第11話 さらに深く
「か、かっこわるいところを見せた……」
ペン太の声が尻すぼみに小さくなる。ユイが首を振った。
「ぜんぜん。たんに私の方が背が高かったからじゃない?」
「そんなはずないって。図書界にはいろんな生き物がいる。体の大きさなんてあてにならないんだから」
ペン太は悩ましげな顔で立ち上がった。黒く丸いお尻にたくさんの白い砂がついていて、ユイはすばやく手で払った。
「ありがとう。でも砂がついてたってぼくは気にしないよ」
「……ペン太ってお風呂入るの?」
「どうして?」
「図書界で体が汚れたらどうなるのかなあって。お風呂あるのかなあって思って」
「一応、お湯が出る場所ならあるけどね……『命脈の樹』、ユイも見たと思うけど、あの大きな樹のまわりにあるんだ」
「めいみゃくの樹?」
ペン太がうなずいた。
「あの樹の周りは楽園だよ。図書ペンギンの学校や街もある」
「え? すごい! 行ってみたい!」
「無茶言わないでくれ」
目をかがやかせたユイにペン太が苦笑した。今は無理、と片手を振った。
「お風呂のために来たなんて知られたら、まずいことになる」
「どうして?」
ユイは不思議そうな顔で見下ろした。
ペン太が、視線をあさっての方向に向けた。言いづらそうにぽつりと口にした。
「さっさと試験に合格して戻ってくるから、って大みえ切って出てきたからだよ……さすがに見習いのままで戻るのはかっこわるい。だから……ぼくはずいぶん故郷に帰ってない」
ペン太が悲しそうに下を向いた。
ユイは気の毒になる。「それは気まずいかも」と眉をよせた。
「ますます早く試験に合格しないとダメだね」
「そうなんだ……実のところ、けっこう焦ってるんだ。こんなに最終試験に時間をかけるなんて思ってなかった」
ユイはごくりとつばをのんだ。
ペン太は優秀なのだろう。
ユイの知らないことをたくさん知っているし、危険な図書界でも長い時間旅をしている。きっと数えきれないくらい、様々なことを経験しているはずだ。
そのペン太が、こんなに困るほどの試験とはいったいどんなものだろう。
ユイは考えられる試験の内容を思い浮かべた。
学校のテストで全教科で満点をとること。
運動会のリレーで一番になること。
夏の自由研究で金賞をとること。
どれも難しい。けれど、ユイはこれは違うかと考え直す。
図書界の試験だから、学校のことを考えてはダメなはずだ。危険な世界を歩きながらの試験――ユイはさらに頭をなやませた。
食べ物を一カ月の間、口にしないこと。
本棚の本すべての内容を覚えること。
図書界を一人で一周して戻ること。
それとも、大きな恐竜をやっつけるとか。
想像はどんどんふくれあがった。しかし、ユイにはどれもクリアできそうにない。
「ユイ?」
ペン太に声をかけられて、ユイははっと頭をあげた。いつの間にか深く考え込んでいた。
「ご、ごめん。試験ってそんなに難しいのかなあって考えてて」
「どうだろう。試験の内容がよくわからないから困ってるかな……」
「よくわからないって、どういう意味?」
ユイの質問に、ペン太が「うーん」とうなりながら頭上を見上げた。
大きな影が、上空を通りすぎたところだった。
「『図書ペンギンにしかできない冒険をしなさい』っていうのが、最後の試験なんだよ。どうしたら合格になるかユイにはわかる?」
ペン太が困り顔で言った。
「よくわからない試験……」
「ぼくもいまだに答えがわかんないんだ。でも、前に会った見習いの子も最終試験は同じだって言ってた。彼も困ってたけど、試験内容はみんな一緒なんだろうと思う」
「そうなんだ……」
ユイのあいづちに、ペン太が「まあ、わからないときは進むしかない」と大人びた口調で言った。
「で、次の目標だけど、だいぶ近い」
ペン太が片手に乗せたラシンバンを見つめる。
小さなくちばしは、真横に向いていた。
「深さは問題なし。こっちだね」
歩き出したペン太のあとに、ユイが続いた。
*
ほどなく目的地にたどり着いた。
そこは、高くそびえたつ本棚の前だった。図書界ではめずらしくもなんともない場所だ。周囲を見回せば、似たうす暗い場所がそこら中にある。
どこも高層マンションのような高さの本棚がそびえたち、一番上には視線が届かない。
ペン太の顔が険しくなった。
ラシンバンが頭上を小さな声で鳴きながら、ぐるぐると何度も回っている。まるでここだと教えているようだ。
「これかい?」
ペン太が本棚に近づいて、一冊の本をつついた。背表紙が真っ赤なぶあつい本だ。表には何も書かれていない。
ペン太の前に、ラシンバンがすうっと舞い降りた。そして、甲高い声をあげた。
「それだって言ってるの?」
ユイが尋ねる。
「そうみたいだね。ぼくがまったく知らない本だ。普通は背表紙に本のタイトルが書いてあるはずなんだけど……著者の名前もない。なんだこれ?」
ペン太が本を抜き取って、目次を開いた。
「目次もない……どうなってるんだ? 本当にこれかい?」
ペン太の頭に乗ったラシンバンは、声を出さずに足踏みで答えた。
まちがってない、と言いたげだ。
「そうか。ラシンバンが言うなら間違いないだろうけど……」
ユイはペン太の持つ本をのぞきこんだ。
紙が古くなっていて、色が変色して茶色かった。
背表紙の接着箇所がはがれかけていて、今にも中身が落ちそうだ。
「古そうだね……」
「確かに、古い紙を使ってるね。製本も雑だ。新刊ならまだしも、こんなに古い本をぼくがまったく知らないなんて……色紙チョウが整理を忘れたのかな? ジャンルを見る限り、ここにあるはずがない本だ。ムササビネットにも忘れられてここに放置されてるってことは考えにくいな……」
「その本を、どうするの?」
ユイの質問にペン太が首を回した。
「中に入るのさ」
「……え?」
驚いたユイを見て、ペン太が誇らしげに胸をはった。
「そういえば、言ってなかったね。図書ペンギンは本の世界に入れるんだ。ユイが図書界に来たときもそうだっただろう? ただ、危険が大きいから、あまりむやみには入らない。ユイはどうする?」
「い、行く」
ペン太がにこっと笑った。
「だと思ったよ。まあ、試験で選ばれる本だから、ぼくが知らなくても、そこまで危険はないはずだ。じゃあ早速行くよ。時間もあまりない。ユイ、ぼくの手を」
平たい手が差しだされ、ユイはごつごつした感触の手を握った。
「では、本の世界へごあんなーい」
高らかなペン太の声とともに、二人は白い光に包まれた。
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