第13話 〜食品添加物、加工〜


 さて、この拙文もこの章を持って最終とさせていただきます。

 どうしても章が進むにつれ、科学では納まらない問題を内包していくのです。特に、前章のように、「飢餓を防ぐために毒による汚染食物をどこまで許容するか」などという問題について、統計的な最適解を出すことは可能でしょうが、その最適解がそのまま規制数値にできることは少ないでしょう。「今を辛くしても次の世代は良くしてあげたい」などという判断もあるはずです。

 科学がさらに進めば、いつかこれらの問題も解決できるでしょう。ですから、立ち位置だけは科学という視点を失わず、冷静でいたいと思います。


 さて、これも一筋縄ではいかない問題ですから、1つ例を挙げるに留めたいと思います。それでは、食肉加工に用いられる「亜硝酸ナトリウム」を取り上げましょう。

 ハムやソーセージは、肉を塩漬して熟成させ、旨味を増加させます。その後、塩抜きをし、ソーセージであればケーシングに詰め、燻煙を行うのです。ソーセージはどのような欠片の肉でも、血すらも無駄にしない知恵の結晶です。

 亜硝酸ナトリウムは、この塩漬の際に加えられます。長期間の塩漬の間「ボツリヌス菌」の増殖を抑制するのです。それだけではなく、「発色剤」として美味しそうな見た目を作り、ソーセージやハムの香りを作る働きも持っています。


 発色剤は、赤味がかった美味しそうな色を出す効果があります。色を着けるわけではないので、着色料ではありません。

 酸素を含む働きがある赤いタンパク質「ミオグロビン」が、筋肉には含まれています。これは、酸素の貯蔵に役立っている物質なので、長時間運動を続ける動物が多く持っています。また、このミオグロビンが含まれる筋肉が空気中に放置されると、酸化し褐色に変色してしまいます。


 これは、ヒラメのように待ち伏せて一気に襲いかかるような瞬発力で餌を取る白い筋肉の魚、カツオのように長距離を持久力でいつまでも泳ぎ続ける赤い筋肉の魚、というようにスーパーマーケットの魚売り場で観察ができます。

 加えて、閉店間際になると、カツオの刺身が古くなって茶色っぽく変色してしまったのを見た経験がある人もいるでしょう。


 ですが、亜硝酸ナトリウムの添加によって、ミオグロビンをニトロシルミオグロビンに変えて固定し、きれいな赤い色が保持され続けるのです。

 また、焼き豚とハムでは香りに明確な差がありますが、これも亜硝酸ナトリウムによるものです。食肉の獣臭さを消し、ハムやソーセージ独特の良い香りを生み出します。これは、官能試験において明らかな差を持ちます。

 最後に、ボツリヌス菌の作るボツリヌス毒素についてですが、これは極めて毒性が高く、たった500gで全人類を全滅させることができるほどです。


 毒の強さの比較方法として「LD50」という考え方があります。その毒を投与した生き物の群れの半数が死ぬ量のことです。したがって、この量が少ないほど毒性が高いということになりますが、当然生き残った半数も無事というわけではありません。現在では、動物愛護の観点から、この数値については概算値のみを出すにとどめることが多くなっています。

 ボツリヌス毒素のLD50は、体重1kgあたり、たったの0.000000015〜0.00000037mgしかありません。青酸カリのLD50が体重1kgあたり3〜7mgですから、文字どおり桁が違います。

 亜硝酸ナトリウムの添加によってその増殖は抑制されますが、その他にも大腸菌の毒素生成の抑制、サルモネラ菌、黄色ブドウ球菌などの発生も併せて抑えられます。


 ここまでですと良いことばかりの亜硝酸ナトリウムの添加ですが、問題はここからです。この亜硝酸ナトリウムを添加して塩漬し、さらに燻煙することで、タンパク質から分解されて生じたアミン類と添加された亜硝酸がニトロソアミンを生成し、それが明確に発がん性を持つとされているのです。


 「世界保健機関(WHO)」の研究機関IARCは、ニトロソアミンのヒトに対する発がん性は明確であるという分類(グループ1)をしており、2015年にプレスリリースとして、加工肉を毎日50グラム食べることで大腸がんのリスクが18%高まるという資料を出しています。


 これだけでも亜硝酸ナトリウムへの評価が難しいというのはお解りかと思います。

 このプレスリリースを信じるならば、ハムやソーセージを食べるのは危険であり、ドイツの人々はボツリヌス菌の発生を抑制するために、がんの危険性を許容してきたことになります。

 しかし、ドイツ人は今日の食中毒か、明日のがんかというシビアな伝統食を食べ続けてきたという結論を出してよいのでしょうか。もう少し幅広く「考察」する必要を感じませんか。


 なお、以下の考察は、あくまでこの場のもので、これによりニトロソアミンは無害であるなどという結論を導くものではありません。そもそも、科学的に結論を出すということは、複数の実験の相反する結果を検討し、極めて慎重な思考の積み重ねが必要なのです。


 まず、この亜硝酸ナトリウムなどの亜硝酸塩は海由来の塩にはあまり含まれませんが、地中にある岩塩中にはもともと含まれているのです。ヨーロッパでは岩塩の産出が多く、モーツァルトの生まれたザルツブルグという地名も塩の砦という意味で、塩取引で潤った街です。

 ということは、天然の岩塩を使っただけで、発色とボツリヌス菌を抑えるという効果が得られていたのです。筆者も両方の塩で作り比べてみたことがありますが、海塩を使ったものとは明らかに見た目からして異なりますし、食味も良好でした。なので、経験的に岩塩の使用が優先されていたでしょう。


 日本でも例外ではありません。

 やはり硝酸塩は地中に多く含まれており、肥料として農産物に吸収され、口腔内の細菌によって大量に亜硝酸塩に「還元」されています。そして、その量は添加物として加工肉に入っている量の1000倍近くにも及ぶことがあるのです。

 しかも、ニトロソアミンの生成は, 酸性下の環境で反応が進みますから、魚の干物などのアミンを含む食材と野菜から胃液の酸性環境下で大量に合成されているのです。この量に比べたら、添加量が規制されている加工肉は、総計の中では大きな影響を及ぼしません。

 例を挙げれば、レタスと加工肉を同じ重量食べた場合、レタスの硝酸塩100に対して加工肉のそれが1になるほどの比なのです。


 この野菜と加工肉の関係は、どこの国のどのような食事でも同じですから、ドイツ人だけが飛び抜けて危険な伝統食を持っているわけではないことになりますし、食肉への食品添加物として量が制御された亜硝酸ナトリウムは、利点のみを考えれば良いのではないか、という話にもなります。


 それでは、IARCのプレスリリースである、加工肉を毎日50グラム食べることで大腸がんのリスクが18%高まるというデータはどう解釈すれば良いでしょうか。報道を読む限り、ドイツの人たちは「ばかばかしい」と一笑に付したようですが、さらに考察を進めてみましょう。


 まずは、加工肉を毎日50グラム食べることで大腸がんのリスクが18%高まるというデータの解釈です。まず、毎日50gという量です。

  日本人が消費する豚肉の量は、国際連合食糧農業機関(FAO)の2013年のデータによれば、1日あたり56.5gしかありません。この量のうち、加工肉での消費が何割を占めるかですが、日本人という群れを観察した場合、豚汁、トンカツやポークソテーなど、生鮮肉をそのまま煮たり焼いたりするような料理が多く、毎日50gに相当する9割近くを加工肉で食べているという人は、例外という扱いで良いでしょう。

 したがって、このプレスリリースは日本人という群れには適用できないということになってしまいます。


 一方で、ドイツ人が消費する豚肉の量は、同じく2013年のデータによれば、1日あたり142gです。この量のうち、加工肉が何割を占めるかですが、それ以前にこの量は19世紀の半ばの4倍といわれています。この段階で、19世紀の半ば以前はドイツといえど、このプレスリリースの条件にはなりません。

 一方で現代では量的なリスクは高いといえますから、ちょっと古くなりますが、2005年に出されている国立がん研究センターの「がんの統計」から、ドイツ人のがんの粗死亡率をみてみましょう。女性は、乳がん等別の要因も入りますから、男性で見てみます。

 すると、イタリアの328人を筆頭に、フランス303人、イギリス279人、ドイツ270人、スウェーデン253人、スイス243人となっており、特に多いとはいえません。ちなみに日本は303人ですから、フランスとほぼ同じです。


 以上のことから、このブレスリリースは案外、実情に合っていないかもという疑問が生じます。だからといって、実験を繰り返して導かれた硝酸塩の発がん性は誤りと言えません。

 その矛盾の整合は取れるのでしょうか。


 まず、国立がん研究センターで、野菜と果物の摂取が少ないグループではがんのリスクが高いことから、多く摂れば予防できるまではいえないものの、野菜不足にはならないよう勧めています。野菜に含まれる硝酸塩が発がん性とイコールで結べるのであれば、このような結果にはならないはずです。

 これは、硝酸塩を含むという意味では発がん性がありますが、食物繊維に富み、ビタミンを補給するなど、野菜の持つがんを抑制する働きの方が上回っている可能性を示しているのかもしれません。なお、ここで「上回っています」と明確にいうには、まだまだ積み重ねが必要です。

 さらに考えるのであれば、亜硝酸ナトリウムは、発がん性が明確であるグループ1に位置付けはされているのですが、この位置付け自体は、発がん性の強さをあらわしているのではないのです。

 言い方を変えるのであれば、「明確に敵ではあるという位置付けはできるのだけれど、弱い奴かもしれません」ということです。これならば、野菜と硝酸塩の発がん性の矛盾は解消します。


 次に、口腔内細菌によって、硝酸塩が亜硝酸塩に変化する事象にも意味はあるのではないでしょうか。口の中でがんの原因を作るような細菌に「寄生」され続けるということは、人類の進化の歴史の中で極めて不利なこととなります。にもかかわらず、それが続いているのは、それが寄生ではなく「共生」であり、その利益にまだ人類が気がついていない可能性もあるということです。


 本来、このような例で人類という種が進む道は2つです。

 1つ目は、人類の中のこのような細菌が口の中にいない群れが優勢となって、結果としてこの細菌を減らしていく。2つ目は、この細菌が作るがんの原因に耐性を持つ、です。

 結果として1つ目は実現していませんから、問題とするほど発がん性が強くないという可能性と、元々は強かったのに人類の耐性の強化がされたという両方の可能性があるでしょう。


 そこからは、常識を超えて加工肉を多食しなければ、硝酸塩によるリスクは少ないという可能性が窺えます。

 なお、口の中で、毒物ともいえる静菌作用の強い化合物を作る意味といえば、より有毒な菌が体内に入ることを抑制しているのではないか、ということです。

 となると、ますます単純に悪役にしてしまって良いのか、ということになりますね。


 さらにもう1つ、考慮すべきことがあります。胃の中でのニトロソアミンの生成は、ビタミンC、ビタミンEといった還元性のものを同時に摂ることで抑制されるのです。

 それでは、これらについても考えてみましょう。

 まず、ドイツの食生活では、よく食べられているジャガイモとザワークラウトは共にビタミンCを含み、それだけで1日の必要量を賄うことが可能です。ジャガイモ250gとザワークラウト100gでビタミンCは成人栄養摂取目標である100mgを賄えるのです。したがって、加工肉を食べる時期である冬季、ジャガイモとザワークラウトしかなくても、ニトロソアミンの生成はある程度の抑制はされたのではないでしょうか。


 同じく、日本の場合で考えてみましょう。青魚、海藻類そしてダイコンやカブの葉を含む青菜など、伝統的に日本で食べられてきた食材はビタミンEを含みます。日本人の成人男性の必要量である7mgは、白米というビタミンの少ないものを主食としていたとしても、ダイコン葉100g、カボチャ100gでまかなえてしまうのです。


 これらのことから、胃の中で合成されるニトロソアミンの絶対量が、食物の摂取量から推測される量よりかなり少なくなる可能性があるということです。

 逆に、IARCのプレスリリースの元となる実験群は、このような影響を廃して行われたはずです。ニトロソアミンの生成を妨害しながらその発がん性を確認するのはナンセンスだからです。


 伝統食が、身体に不都合な点を持つ食材に対して、他の食材との組み合わせることで問題をクリアしている例は、焼き魚に大根おろしなど少なくありません。これも、口内の雑菌の繁殖を抑えながら、発がん性を抑える知恵という可能性があるのではないでしょうか。


 以上のことから、極端に偏る食生活をしなければ、加工肉を食べることは何ら問題がないという結論をとりあえずは得ることも可能です。

 ですが、この結論は確定ではありません。まだまだ実験の結果を集め、必要な検討をし、考察を積み重ねる必要があります。

 実際に、このプレスリリースについては反論があり、さまざまな再検討がされています。食肉への硝酸塩利用はローマ時代からといわれているのに、未だ検討中の事柄なのです。


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 おわりに。


 科学において1つのことを確定するためには、ピラミッドのように基礎から知見を積み上げていかねばならないと言われています。そして、実際にピラミッドを作るためには、それだけでは足りません。ピラミットを規定するその外側の空間をも検討する必要があるのです。


 理科の教科書にも描かれている生物の系統樹を見ると、各生物はこのように枝分かれし、進化してきたという理解をしがちです。それは一面で正しいのですが、本来は逆なのです。

 系統樹に描かれていない空間も、すべて生物がいたのです。系統樹は樹木のように成長したのではなく、同心円状に成長し、次から次と絶滅して今の樹木のような形に刈り込まれたのです。

 同じように、科学の仮説と実証は、すべての可能性を網羅できる仮説を作り、確実に否定されるものを除き、確からしいものを残していくという一面があります。

 そこが、目標に向かって進み、それができれば許されるという工学などの実学とは違う面でしょう。


 前書の「味噌汁の科学」では、観察を主体に中学から高校の理科の知識に繋がるように記しましたが、今回の「食料保存の科学」は、仮説から考察に至る面を含めて、中学から高校の理科の知識に繋がるように記しました。

 楽しみながら、用語の復習になれば幸いです。

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