第9話 厳しい先生
ペン太はムササビと話しているのだろう。
ユイは間近にいるにも関わらず、そうとしか言えなかった。二人の言葉はどう聞いても日本語ではないのだ。
ペン太は「クアラッラ」、ムササビは「クゥルルル」。
動物同士が鳴いているようにしか見えない。
けれど、二人はそれが会話になっているかのように、音を変えて何度もやりとりを重ねていた。
ムササビが首を何度もひねった。ペン太が平たい手をおおげさに振り、自分の横腹を軽くたたいた。
「……わかったよ。たしかに無理を頼んだのはぼくだ」
ペン太が困り顔でため息をついた。
背中のリュックを下ろし、中を探した。取り出したのはペンギンの形に折られた白い紙だ。真っ白じゃなく、少し茶色がかった色。
あまり上手には折れていないように見えた。
それを、ペン太はムササビの鼻先にさし出した。
「これを追加でどうだい?」
ペン太の言葉に、ムササビは何度もうなずいた。とても満足そうだ。
「良かった。じゃあ、中質紙と、劣化紙だね」
ペン太は再びリュックに手を入れた。
出てきたのはさっきよりもずっと茶色い紙だ。丸めてくしゃくしゃにしたあと広げたようなしわが、一面にびっしりと広がっていた。
「あっ」
ユイはおどろいて声をもらした。
ムササビが、ペン太が持っていた下手な折り紙と、茶色い紙をひょいひょいっと口にくわえたのだ。
あっけにとられるうちに、紙が音を立ててムササビの小さな口に飲みこまれた。
「また、次があったら頼むよ」
ペン太はにこやかに笑って言った。
そして、リュックから金色に輝く一本の束ねたロープを取り出した。先端には竜のかぎ爪を思わせる二本の白いフックがついている。
うなぎのようにうごめきだしたロープが、ペン太のおなか周りをやさしく一周し、ユイの腰にも巻きついた。
そのまま先をぐんぐん伸ばし、遠くの本棚にフックがかかる。
「じゃあ、また」
ペン太がひらひらとムササビに手を振った。
足下のネットがぐらぐらと動き出し、ユイはバランスを崩して倒れかけた。
しかし、腰にまきついた金色のロープがすごい力で支える。
突然、ユイは強く引っ張られた。
トラックにでも引っ張られるような力だ。暗がりの中で、ユイとペン太は外に飛び出した。
「ええっ!?」
目を白黒させたユイだったが、不思議なことに怖くはなかった。
すぐ後ろのペン太も同じ状態だったし、腰から伝わるロープの感触が力強くて、ほのかな温かみを感じたからということもある。
ユイは楽しくてしかたなかった。
ムササビの尻尾のネットの次は、生き物のようなロープだ。
「ペン太、これどこにいくの?」
ユイは暗闇を滑るように飛びながら、弾んだ声で尋ねた。
「図書界の中層だよ。ラシンバンが下を指してるからね」
声はところどころ聞こえなかったものの、ユイは「そうなんだ!」とにっこり笑った。
ロープに連れてこられた先は、高い空から一直線に白い光が射しこむ砂漠のような場所だった。
ユイは聞きたかったことを忘れて、不思議な景色に息をのんだ。
真ん中には学校のプールほどの広さの池。砂漠にあるオアシスに似ている。
けれど、オアシスには絶対にないものがあった。
一つ目は、池にささった二つの本棚だ。両方とも別の方向に傾いていて、上から落ちてきたのだろうと思えた。とても浅いのか、水面から大人の体くらい飛びだしている本棚の中は空っぽで、水に浸かっているのに、なぜか傷んでいない。
二つ目は、池の周囲に生えている背丈の低い木だ。ユイの身長と同じくらいしかない。幹が葉っぱのような薄緑色をしている。
奥に目を向けると、裸の木の中に、茶色がかった葉を二枚つけた木があった。
ユイは、なんだろうと思って近づいた。
「この葉っぱって……紙?」
「めずらしいだろ」
ペン太が隣にきて「クァァ」とほこらしげに笑う。
気づけば、体に巻きついていた金色のロープが外れ、短くなってペン太の片手に収まっていた。
「やっぱり紙なんだ……あっ、これってムササビさんに渡したのと似てる」
「するどいなあ。これは中質紙って言うんだ。ユイの世界で言えば……お金が近いかな。まあ、食べ物でもあるけど」
「お金? 食べ物? 紙が?」
首をかしげたユイに、ペン太は目の前でふわりとゆれる葉をもぎってみせた。
「図書界では紙はすごく大事なんだ。これを食べる生き物がほとんどだし、紙を差しだせば仕事を頼むことだってできるんだ。さっきのぼくみたいにね」
「もしかして、ムササビさんと話してたことって……」
ペン太がうなずいた。
「ムササビネットにユイを助けてって頼んだから、代金がほしいって言われたのさ。彼らは普通は本しか拾わないから、特別料金なんだと」
「うっ……ごめん。それで、ペン太は困ってたんだ」
「まあ、そんなところかな」
ペン太が、紙をさっと四つ折りにして、リュックに入れた。
しょげるユイの太ももを「気にするな」と軽くたたいた。
「一枚の中質紙でユイが救えたんだ。安いもんだよ。運良くオアシスで補充できたし。ぼくが司書見習いじゃなく、さっさと司書になっておけば、劣化紙だけでムササビネットも引き下がってくれたはずだなんだ。中質紙を渡さなきゃならなかったのは、ぼくのせいでもある」
「……もし、その中質紙っていうのは持ってなかったらどうなったの?」
うかがうようなユイの質問に、ペン太が目を細めた。
「噂が広まれば、ぼくが笛で呼んでも来てくれなくなるかもね」
ペン太はリュックから小さな笛を取り出して、「やっぱりオアシスはいいなあ」と言いながら空にかかげた。
おどけた雰囲気だけど、ユイはなんとなく、本当にそうなるんだろうなと思った。
「厳しいんだね……」
「ムササビネットの仕事は落ちた本の回収だからね。無理を頼むなら、お礼ははずまないと。図書界の生き物はいい紙を食べると、体も大きくなるし、頑丈になる。みんなが欲しがるからこそ、ぼくは図書界で紙を見つけたときは、寄り道してでも拾うようにしてるんだ」
ペン太はそう言って、もう一枚の紙をもいだ。
「ユイが落ちた原因のトカゲだってそうだよ。あいつらは、ずるがしこくてね、自分の近くで絶版になった本が出るのをじっと待つんだ」
「ぜっぱん?」
「ユイの世界で本がそれ以上作られなくなることだよ。図書界ではそうなった本は、勝手に背表紙がはがれて、紙がばらばらになるんだ。まあ、本からただの紙に戻るってことさ」
「トカゲがそれを食べるの?」
「うん。本以外の紙は食べていいっていうのが図書界の決まり事だからね。本はたくさんの紙を使ってるから、絶版になって崩れたもの見つけたら、誰でも欲しがる。トカゲたちはそれをひたすら待っているんだ」
ユイは図書界の仕組みに「そうなんだ」と深くうなずいた。
紙が、お金や食べ物の代わりになっていることにも驚いたけれど、本を中心に動いている図書界の不思議に感心した。
ペン太が、目の前で手に持った紙を二つ折りにした。平たい手で折られた紙は、合わせ目がずれていた。
ユイが思い出したように言った。
「ムササビさんに渡した紙の一枚って、ペンギン形だったよね?」
「まあ、ね……」
ペン太が、ぽつりとつぶやいた。それ以上言葉は続かなかった。
ユイがじっと見つめた。
ペン太は口を一度開けて閉じてから、恥ずかしそうに言った。
「図書界には折り紙の文化はないんだ。でも、前にここへ連れてきた子が教えてくれたんだ。紙をいろんな形にできる技があるってね。ぼくはペンギンだからペンギンの形に折れるようにしようって……練習させられたんだよ」
ペン太が上空をゆっくりと見上げた。
「これが難しくって。でも、ある日ペンギン折り紙を図書界で渡したら、大うけでね……形がおもしろいのかな。それからだよ。暇があれば折り紙を一人で練習するようになったんだ……って、この話恥ずかしいな」
ペン太はきまり悪そうな顔で言った。
ユイがゆっくりと手を差しだした。視線はペン太が手に持つ紙に向けられている。
「それ、貸して」
「これを?」
「うん」
とまどうペン太をよそに、ユイは紙をやさしく引き取った。
折った紙を広げ、空中で紙の端と端をきっちりと合わせて、人差し指と親指ではさんで素早く一直線に走らせた。
「はい、どうぞ。あと、さっきリュックに入れた紙も出して」
ペン太は無言でユイが折った二つ折りの紙と、雑な四つ折りの紙を交換した。
ユイが同じように角を合わせてやり直した。流れるような動きで折り目を修正した紙は見事に四分の一のサイズに変わった。
「折り紙の基本は二つ折りと四つ折り。ペン太のはきれいさが足りない」
「……厳しいなあ」
ペン太がぽかんと口をあけた。
「私はペンギンの折り方を知らないから、戻ったら調べてみる。それと……せっかくだから他のも教えてあげる。そうだなあ……ツルとかどう? 図書界って飛ぶ生き物多いみたいだし、折り紙と言えばツルだし。みんな喜ぶんじゃないかな」
ユイは四つ折りの紙をひらひらとペン太の前でゆらして笑った。
ペン太もつられて笑顔になった。
「ツルって難しそうだ。ぼくはユイみたいに指先をうまく使えないんだけど」
黒く平たい手が、ユイの視線の先に持ち上がった。にぎって広げ、軽く曲げてひねる。ぼくのできる動きはそれだけだ、といわんばかりだ。
ユイが、「それだけで十分」と首を縦に振った。
「もう普通のペンギンをこえてるって。ペン太なら折り紙くらい、すぐにできるようになると思う。単に練習が足りないんだって」
いたずらっぽく言うユイに、ペン太はわざとらしくため息をついた。
「……ほんと厳しい先生に会っちゃったなあ」
二人は大きな声で笑った。
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