第2話 カプセルホテルの支配人
都心を外れた郊外。
決して田舎ではないその街には少し大きな葬祭場があった。
毎日、忙しく多くの人が出入りをし、それに伴い多くの感情が渦巻く場所だ。
毎日いくつの涙がここで流れるのだろう。
涙だけではない、怒りや絶望、中には喜びを溢れされる者もいるかもしれない。
玄関ホールの前、出棺に付き添う多くの人が悲痛な表情を浮かべていた。
まだ小さな子の写真を抱え、色の無い表情をした父はせめてもと気丈に振る舞い、参列者に何度も何度も頭を下げている。
その隣、母は絶望に満ち満ちた涙を枯れんばかりに流し、親類や友に支えられてやっと立っていられる状態だった。
毎日のようにこんな光景を見ている職員達も流石にこの日ばかりは心に来るものがあったのだろう。
若い新入りの女性職員はまるで身内の式に参列しているかのよう、その目にうっすらと涙を浮かべていた。
それを見て隣に並ぶベテランの男性職員は彼女にこう言った。
「これは仕事だ、私情を挟んではいけない」
冷酷に聞こえるだろう。
だが職員は更に言葉を続けた。
「でも、その気持ちを忘れるんじゃないぞ」
段々と遠ざかる霊柩車を目で追いながら、彼女は強く頷いた。
ここは、沢山の思いが渦巻きすぎる場所だ。
そこにフラフラと、酒の臭いをさせながら一人の男が歩いて来た。
その男はまだ挨拶を続ける参列者の一人にぶつかり、舌打ちをして睨みつけた。
それを見て男性職員は慌てて男に駆け寄り、小さくも強い口調で耳打ちをする。
「安田さん、何をしているんですか」
安田はけっ、と参列者を睨みながら職員に元気良く声をかけた。
「おう木田ちゃん、あれか、ガキの出棺か」
あまりにデリカシーの無い大声に職員は安田の手を引っ張り、ロビーの中へと押し込んだ。
「良い加減にしてくださいよ。
って、酒臭いですよ安田さん」
職員はポケットから清涼飴を取り出し、無理やりに安田の口へと押し込んだ。
「本当に、しっかりしてくださいよ」
「へえへえ、わかってますよ」
安田は適当に返事をするとぶっきらぼうに手を上げてロビーの奥へと進んでいった。
その背を見ながら、女性職員は嫌悪に満ちた顔で男性職員へ尋ねる。
「何なんですか、あの人」
男性職員は呆れ返った様子でため息をついた。
「君はまだ入りたてだったな」
「はい」
「彼はうちの古株なんだけどね、まあ、来場者の目につかないように君も気をつけてほしい」
女性職員は不思議そうな顔をしながらも、男性職員を気遣ってあまり多くは聞かなかった。
ロビーを抜けた奥。
エレベーターホールを更に抜け、あまり人が寄り付かないその場所に安田の部屋がある。
何の標識も案内板もないその場所は「遺体安置室」。
弔われる者が束の間、その身を保護する為の冷蔵庫が並ぶ部屋だ。
横に四列、縦に二列、都合八台の冷蔵庫が低く唸りながらそこに並んでいる。
安田はこの葬祭場の「安置室管理者」というポジションの男だ。
まだ若い頃、大学を中退したばかりの安田は「人の心」を持っていた。
こんな自分でも何か人の役に立ちたい、そう思い辿り着いたのがこの祭儀場だった。
何度か涙を流したこともある。
時に遺族や参列者に怒りを覚えたこともある、だが日々、繰り返す弔いに安田の心は疲弊した。
人の為に泣き、人の為に怒り、人の為に働くことに疲れた時、安田の心は無機質なものに変わっていった。
段々と粗末になる職務態度に真っ先に怒ったのは死者の遺族だった。
それに続き、同僚達も安田への怒りをあらわにし始めた。
次第に閑職に追いやられて行った安田はとうとう、この部屋に追いやられてしまった。
なるべく人の目につかない、居ても居なくても構わない名ばかりの安置室管理者だ。
だが、当の安田はそれを気にもしなかった。
堂々と昼寝ができるこの役職に満足していたのだ。
暇を持て余した安田はこの部屋の作りを見て不謹慎にもこう思った。
「まるでここはカプセルホテルようだ」
そして
「俺はこのホテルの支配人だ」と。
安置室の隅、自身で持ち込んだ椅子にどっと腰掛けると大きくため息をついた。
酒がまだ抜けない、酷く頭が痛むのだ。
割れそうな頭で思い返すのは昨夜のパチンコ。
自分が台を移ってすぐ、そこに座ったババアが大当たりを引きやがった。ライターでも置いておいてそこは俺の台だと蹴飛ばしてやれば昨夜はもっとうまい酒を飲めたのに。
悔しくて悔しくて仕方がない。
そんな鬱憤を安田はいつも「客」達にぶつけていた。
上の段、左から右に一から四。
下の段、同じく五から八。
現在ここには五人の客が宿泊していた。
ゆっくり立ち上がった安田は八号室の扉に手をかける。
「身元不明 平成29年5月21日」
その扉を開けると、名も分からないその遺体に安田は声をかけた。
「今日もしけたツラしてやがるなあ、おい」
当然、客は返事をすることもない。
扉を乱暴に閉め、八号室の上の四号室。
「身元不明 平成30年1月19日」
その扉を開けるとまた安田は中の遺体に声をかけた。
「てめえも、しみったれたツラだなあ」
遺体をぼうっと眺めながら、安田は言葉を続けた。
「どうせ寝てるだけなんだからな、お前なんて下に押し込んでダブルにしちまえば良いんだよ」
そう一人でけらけらと笑った。
それから目を向けたのは三号室。
「北野詩織様」
そのドアをノックし、ニヤケながらそのドアを開けた。
「お客さん、あけますよ」
中に眠るのはまだ若い女性の遺体、急な心臓の発作で急逝したそうだ。
今夜の通夜の段取りまでここで安置されている。
「へへ、うちには珍しい良い女だな」
呟きながら安田はその遺体の胸を揉んだ。
「良い女も、こうなっちまったら形無しだな」
冷たく固くなってしまった遺体に安田は満足をしなかった。
改めて椅子に座ると持ち込んだ風俗雑誌を開きニヤニヤとそれを眺めて呟く。
「死んじまったらよ、ブスよりも役に立たねえよ詩織ちゃん」
こうして安置されている遺体で遊ぶのがいつもの安田の日課になっていた。
遺体遊びに飽き、机に足を投げ出し雑誌を読んでいるとロビーの方から人の気配がした。
安田はまるで死刑囚のように足跡に敏感で、それが誰なのか分かることが多い。
その足音に、安田は雑誌を隠し足を下ろすと少し姿勢を正した。
「おはよう」
現れたのは祭儀場の館長、伊藤だった。
「おはようございます」
流石の館長には安田も頭が上がらず、それなりの態度で接するしかない。
「三時頃、中央病院から一名いらっしゃるから、準備をお願いしますね」
「はい、わかりました」
こうして伊藤は遺体が来るとき、必ず前もって安田にそれを告げにくる。
その真意は定かではない。
来場者の前ではしっかりしろと言いたいのか、伊藤なりに安田に使命感を与えたいのか、はたまた何かの意図があるのか。
何にせよ、安田は伊藤の深い思いに気がついていたため、それなりの敬意を払っていた。
そしてもう一つ、安田は伊藤に対して絶対に頭が上がらない理由がある。
「あの、伊藤さん」
申し訳なさそうに切り出す安田に、伊藤はその続きの言葉をすぐに察した。
「良いですよ、余裕のある時に返してください」
「はい、す、すんません」
伊藤は小さく笑うと安置室を出てロビーの奥に消えていった。
二年ほど前、安田は闇金で借りた金を返すことが出来ず、取り立てが祭儀場まで来たことがある。
その時に安田の借金、八十万円を伊藤は立て替えてくれたのだ。
毎月五万円づつ、十六ヶ月で返す予定だったその借金はまだ半分も返せていない。
それを咎めるでもなく、閑職の安田をクビにするでもなく、こうして見守る伊藤に安田は多大な恩を感じていたのだ。
伊藤に借金を返せない理由は簡単だ。
安田には新たに七十万円の借金がある。
その返済に日々追われ、とても伊藤に返済する余裕なんて無かった。
そんな崖っぷちの安田はふと、思うことがある。
このカプセルホテルに自分が入っているならこんなことも考えなくて良い。
何の誇りもないこんな人生、さっさと終わってしまえばいい。
だが死ぬ勇気も無い。
決意を新たに日々を改善する気も無い。
ただただ虚無に、毎日を惰性で過ごすばかりだ。
このカプセルホテルに自分が入れたならば。
だが、俺はこのカプセルホテルの支配人。
今日も出入りする客をただただ見送るばかりなのだ。
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