第10話 偽装

「何だって」

「一昨日の晩に浩平さんがパクられまして。

 今、事務所は大騒ぎになってます」

「何の罪でパクられたんだ」

 タカシは言いにくそうに、ぼそっと呟いた。

「殺人です」

 安田はただ唖然とし、立ち尽くすばかりだった。

「やっぱり、何も伝わってないですよね」

 返事も頷くこともできなかった。

「逃げる前に安田さんには伝えておこうと思って来たんです」

「逃げる、って」


 タカシは少し嬉しそうだった。

 鼻を擦りながら、照れ臭そうにぽつぽつと思いを語り始めた。

「安田さん、俺に言ってくれましたよね。

 向いてないからヤクザ辞めろって。

 すげえ胸に刺さったんです、その通りだよなって。

 今は組もバタついてますから、バックレるなら今だと思うんです。

 安田さんに言われた通り地元に帰ろうと思います。

 その前に、何て言うか。

 安田さんにはちゃんと現状を伝えて、挨拶したくて」

 タカシは深く頭を下げ、小さくも強い声で言った。

「本当に、ありがとうございました」


「死体はどうなるんだ」

 安田の率直な質問にタカシは不思議そうな顔をした。

「いや、それは俺に言われても」

「じゃあ誰に確かめれば良いんだよ。

 浩平はいないんだろう、神田さんか」

「連絡先、知っているんですか」

 段々と怒りが溢れてきた。

 ポケットの中のスマホを取り出し、タカシに見せつけた。

「知る訳ねえだろ。

 何のメモリも入ってねえじゃねえか」

 タカシはそのスマホを見て少し慌てた。

「早くそのスマホ処分した方が良いですよ。

 どこから割れるか分かりませんから」

 その言葉に安田の怒りは爆発した。

 タカシの胸ぐらを掴み、背後の壁に叩きつけ怒鳴り声を上げた。


「スマホなんていいんだよ。

 俺はてめえらが持ち込んだ死体を三つも保管してんだぞ。

 どう処分するのか誰かに確認しろよ」

「お、落ち着いてくださいよ。

 あれは浩平さんの仕事ですから。

 多分、誰も死体のことも知らないです」

「ふざけるのもいい加減にしろよ」


 タカシは安田の手を乱暴に振り払った。

「だから、俺に言われても知らねえよ。

 アンタもさっさとバックレれば良いじゃねえか」

「俺はここが職場なんだよ。

 やっと評価もされてきたのに、バックレるなんてできる訳ねえだろ」

 タカシは大きくため息をつき、呆れたように言った。

「とにかく、俺は俺の好意でここに来たんです。

 何も知らねえままじゃ安田さんが不憫ですから。

 俺はバックレますから後のことは知りません。

 自分で何とかしてください」

 それだけ言うとタカシは背を向けた。

 夜の闇と影が相まって、その姿はすぐに見えなくなりそうだった。

「お、おい、待てよ」

 もう返事は無かった。

 その深い闇が、絶望の色に染まっていく。


 安田はそのまま、祭儀場へと引き返した。

 帰る家の無い三人の客に腹が立って仕方ない。

 クソ。

 クソが。

 腐れヤクザが。

 六号機のドアを開け、見えた頭を何度も何度も蹴りつけた。

 やがて息が切れ、その場にへたり込み。

 頭を抱えてうなだれた。

 これからどうしたら良いんだ。

 立ち上がり部屋をウロウロとしながら思案を巡らせるが何も浮かばない。

 この状況を打開できる力なんて自分には無い。

 壁を殴り、机を蹴飛ばし、物を投げつけても答えなんて出るはずもない。

 ただ、時間だけが無情に過ぎていった。


 少し頭が冷えてきた頃。

 蹴飛ばした机の引き出しから散乱した物の中、一冊の手帳が目に止まった。

 それは何かの粗品でもらった真っ黒のカバーのどこにでもあるシステム手帳だ。

 それを見て妙案が浮かんだ。

 この案ならある程度は希望が持てるかもしれない。


 机に座り手帳を開いた。

 そしてそこに、架空の日記を書くことにした。


 内容はこうだ。

 初日、安置室に二人の暴力団がやってきた。

 二人は安置室の冷蔵庫を貸せと私を脅してきた。男達は高田組の浩平と神田と名乗った。

 二日、浩平と二人の男が死体を運び込んできた。

 私はそれを拒否したが、男は私の両親の写真を見せ脅迫してきた。

 三日、ああ、どうすれば良いんだ。

 警察に相談しようにも両親に危険が及ぶかもしれない。

 後日、眠れない日々が続く。

 誰か私を助けてくれ。


 金を受け取ったなんて書かなくても良い。

 もし浩平がそう言ったとて、ヤクザの言葉なんて警察は信じないだろう。

 この手帳を引き出しの奥にしまっておく。

 もし私の所まで警察が来ても、ヤクザに脅されて何も言えなかった証拠になるはずだ。

 多少、共犯として罪にはなるだろうが同情は得られるだろう。

 奴等が死体を引き取りに来るならそれで良い。

 来ないなら、この保険が自分を救ってくれるはずだ。


 部屋を片付け手帳を分かりやすい場所にしまっておく。

 これで良い、これで良いはずだ。

 何度もそう言い聞かせるとやっと心が落ち着き始めた。

 だが、冷静になるほどにまた怒りが湧き上がる。

 もう一度、六号機のドアを開けた。

 そして目一杯の力でそれを蹴り飛ばし、唾を吐きかけた。

「てめえらに台無しにされてたまるかよ」

 それから眠れぬ夜を過ごし、朝日が登り始めた。

 今にも警察がここに来るかもしれない。

 今頃、うちには警察が来ているのかもしれない。

 考えれば考えるほど、不安ばかりが募っていく。


 もうすぐ始業時間になる頃。

 安田はふっとある事に気がついた。

 そもそも、浩平の逮捕の理由だ。

 タカシはそれを殺人だと言っていたが、それはこの死体のことなのだろうか。

 粗暴で野卑な浩平だ、他にもどこかで殺しをしていて捕まったのはその件かもしれない。

 もしそうだとすれば、やがて高田組の人間がここの死体を処理にくる可能性がある。

 この不安や心配が取り越し苦労かもしれないのだ。


 いてもたってもいられず、安田は近くのコンビニへ駆け出した。

 レジの横にある新聞を片っ端から広げてはそれらしい記事を探してみた。

「あの、立ち読みは遠慮してください」

 店員に声をかけられた安田はポケットの小銭を投げつけた。

「全部売れ、ここにある新聞、全部だ」

 イートインスペースでそれを広げて、また記事を確認する。

 コソ泥や事故の記事に挟まれるように、一つだけそれらしい記事があった。


 県警は繁華街での傷害致死罪で暴力団員の男を逮捕した。

 男は飲食店内で食事をしていた被害者に対し「ガンをつけただろう」と執拗に殴りつけ、

 死亡させた疑いである。

 男の身元を明らかにするとともに、事件の経緯を詳しく調査している。


 恐らくこれだ。

 浩平は街で喧嘩になった相手を殴り殺してしまったのだ。

 つまり、祭儀場の死体はまだ明るみに出ていない。

 待っていれば引き取りにくるはずだ。

 笑みが溢れた。

 何だ、何も心配することなんて無かったんだ。

 高田組の連中だって、もし安田が自首なんてしたら大変なことになる。

 一刻も早くあの死体を何とかしたいと考えているはずだ。

 買った新聞はそのままに安田は店を出た。

 安堵の一服が美味い。

 悠々と軽快に、祭儀場へと戻っていった。


「おはようございます」

 牧野は満面の笑みで安田に挨拶をした。

 上機嫌な安田もまた笑顔で牧野に挨拶を返した。

「今日もいい笑顔だな。

 俺まで元気になるよ」

「何も出ませんよ」

 二人はケラケラと笑い合い、さわやかな朝らしい光景だ。

 さあ、となれば今日の業務を済ますだけだ。

 館内のあちこちを掃除するのも良い。

 事務所で何か仕事を分けてもらうのも良い。

 もう心配はない、仕事だったまったく苦では無い。


 安置室には伊藤がいた。

 いつものように安田へのメモを手に、ホワイトボードに向かっていた。

「おはようごさいます」

 安田は元気よく伊藤に挨拶をした。


 伊藤はゆっくりと安田を見た。

 少しの笑顔もない、真剣な顔で安田を見た。

 そして言った。


「冷蔵庫内の遺体は何ですか」

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