第3話 〜煙をあてましょう〜
人類は乾燥、塩漬と、食材に含まれる水分との戦いを続けてきました。
生物の「種」としての「ヒト」が、文明以前に野生動物と変わらない生活の中で工夫し、可能だったのはここで扱う燻製、あとは灰を使う方法までであったろうと思われます。ここから先の技術は地形や気候に恵まれるか、水の漏れない水密容器の完成を待たねば成立しない方法になってしまうのです。
また、燻製といっても、常温以下の冷たい煙を当てて作るスモークサーモンなど、洗練された方法が生まれるのはずっと後の時代でしょう。最初は、焚き火の上に狩りの獲物を吊るしただけのことから始まったはずです。それが時代とともに洗練され、今見られる形になったのはつい最近のことです。
たとえば、17世紀、カリブの海にいた海賊たち、すなわちパイレーツオブカリビアンはバッカニアと呼ばれていました。この言葉は、ブーカネというフランス語からきた単語で、焚き火の上で野生牛を燻すという意味でした。ここに、美味追求のために洗練された、今の燻製のイメージはありません。
また、中世の富裕層は、ベーコンを食べないことをセレブの証としていました。富裕層であれば、新鮮な肉を入手できることがステータスであり、加工された古い肉を食べることは自慢にならなかったのです。
当然のことながら、スパイスに対する考え方も長く誤解が続いていました。「腐敗臭のする肉をごまかして食べるために、どれほど値段が高くてもスパイスが必要だった」ということは、新鮮な肉よりもスパイスの方が高価だということから明確な誤りと言えます。
現在の日本で言えば、「本ワサビを買うのは、冷凍のマグロの刺身を美味しく食べるためだ」というくらい
近代になると、シャーロック・ホームズが、海軍条約文書事件の中で、腐りかけの肉をカレーにしたハドソン夫人を皮肉るような描写もありますが、この時代はすでにスパイスの価格は大きく下がっていました。
なお、スパイスによる防腐効果はありますが、それを十分に発揮させるほどの量を肉に加えた場合の刺激性や生理作用はかなり激しいものとなり、実用性に欠けると言わざるを得ません。その効力は気休め程度に考えていた方が安全でしょう。
話を戻しましょう。ともかく、煙には様々な物質が含まれ、中には人体に有毒なものも含まれますが、食材を長持ちさせる効果は高いのです。
煙には、「ホルムアルデヒド」や「フェノール」が含まれており、これらは極めて毒性の高いものです。これらが食材の表面にまんべんなく付着するため、その表面が殺菌されます。
さらに、煙に含まれる「アルデヒド類」が食材のタンパク質と結びついてバリアというべき膜を作るため、内部への細菌の侵入を防がれます。
加えて火の上で加熱され、より多くの自由水が蒸発によって抜かれるのです。
みなさんも、ホルムアルデヒドの水溶液、「ホルマリン」が生物の標本を作るのに使われるのは知っていることと思います。生体を腐敗させないから標本に加工できるのです。
フェノールは「石炭酸」とも呼ばれ、やはり高い殺菌力を持っています。1866年、これを噴霧することで感染症を防ぎ、手術の成功率を大きく上げることに成功しました。ですが、腐食性、有毒性が高く、濃いものが皮膚に触ると薬傷を起こすこともあり今は使われていません。
恥ずかしいことながら、筆者も実験中に手の甲にフェノールによる薬傷を負ったことがあります。以降、白衣の着用を含め、実験に取り組む姿勢が大きく変わった経験があります。
なお、これらの高い効果は燻煙を続けることでさらに維持されますから、日常生活の中で食材を焚き火の上に置いときっぱなしにし、煙の中の有毒物質の蓄積が無視できない量になる以前に食べきってしまうという流れがあったことは想像に難くありません。
日本でも、囲炉裏の上にかざすようにして煙を当てる食材の例があります。いぶり漬けという漬物は、ダイコンを囲炉裏の上で煙を当てながら乾かし、その後タクアンのように漬けたものです。また、川魚やエビなどに串を打ってじっくりと焼きながら水分を抜き、それを囲炉裏の上に放置して煙を当てながらさらに乾燥させ、それで出汁をとるということもありました。
地方によってはアユなどの高級魚も対象になりますから、これに関してはかなりの美味だったのではないでしょうか。
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※謝肉祭、カーニバル
カーニバルのカニは肉という意味です。語源としてはラテン語のcarnisですね。カニバリズムという恐ろしい単語がありますが、カニの意味としては同じものです。また、「生まれ変わり、輪廻転生」は Reincarnation となりますが、この単語も、再び肉の中へという意味です。
この宴は、春の到来を祝うものですが、宗教上のことはさておき、実際の生活のなかでの意味を考えてみましょう。
たとえば、ドイツでは、初冬まで飼った豚をソーセージやハム、ベーコンに加工して冬を乗り切ります。どのような屑肉や血さえも無駄にせず加工し、そうやって厳しい冬を切り抜けるのです。文化面としてみれば豊かですが、物質面としては必死の行為だったでしょう。
さて、それでも春が来ると、食べ残しの腐りかけの肉類の残りが目に入ります。これから気温が高くなると、ますます腐敗が進み、危険な食べ物になってしまいます。ならば、日を切って食べきってしまった方が安全と考えるのは当然のことでしょう。
春が来れば、野菜をはじめとした他の食べ物も手に入るようになります。そして、そのような野菜中心の食事の時期を、肉を断つ断食の時期と揃えることで生理的にも、経済的にも無理がないように、行事として組み立てられているのでしょう。
このような例はどの宗教でもみられます。
古い宗教的タブーは、そのようにした方が経済的な損失が少ないという経験則の現れであることが多いのです。例えば、イスラム教は砂漠の宗教といわれています。砂漠でブタを飼育し、安定的に肉を供給しようとしたら何が起きるでしょうか。こんなことをシミュレーションしてみるのも興味深いことです。
神の教え、それ自体のことについては、ここは論じる場ではないと考えます。
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