第8話 バラバラ

何だか時間が早い一日だった。

 遺体の出し入れの度にそわそわと落ち着かない。

 今日の通夜で三人の客は出て行った。

 もう相部屋にする必要は無いが、それでも死体を元に戻す気にもなれない。

 やはり、ヤクザに関わるべきではなかったのだ。

 何度も何度も深いため息が漏れてしまう。

 こうなると、家に帰っても落ち着くことはない。

 今誰かがあのドアを開けているかもしれない、そう考えるといてもたってもいられない。

 昨日も今日も何だか帰る気になれなかった。

 もういっその事、ここに布団を持ち込んで暮らしたいほどだ。


 時計が22時を回った頃。

 安田がぼんやりと過ごしていると小さく声がかかった。

「安田さん」

 驚き、慌てて振り返るとタカシがそこにいた。

「タカシだったか、どうしたんだ」

 タカシは真っ青な顔でゆっくりと頭を下げた。

「今、大丈夫ですか」

「大丈夫って何が」

「人が来ませんか」

 タカシは人目を気にし、足跡も立たずにここまで来ていた。

 その配慮に安田は少し嬉しささえ覚えた。

「気にしてくれるのか」

「そりゃあ、見つかったらまずいですから」

「で、どうしたんだ」

 タカシはごくりと唾を飲み、持ち込んだ大きなカバンをそっと床に置いた。

「何だよそのカバン。

 まさか、バラバラ死体とかじゃねえだろうな」

 タカシがそのカバンを開けると中にはハンマーやノコギリ、建築道具が沢山つまっている。

「お、おい、なんだよそれ」

 タカシは引きつった笑顔を見せた。

 ヤケになっているのか、頭をボリボリと掻きながら言った。


「腕を、切ります」


「え、何、腕を」

「昨日、運んだ男の一人、片腕に牡丹の刺青があるんです。

 その腕を切ってこいと言われまして」

「切るって、ここでかよ」

 タカシは小さく頷いた。

「ま、待てよ、バカなこと。

 何で死体の腕なんか切るんだ。

 それは浩平の指示か」

「俺も知りませんよ。

 上からの指示ですから」

「上ってのは浩平か」

 タカシはそこで口籠った。


「とにかく、仕事させてください」

「何なんだよ本当に。

 そんな話聞いてねえぞ」

 戸惑う安田を尻目に、タカシは冷蔵庫のドアを開けた。

「あれ」

 そこには今日、来たばかりの女の遺体が入っていた。

「こいつじゃないですよね、昨日の死体はどのですか」

 まるで空気に飲まれるように、安田は渋々と指さした。

「七号機か、八号機だ」

 タカシがそのドアを開けると、中では二人の男が抱き合っていた。

「な、何してるんですかこれ」

 その言葉に安田は激昂した。

「そうでもしなきゃ冷蔵庫が足りねえんだよ。

 お前らが次から次へと死体を持ってくるからそんなことになってんだよ」

 ここ数日のストレスが爆発した。

「安田さん、そんな大声出したら誰か来ますよ」

「わかってるよ」

 二人は少しの間、黙って立ち尽くした。

 やがて、腹を決めたタカシは七号機と八号機を確かめた。

 牡丹の刺青があるのは八号機、あのガタイの良い死体の方だ。

 八号機のベッドをスライドさせ中から二人の客を取り出した。

 タカシは床にシートをひき、そっと手を合わせた。


 タカシは安田よりも背が低いぐらいだ。

 安田があれだけ苦労した死体をタカシ一人で上げ下げするのも無理な話だろう。

 タカシは申し訳なさそうに安田に言った。

「すみません、手伝ってもらえませんか」

 そう言われるだろうと思いながらも安田は

 眉をしかめた。

 こうなったらもうタカシはやるまで帰らないだろう。

「上げ下ろしだけだぞ」

 二人は死体をシートの上に下ろした。


 その死体は薄目を開けたままだった。

 パンパンに腫れた顔なのに、わずかにその目が見えていた。

 こいつは死の瞬間、何を見ていたんだろう。

 そして何を思いながら死んだんだろう。

 少し、心が騒ついた。


 タカシはノコギリとナイフを手にした。

「これで切れますかね」

「知らねえよ、切ったことなんてある訳ねえだろ」

「そ、そうですよね」

 タカシの手は震えていた。

「どこから切るんだ」

「肩から先です」

「早くやっちまえよ」

「は、はい」

 タカシは意を決し、ナイフを男の二の腕に突き刺した。

 多少の血が流れ出す。

「おい、肩から切るんだろ」

「そうです」

「そんなとこ刺してもダメだろ。

 関節を切ったら良いんじゃないか」

 映画だったか小説だったか、何かで見た知識だった。

 タカシは大きく息をした。

 そしてノコギリを持ち、肩に刃を当てた。

 安田はタカシに背を向けた。

 そんな光景、見たくないからだ。


 グシュ、っと嫌な音が響く。

 呼応するようにタカシの呼吸は小刻みに震えた。

 やがてその刃が硬い物に当たったようだ。

 柔らかい音が硬い音に変わっていく。

 ゴリゴリ、ゴリゴリ。

 だが脂が付いたからか、素人のノコギリ捌きだからか、腕は肩から外れない。

 安田の背の向こう、タカシの舌打ちが部屋に響く。


「なあ」

 黙っていられなくなった安田が口を開いた。

「そいつ、ヤクザか」

「そうですよ」

「何で、殺されたんだ」

 タカシは少しの間の後で答えた。

「揉めてる組の頭なんですこいつ。

 浩平さん達が拉致って、その、まあ」

「俺はてっきり臓器売買の関係かと思ったよ」

「臓器売買なんて、ただの噂ですよ」

「そ、そうか」


 相変わらず骨は切れなかった。

 もはやヤケクソになったのか、タカシはハンマーを取り出しその肩を殴りつけた。

 骨をバラバラにすればナイフでも切れるだろう、そう考えたからだ。


 ゴッ、ゴッ、ゴッ。


 一生、忘れられないかもしれない嫌な音だった。

 何か気を紛らわしたい。

 安田はまた口を開いた。

「その、切った手は、どうするんだ」

「送りつけるんじゃないですか」

「敵の組にか、時代錯誤なヤクザだなお前達」

「浩平さんが聞いたら怒りますよ」

「へへっ、間違いない」

 タカシは純粋で裏表を感じなかった。

 真っ直ぐ人に向き合い、安田にもちゃんと人として向き合う実直さがあった。

 そんなタカシがどうして今、死体の腕を切っているのか。

 安田にはそれが不思議に思えた。

「タカシ、お前どうしてヤクザになったんだ」

 骨を殴る音が止まった。

 ゆっくり振り返るとタカシは血に染まった自分の手を眺め、悲痛な目をした。

「何ででしょうね」

「何でって、お前の人生だろう」

 安田の問いに、タカシは俯いた。

「時代錯誤なんでしょうけど、男になりたかったんです。

 古いヤクザ映画に出てくるような、そんな仁侠の世界に憧れたんです」

 タカシの手からポロリとハンマーが落ちた。

 タカシは床に手をつき、拳を強く握りしめてつぶやいた。

「それなのに、俺、何してんだろう」

 考えてみればまだ20そこそこの若者だ。

 ふと安田の言葉に冷静を取り戻してしまったのだろう。

 タカシはその場にうなだれてしまった。

「お前、ヤクザ辞めろ」

「えっ」

「俺もこれまで色んなヤクザ見てきたよ。

 タカシ、お前は向いてないよ」

「そうすっかね」

 悲しくも自覚がある、そう自虐的にタカシは笑った。


 安田は何かが吹っ切れた。

 もう、こいつらに振り回されるのも御免だ。

 さっさと全てを片付けて終わらせたい。

「ナイフ貸せ」

「えっ」

 戸惑うタカシからナイフを奪い、大きく深呼吸をした。

 死体の肩はもうブヨブヨになっていた。

 骨も筋や腱も、もう潰れているのだろう。

 安田がその肩にナイフを入れると多少の抵抗はあるが、腕は肩から外れた。

 すぐ様、三重にしたビニール袋に腕を入れ作業は完了だ。

「す、すみません。

 結局やってもらっちゃって」

 情けねえヤクザだ。

 震えて死体から腕の一本を切ることもできねえ。

 そう心の中に湧き上がる黒いものをぐっと堪えた。

 安田もはんば、ヤケクソだった。

「ついでだ」

 昨日、自分でへし折った首にナイフをかけた。

「な、なにしてんすか」

 まるで快楽殺人者にでもなったように、安田は笑って言った。

「首が邪魔で冷蔵庫におさまらねえんだよ」

 首はいとも簡単に、体と離れ離れになった。


 二人は全てを片付けタカシの車に積み込んだ。

 まだ興奮は覚めずとも、若干の安堵に包まれた。

「タカシ、浩平に言っといてくれるか」

 安田は仕事後のタバコをふかしながら言った。

「あんまり永くは保管できねえから、早く取りに来てほしいってさ」

「伝えときます」

「それと、さっきも言ったけどさ。

 お前ヤクザ辞めろよ。

 ちゃんと杯もらってんのか」

「いえ、まだ正式には」

「じゃあ良い機会だと思ってやめとけ」

「簡単に抜けれませんよ」

「バックれちまえば良いだろ」

 タカシは屈託のない笑顔を見せた。

「浩平さんが聞いたら、怒られますよ」

 安田もそれを聞いて笑った。

「チクんじゃねえぞ」


 タカシが去ってから、安田はまだ一人タバコをふかした。

 あの死体は抗争の相手だ。

 昨今、ヤクザの抗争なんて大っぴらにできることじゃない。

 もう少し、もう少し待てばあの死体は消える。

 そうしたらもうヤクザと関わるのはやめだ。

 何ならこの祭儀場から逃げたって良い。

 こんなリスクの高いこと、これ以上は付き合っていられない。


 後は待つだけ。

 良からぬ客が帰っていくのを、ただ待つだけだ。

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