?」
ユイのかすれた声が、頭上で鳴り響いた轟音にかき消された。頭に回るペン太の腕に力がこもる。
空から何かが降ってきている。間近で滝でも流れているような重低音が、おなかの底に響いた。ユイは、ただ怖くてペン太の体をぎゅっと抱きしめた。
ようやく音が収まったころ、ユイはおそるおそる顔をあげた。ペン太が安堵の息を吐いた。
「な……に?」
ユイの心臓がばくばくと音を立てていた。背中には冷たい汗が浮いた。
ペン太が本棚からそっと顔を出し、上空を見上げた。
「どうやら、終わったみたいだ」
ペン太が、リュックからクジラひげを取りだした。竜のかぎづめが二本ついたような金色のロープだ。
意思を持ったそれが、本棚の天板に伸びた。素早くユイとペン太に巻きつき、優しく上へ引っ張り上げる。
途中、ユイの視界の端に小さな何かが数匹通り抜けた。
「なに?」と首を回したものの、すごいスピードで闇の中に消えた彼らの正体は分からなかった。
そして、本棚の上には――
大量の本の山があった。
図鑑や絵本、英語で書かれた本まで、種類は様々だ。
ペン太が苦々しそうに言う。
「まったく、荒いやつらだ。こんな乱暴に……」
ユイの心がようやく落ち着いてきた。
散乱する本の山を前にして尋ねた。
「何が起きたの?」
「新刊の運搬係が手を抜いたのさ」
ペン太が一冊の本を手に取った。「全然違うエリアのやつだ」と悲し気に目を細める。
「命脈の樹が生み出す本を運ぶ係がいてね。体が大きくて空が飛べるだけで、選ばれるやつらがいるんだよ」
「それが、本を運んだの?」
ユイの疑問にペン太が頭上を手で指した。
鳥にも恐竜にも似た巨大な生き物が、雄大に旋回していた。
「中には、本のジャンルを気にしないやつもいて、そいつが運ぶとこんな有様になるんだよ。まったく……下に誰かいないかを確認するなんて基本中の基本なのに」
ペン太の言葉にはいつもにない刺々しさがあった。
ユイは疑問に思って聞いた。
「もしかして、ペン太って運搬係が嫌い?」
ペン太が両手を広げた。そんなことはない、と言っているように見えた。
「ちゃんと運んでくれるやつもいる。ぼくが嫌いなのは、本を大事にしないやつだけさ。図書ペンギン司書になったら、そんなやつを指導してやるんだ」
ユイが上空を見上げる。
ふと、疑問が浮かんだ。
「空を飛ぶ運搬係を、ペン太が指導できるの?」
その質問に、ペン太が瞳を輝かせた。よく聞いてくれたと言わんばかりの顔だ。
「だから図書ペンギン司書はすごい力があるんだ。飛べないぼくでも、飛べる生き物に指導できるようになるんだ」
ペン太が胸をそらした。
ユイは何かがすとんと心の底に落ちた。
一度目の図書界で本棚の隙間に落下し、ムササビネットの尻尾の上でペン太がぽつりと言ったことを思い出した。
――案外、今なら飛べるって思ったんじゃないかな。
憧れにも、妬みにも聞こえた言葉の意味がようやくわかった。
ペン太は何度も上空をにらんでいる。
「まったく、飛んでエリアを越えられるからって、仕事が雑すぎる」
むくれるペン太に、ユイはにこりと笑って言った。
「ほんとだね。図書ペンギンの方がずっと本を大事にしてるよね」
ペン太が振り向いた。
黒い瞳が真ん丸になっている。すぐに、表情が柔らかくなった。
「そうなんだよ。司書になったぼくがしっかり言ってやらないと」
今までで一番胸を張ったペン太は、うれしそうに「クァァ」と高らかに笑った。
――飛べないなんて些細なことだよね。
ユイは影を落として去っていく巨大な生き物を、ペン太の隣で見送った。
それからの移動は早かった。
ペン太が「ショートカット」や「ちょっとしたアトラクション」という言葉を使った意味がわかった。
ほとんど歩かないからだ。
クジラひげのロープが腰に巻きついたと思えば、伸びるだけ伸びたフックが遠くの本棚に引っかかり、ぐんと強い力で引っ張って、ペン太とユイを運んだ。
着地の時だけゆっくりになるおかげで、途中でケガをすることもなかった。
引っ張られて着地。その繰り返しだった。
上空ではラシンバンが楽しそうに小さな鳴き声をあげている。「進め、進め!」と笑っているようにも見えた。
目的地がわかっていれば、こういう移動方法があるらしい。
「ねえ、ペン太、そういえばさっきの落ちてきた、たくさんの本ってどうなるの?」
途中のオアシスにたどり着き、ユイが尋ねた。
ペン太が背丈の低い薄緑色の木を軽く叩いて首を回した。
「色紙チョウが運んでくれる。量が多いから、今頃大量に集まってきてるんじゃないかな」
「本棚の隙間から下に落ちた本は?」
「ムササビネットが拾いに行く。彼らは早いから、もう来てたよ。案外、雑な落とし方をするやつはマークしているのかもね」
「あっ……そういえばたしかに」
視界の端をよぎった小さな生き物を思い出した。あれがムササビネットなのだろう。
「もう少し休憩するかい?」
「ううん、大丈夫。行こう」
じっと見つめるペン太に、ユイはことさらに元気そうな態度を見せた。
階段からすべり落ちた時にひねった右足の痛みが、ずきずきとぶり返していた。
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