第3話 来訪者

この日、安田は昼過ぎに祭儀場に現れるとロビーに立つ若い女性職員、牧野に卑猥な冗談を言った。

だがそれもいつものこと。

牧野は返事もせず、一瞥もくれず安田を居ないものと扱った。

普段なら悪態の一つ二つでも吐くが、今日の安田は上機嫌だ。

前日の競馬で少し儲けたので高い酒を飲み、女を買い、昨夜は明け方近くまでそれを満喫していた。

その余韻は覚めやらず、昨夜を思い出しては幸せそうにニヤニヤと思い出し笑いをしていた。


安置室に入るとホワイトボードに目が止まった。

そこに伊藤の字で書き置きがある。

「一時 一名 三時半 一名」

時計は既に一時半、冷蔵庫に目をやると覚えのない三号のランプが点灯していた。

いつからか節電の為、使っていない冷蔵庫は電源を切ってあり、使用中の冷蔵庫は外からでもすぐにわかる状態だった。

その三号のドアにはプレートがかかっていた。

「大高孝之様」

安田はそのドアを開けると中の遺体をまじまじと眺めながら言った。

「糞ジジイか、俺様に黙ってチェックインしやがって」

ぶつくさと言いながらその頭を叩くとこれが良い音がする。

パシン、パシン、安田は何度もその頭を叩きながら言った。

「おいジジイ、俺がここの支配人だぞ」

勿論、遺体が返事をすることは無い。

「ジジイめ、シカトかこの野郎」

それもすぐに飽き、ドアを乱暴に閉めると独り言を続けた。

「まあいい、昨日の女は良かったからな、機嫌が良いから許してやるよ」

そしていつもの椅子に座り、競馬新聞を開いた。


そうしてレースの予想をしていると時間はすぐに経つ。

時計を見るのも忘れて夢中になっていると安置室の内線電話が鳴り、小さく舌打ちをすると面倒くさそうに受話器を取った。

「へいへい、安置室」

「これから一枚様、入られます」

電話越し、牧野は安田への軽蔑を包み隠さず、その声は嫌悪に満ちていた。

だが安田はそんなことは少しも気にせず牧野にこう聞いた。

「どっちだ」

牧野には安田の質問の意味がまったく理解できなかった。

「何がですか」

困惑する様子を察してか、安田の口元が卑しく緩んだ。

「男か女かどっちだって聞いてんだよ」

電話越しに大きなため息が響いた。

「女性ですが、何か関係あるんですか」

段々と怒りがこもるその声に、安田はとうとう笑いながら言う。

「若いか、良い女か」

牧野は何も答えず、乱暴に電話を切ってしまった。


それから少しして、ロビーの方から足音が聞こえてきた。

安置室に入ってきたのはベッドを押す牧野、そこに横たわる老婆。

付き添いに居たのは明らかにヤクザかその関係者と思われる柄の悪い男だった。

悲しい顔をするでも無い、そればかりか面倒だと態度で語りつつ、片手をポケットに手を入れたままもう片手でスマートホンを触りながら男は部屋に入ってきた。

「お母様ですが、明日の通夜までこちらに安置を...」

牧野が説明を始めると男のスマートホンが鳴った。

「ああもしもし、俺ですけど」

牧野も安田も見えていないように男は大きな声で電話を始めてしまった。

「ええ、今葬儀屋です。

 はい、はい。

 母親っても義理ですからね。

 香典に期待するしかないですわ」

男は大きな声で笑いながら話をし、少しして電話を切った。

それを見計らい、牧野が口を開いた。

「えっと、それでですね、お母様ですが」

「なんだって」

「あ、その、お母様ですが、こちらで明日の通夜まで安置を...」

返事一つがまるで恫喝のようで、牧野の声は少し震えていた。

それから男は牧野の話を聞いているのかいないのか、徐に安置室に入ると冷蔵庫の前で足を止めた。

「何これ、冷蔵庫かよ」

安田も牧野も、ただ小さくうなずいた。

それから男は三号のドアを見て職員に聞いた。

「大高なんとか。

 何これ、死体入ってんのか」

二人がはっと気がつき口を開く前に男はそのドアを開けた。

「あ、あの、ちょっと」

牧野は静止をすることもできず、何とかしてくれと訴える目で安田を見た。

「このじいさん何で死んだの」

男は交互に二人を見たが、牧野は目を伏せている。

目があった安田が仕方なく、恐る恐る口を開いた。

「わ、私達はそういうのは聞かされないんで」

男は少し安田を睨むも「ふーん」と興味を失ったようにドアを閉めた。

「では、控室の方で今後の説明を...」

「ババア入れるんじゃねえのか」

牧野の言葉を遮り、男は母が乗るベッドの足を軽く蹴り、まるで荷物をしまうかのように軽く言った。

牧野はまた困った目で安田を見た。

安田は精一杯、敵意の無い声で男に言う。

「こちらでやっておきますから、どうぞ、上に」

男は小さくうなずき、ニヤリと笑った。

「おう、キンキンに冷やしてやってくれや」

大きな声で笑い、牧野と共にロビーの方に歩いて行った。

足音が遠ざかり、一息ついた安田はベッドの上の老婆に言った。

「ったく、どんな育て方すればあんなロクデナシに育つんだよ」

大きくため息をつき、四号のドアを開け老婆をそこに押し込んだ。

「あんな社会のゴミを育てたんだ、お前も地獄行きだな」



明くる日、安田は安置室で居眠りをしていた。

もう時計は六時を指す頃、今日は遺体の出し入れは全て済んでいる。

ハッと目が覚めうんと大きく背伸びをした後、家に帰ろうと身支度を始めた。

するとロビーの方から足音が聞こえてきた。

聞き覚えのない二人の足音だ。

こんな時間にこんな場所に誰だろう。

「こっちです」

現れたのは昨日の柄の悪い男と後ろには貫禄のあるもう一人の男がいた。

二人はずかずかと安置室に入ってくると安田に気がついた。

「お前、昨日もいたな」

男は安田をギロリと睨み、品定めをするように全身を睨め回した。

「な、何ですか、何か用ですか」

一歩後退り、恐る恐る安田は尋ねた。

だが二人の男は安田を無視したまま、会話を続けた。

「どうです、ここなら丁度いいと思うんですよね」

貫禄のある男は冷蔵庫のドアを適当に開け閉めすると中の具合を確かめた。

「裏口もあるみたいなんで、そこからなら人目もないですよ」

男は嬉しそうに言葉を続けた。

「何なんですか、貴方達は、何ですか」

安田は強い口調で二人に問い詰めた。

自分のホテルにずかずかと入ってくる二人に若干の怒りを覚えたのだ。

貫禄のある男が安田をジロリと見た時、安田は男の胸に付いているバッチに気がついた。

それなりに裏社会に近い遊びをしている安田にはそれが何かすぐわかった。

この近辺をシマとする高田組のバッチだ。


高田組は三次団体ながらその規模は大きく、また武闘派で名が知れている。

そればかりか薬物売買も、臓器売買にまで関与しているとの噂もある。

こんな昨今でも敵対組織と激しく抗争を繰り返す、そんな凶悪極まりない組織だった。

二人のやりとりを見て安田は察知する。

柄の悪い男はそこの組員で、貫禄のある男は幹部クラスの人間だ。

その眼光の鋭さに急に足が震えだす。

「お前は何だ」

幹部は安田に小さく詰め寄った。

「私は、ここの管理者です、た、高田組さんですか」

安田はふと自身の借金の取り立てかと思ったがどうやらそうではない。

この二人は安置室に用があってきているようだ。

「高田組本部長の神田さんだ」

柄の悪い男は自身の上役の名を安田に告げた。

最悪だ。

この街の不良でその名を知らない奴はいないと言えるほどの大物だった。

「浩平」

柄の悪い男は浩平と呼ばれた。

神田は目を細め、静かな口調で浩平に言った。

「お前、ここには誰も居ないと言わなかったか」

その迫力に浩平は口を開けたまま顔を引きつらせた。

「あ、いえ、その」

浩平の怯え方から神田の恐ろしさがひしひしと伝わってくる。

安田は手ばかりか口までも震えてきた。

「まあいい。

 おいお前、名前は」

神田は安田に詰め寄った。

「や、安田です」

「安田か、ここの管理者と言ったな」

「はい、そうです」

「じゃあここはお前の好きにできるのか」

神田の質問に戸惑いながらも、安田は小さくうなずいた。

それから神田はゆっくり部屋の外に出るとその場でタバコを咥え、浩平に何か目配せをした。

すると浩平は安田に歩み寄り肩を組み、耳元で愛想良く話し始めた。

「なあ、お前、話は分かる方か」

「え、な、何がですか」

「実はよ、隠したいもんがあんだよ」

「隠したい物、ですか」

「おう、それにここはピッタリでな」

「な、何ですか」

「何がだよ」

「隠したい物って、何ですか」

そう聞きながらも、うすうすそれが何かは分かっていた。

浩平はグッと安田の肩を引き寄せ言った。

「それを聞いたらもう引けねえぞ」


「ま、待ってくださいよ、そんな、急に」

安田は浩平の手を振りほどき首を振った。

浩平は笑みを消し、眉間に皺を寄せると安田を睨みつけた。

「なあ、小遣い稼ぎてえだろ」

「えっ」

「黙って管理しろよ、管理者なんだろ」

「いや、そう言われても」

「お前は何も知らねえ、俺達と会ったこともねえ、良いな」

その目は拒否を許さない鋭いものだった。

安田はただ、頷くしかできなかった。

浩平は財布を取り出すと一万円札を三枚、安田のポケットにねじ込んだ。

「まあ今日はこれで美味いもんでも食えよ」

安田の返事も待たず、浩平は神田の側に行くと何かを耳打ちされた。

「おい安田、明日の夜にここに居ろ」

「夜って、何時頃ですか」

「うるせえよ、ここに居ろ、良いな」

そう言うと二人はこの場を後にしてしまった。


ポケットの中の万札を握り締めながら安田は震えを抑えた。

どう考えても危ない話だ。

だが、惨めにもこの万札を喜んでいる自分もいた。

その喜びが安田の頭の中を惑わせる。

これはもしかしたら稼げる話に噛めたのかもしれない。

興奮と緊張とが混ざり合い、安田の心臓は激しく暴れていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る