第4話 新規客
その夜、安田は浩平から渡された三万円を持ち行きつけのスナック、ピーチで飲むことにした。
いつもより少し良い酒を頼むとママが安田を茶化すように言った。
「あら、今日は勝ったのね」
「うるせえよ、静かに飲ませろ」
ママに悪態をつきグラスを傾けるが、まったく味がしなかった。
緊張から貧乏ゆすりが止まらない。
「ねえどうしたの、顔色悪いよ」
ママは心配そうに聞いた。
「うるせえっての」
静かにそれをあしらい、またグラスを傾けた。
少し酔いが回ってきた頃、安田はあることを思い出した。
この店のママは高田組の男と出来ていたのだ。
「なあママ、ここって高田さんの店だったのよな」
ママは他の客の目を気にして店内を見渡し、小さな声で言った。
「そうだけど、あんまり大きな声で言わないでよ」
「ああ、すまん」
ママはタバコに火を付け、ふうっと大きく煙を吐き出した。
「やっぱり、高田さんは、その、危ねえのか」
「そうねえ、ヤクザだからね」
「ママに言うことじゃねえかもしれないけど、関わらない方が良いよな」
ママはにっこりと、意地悪に笑った。
「何か揉めたのかしら」
安田は慌てて首を振った。
「いや、そうじゃねえよ、ちょっと、気になっただけだよ」
「ふうん」
ママはもう一度、大きく煙を吐き出し真面目な顔で言った。
「変な詮索しない方がいいよ、どこに耳があるか分からないし」
安田は固唾を酒と共に喉の奥に流し込んだ。
帰ってからも少しの酔いはあるが寝付けず、
珍しくも朝の定時時刻に祭儀場へと向かった。
まだ早いうちから伊藤は外の掃除をしていて、安田の姿を見て嬉しそうに笑った。
「安田さん、今日は早いじゃないですか」
「ああ、館長。おはようございます」
安田はそそくさと横を抜け、ロビーを通ると牧野が挨拶をしてきた。
「おはようございます」
牧野は今、自分が挨拶をしたのが安田だと気がつき驚いた。
「今日は、早いです、ね」
だが伊藤も牧野も、今のは煩わしいだけだった。
軽く返事だけをしてそそくさと安置室に逃げ込んだ。
何とも時間の過ぎるのが永い。
五分置きに時計を見てはため息がもれる。
考えることは多すぎた、ヤクザに関わること、危ない橋を渡りかけていること。
同時に、何か甘い蜜が吸えること。
何にせよ情報が少なく考えはまとまらない。
いや、もう手付けの三万円は腹の中に入ってしまっている。
今更、止めるとは言えない状況に立っているのだ。
五時、六時、七時。
まるで一分が一時間のように時間は永くなる。
相手はヤクザだ、結局ここには来ないかもしれない。
だが万が一、自分が居ない時に来たらどうなるか分からない。
イライラが募るばかりだが、今日ばかりは客に憂さ晴らしをする余裕も無かった。
時計が十時を回った頃。
やっと足音が聞こえてきた。
急に鼓動が高鳴り、手や足が震えだす。
現れた浩平はにっこりと微笑み安田の肩を叩いた。
「おう安田ちゃん、待たせたな」
その後ろから着いてくるまだ若い二人の男は毛布で来るんだ何かを担いでいた。
安田はそれを見ないように目を背けた。
見なくても分かる、中身は間違いなく客だ。
「安田、どこが空いてんだ」
安田は目を伏せたままで言った。
「三号から六号までは空いてます」
浩平はそれらのドアを開けると中が空なのを確認した。
それから七号と八号に目をやった。
「身元不明って、何なんこれ」
「いや、よく知らないですが、警察との兼ね合いらしいです」
迂闊に警察という単語を使ったことに冷や汗が出た。
恐怖のあまり、浩平を見ることができなかった。
「安田、ちょっとタバコでも吸って来いよ」
安田は無理やりに外に出され、ロビーの横でタバコを吸うことにした。
やはり、神田や浩平は死体の隠し場所にここを選んだのだ。
母の遺体を安置に来た時、浩平が目をつけたのだろう。
だが不可解な点もある。
ヤクザなのだから、殺した相手はさっさと処分してしまえば良いはずだ。
それなのにどうしてわざわざ自分に金を払ってまでここに隠すのだろう。
噂話だと思っていたが、やはり臓器売買の何かなのか。
客が見つかるまでここに隠すのか。
考えれば考えるほど、危ない臭いばかり漂ってくる。
「浩平さんが呼んでます」
二人の若い男が安田に声をかけてきた。
重い足取りで安置室に戻った。
「安田、確認なんだけどよ。
ここはお前が好きにできるだよな」
「はい、まあ、管理者ですから」
「誰も中を見ることはねえんだな」
安田は少しばかり笑って言った。
「見せませんよ、お互いにヤバいんでしょう」
浩平はケラケラと笑い、また安田の肩に手をかけた。
「わかってんじゃん、頼むぜ」
バシバシと肩を叩く浩平に、安田も笑顔を返した。
「これ、持っとけ」
浩平は安田にスマホを手渡した。
「かけるんじゃねえぞ。
こっちから鳴らしたらすぐに出ろよ」
ただただ安田は頷いた。
「それと」
浩平はポケットから封筒を取り出し、安田に手渡した。
「また美味いもんでも食えよ」
その厚みに安田の心は高鳴った。
恐らく二、三十万は堅い。
「じゃあまた電話するからな」
安田は帰ろうとした浩平を呼び止めた。
「あの、浩平さん」
浩平は振り返り冷酷な目で安田を見た。
「その、どこに、入れましたか」
浩平は気に入らなそうに安田を睨んだ。
「四号だよ、だったら何だ」
安田は冷蔵庫の横、電源盤の蓋を開けると四号の冷房スイッチをオンにした。
ランプの点灯を確認してから言う。
「電源入れないと、腐っちゃいますから」
浩平は少し驚いた後で大笑いして言った。
「そうかそうか、お前、なかなか話がわかるじゃねえか」
「ええ、まあ」
「じゃあまあ、よろしくな」
また安田の肩を叩き、浩平は部屋を後にした。
浩平達の気配が完全に消えてから、安田は四号から漂う雰囲気に手が震えた。
どうしても気になって仕方がない。
あれこれと考えたのは思い過ごしで、もしかしたらこの中には薬物だとか、銃だとか、そういう物を隠しただけかもしれない。
恐る恐る、四号のノブに手をかける。
冷蔵庫の振動が確かに手に伝わった。
何度も開け閉めをしたこのドアが今はやけに重く感じる。
意を決し、ドアを開けてみた。
やはり、そこには死体が押し込まれていた。
一瞬、目を背けた。
だがやはり確認したい衝動が止まらない。
ここでは遺体は足から入れるのが慣習だった、ドアを開けたらすぐに頭が見える状態だ。
だがその死体はまず足が見えた。
赤く、乾いた血に染まった足だった。
ベットの足に器具を取り付け、スライドさせれば死体は外に出てくる。
これも、改めて浩平に教えた方が良いだろう。
ドアの周りや蓋に明らかに血が擦った痕がついていたのだ。
出し入れの仕方を知らない奴らが無理やり押し込んだのだろう。
ゆっくり、ゆっくりと死体を外に引っ張り出す。
カバーも何も掛けていない、丸裸の男だ。
これまで、安田はいくつもの遺体を目にしてきた。
病死の遺体なんてもう見慣れている、顔が浮腫んでいるとか、色がおかしいとかはあってもそれだけのこと。
キツイのは事故なんかに巻き込まれた遺体だ。
手足が無い、腹が裂けている、顔が潰れているような遺体もある。
若干は慣れてきているが、やはり原型を留めていない遺体は見るに耐えないものがある。
それを気にしながら目の前の死体に目をやるも、これまでに見たことがない状態だった。
この男も恐らくはヤクザだ、腕や肩に派手な刺青がある。
だが注意するべきはそこではない。
あちこちに痣や切り傷がある。
足なんかは少し変な方に曲がっている。
そして全身が歪に腫れ上がっている。
胸の辺り、竜だか蛇だか知らないがそれが異様にぼこぼこ波打っていた。
そこで冷蔵庫の奥を覗いてみる、そこからでも分かるほどに顔が大きく見えた。
間違いない、これはリンチされた後の死体だ。
長時間、大人数から執拗に暴行を受けた死体だ。
いや、リンチなんて生温いのかもしれない。
これは拷問を受けた死体だ。
安田は乱暴に死体を奥に押し込んだ。
神など信じないながらもつい心の中で呟いてしまう。
触らぬ神に祟り無し、と。
これは荷物だ。
生モノの、ただの荷物だ。
保冷の為にここの冷蔵庫を貸しているだけだ。
そう、それで良い。
自分には関係は無いのだから。
ドアを閉め、一つ息をつく。
すると心の中に歓喜が現れ始めた。
後ろポケットに無造作に押し込んだ封筒の厚みが嬉しくて仕方ない。
何もしていない、ただ目を閉じているだけで月給程の金が手に入ったのだ。
これをどう使うか考えるだけで顔がニヤけてしまう。
美味い酒を飲むのも良い。
良い女を買うのも良い。
借金の返済も良いだろう。
安田はもう一度、四号のドアを開けた。
そして微笑み中の死体に言った。
「死んでくれてありがとうよ、お陰で儲かったよ」
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