第11話 霹靂
「えっ」
突然の質問に安田は固まった。
「記録に無い遺体がありますよね。
どういうことですか」
伊藤の率直な質問に安田は何も言えなかった。
思考が完全に停止した。
「その無言は、何か知っていると考えていいのですか」
伊藤は懐から封筒を取り出した。
安田が渡したあの50万円だ。
「このお金は何か関係しているのですか」
淡々と詰め寄る伊藤が怖かった。
推理小説で追い詰められる犯人はきっとこんな気持ちなのだ。
やっとのことで安田は口を開いた。
「どの遺体、ですか。
何号機の話ですか」
その言葉に伊藤は大きくため息をついた。
酷く落胆した顔で、悲しい目で安田を見た。
「何も知らないんですね」
安田は薄っぺらい笑顔を作ってみせた。
「待ってください、何のことですか」
トボけるしかできなかった。
伊藤はもう一度、大きくため息をついた。
「わかりました」
安田の返事を待たず伊藤は安置室を出ようとした。
無意識に伊藤の手を掴みそれを制止した。
「ど、どこへ行くんですか」
「冷蔵庫に知らない遺体がある。
これから警察に連絡して調べてもらいます」
「騒ぎになりますよ。
ちゃんと調べましょう、記録漏れや、その、何か手違いが、ね」
伊藤はゆっくり、優しく、安田の手を解き、うっすらと涙を浮かべた。
その姿にはただただ深い悲しみだけが宿っていた。
伊藤は安田に背を向け、やっと聞こえる程度の声で呟いた。
「残念ですよ、安田さん」
安田は伊藤の襟首を掴み、地面へと叩きつけた。
考えるよりも先に手が動いていた。
そして頭を打ちつけ痛がる伊藤にまたがりその首を絞めた。
「ぐ、うぐ、ぐぐ」
伊藤は涙を溢れさせながら必死で安田の手を掻き毟った。
爪が食い込み、ジワジワと血が滲んでも安田はその力を緩めはしない。
段々と青紫になる伊藤の顔を見ながら安田も涙をこぼした。
「すんません、すんません」
薄れゆく意識の中、伊藤は全てを諦めた。
抵抗を止め建物を突き抜け空を見た。
そしてもう、その息は止まっていた。
「安田さん、どうしました」
物音を聞き牧野が安置室に入ってきた。
息を切らし、血走った目の安田を見て一歩引いた後で地面に横たわる伊藤を見て顔を青ざめた。
一秒、二秒、三秒、少しの沈黙の後で牧野は一目散にロビーへと駆けようとした。
まだ止まらない涙を拭いもせず、安田も慌てて牧野に駆け寄るとまた襟首を掴み、後ろから口を手で塞いだ。
無理やり安置室の奥に引き摺り込むが、牧野は抵抗し安田の手に力一杯噛みついた。
痛みで手を離すと牧野はまた安置室を出ようとしたので髪を掴み、壁に叩きつけた。
牧野は噛み切った安田の血で口を真っ赤に染めていた。
まるで獣を見るような目で安田を見た。
尻餅をついたまま、背後の壁に張り付き涙を溢した。
「殺さないで、やめて」
震えた声で哀願する牧野を見て安田はまた涙を溢れさせた。
滲む視界で捉えたのはいつも牧野が水を差す大きめな花瓶だ。
安田はそれを手にすると一歩ずつ牧野に歩み寄った。
「ごめんな、ごめんな」
「いや、やめて、お願い」
「ほんと、ごめんな」
安田は力一杯、花瓶を牧野の頭に打ち付けた。
ばっくりと割れた頭からは噴水のように血が溢れた。
それでも牧野はまだ逃げようとした。
芋虫のように地面を這いながら、必死で逃げようとした。
だがもう全身の力が抜けて行く。
這うこともできなくなった牧野は地面に突っ伏し、手を伸ばしながら呟いた。
「お母さん」
そして、牧野も息を止めた。
安田はただ呆然としていた。
どうしてこんなことになってしまったんだ。
どうして俺は二人を殺してしまったんだ。
冷蔵庫の磨かれた面に自分が反射し鏡のように見えた。
涙を流しながら、悪魔の形相の自分に嫌悪を覚える。
ごめんなさい、ごめんなさい。
ただただ頭の中では懺悔を繰り返した。
そして、やがて湧き上がる怒りは冷蔵庫の死体に向けられた。
俺はもう終わりだ。
一生、ムショの中で過ごすんだ。
こいつらが居なければ。
こんな奴らさえ居なければこんなことにはならなかったのに。
こいつらが居なければ。
そう、こいつらが居なければ。
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