第24話 背信

 山を降りる途中、ハルトマンは何度も同じことを口にしていた。


「未だに震えが止まりませんよ。これは歴史に名が残る大事件です。そんな現場に立ち会えて本当に幸せだなあ。これで僕の作る詩は大反響間違いなしです」


「それは良かったな……」


 最初は大袈裟だと、思っていたスレインだったが、不意に気づいたことがあった。もし今日のことがハルトマンの詩を通じて世間に知られることになったら、ルカの王位継承はどうなるのだろうか? 当然、敵前逃亡したことも明らかになり、次期国王への信頼も大きく下がることだろう。


 しかし、そんなことスレインにとってはもはや知ったことではなかった。それよりも大きな面倒事を二つも抱えているのだ。


 一つはガヴァンのこと。命が助かったことは良かったとはいえ、代わりに余計なものを背負い込んでしまった。あの場では半ば勢いで王国とドラゴンの仲裁をすると約束してしまったが、まったく方法が思い浮かばなかった。明らかに傭兵稼業の範囲を超えてしまっている。しかしドラゴンとの約束をすぐさま反故にしようとも思わなかった。たとえドラゴンでも忠誠を誓ってくれたのだ。簡単には裏切れない。


 そして忘れていけないことは借金返済。ルカから残りの報酬を得ることはもう期待できないだろうし、催促するつもりも顔を合わせるつもりもない。早急に新しい金策を練らなければ、黒剣も含めて、先祖伝来の品々が残らず質流れしてしまう。ところで万が一、そのようなことになったら、ガヴァンの新しい主人は質屋の店主ということになるのだろうか? それはドラゴンにとっても名誉とは言えないだろう……。


 いろいろ考えを巡らせているうちに夜は明け、砦が見えてきた。まずはオーガスティンとドラゴンに関する話をつけるため、スレインは砦に向かった。城門前にいた兵士に話をすると、将軍からすぐに会いたいと返事が貰えた。


 スレインとハルトマンがオーガスティンの執務室に入ると、彼はニヤニヤと品の悪い笑みを浮かべていた。


「まさか本当に一人でドラゴンのところへ行ったとは驚きだ。で、その様子だと、すぐに逃げ帰ってきたようだな」


 スレインは落ち着いた口調で言った。「いや、ドラゴンに会って話をつけてきた。もうこの荘園を襲わないと約束してくれたよ」


「話をした?」オーガスティンは笑いが堪えきれない様子で、口元を抑えた。「漆黒。ドラゴンへの恐怖で頭がどうにかなっちまったんじゃないのか?」


「いいえ将軍。彼の言うことは本当です。僕も二人の会話を聞きました」


 と、ハルトマンが言うと、オーガスティンはうっとおしそうな目で彼を見た。


「俺をからかっているのなら、誰であろうと今すぐ牢屋に打ち込むぞ」


「だったら、これでどうだ」


 スレインは懐から、大人の掌ほどもある大きな鱗を取り出した。


「これは……」


「ドラゴンの鱗だ。俺の話が本当だって信じてもらうために、帰り際にドラゴンから一枚貰ったんだ」


 オーガスティンは身を乗り出して、鱗に顔をぐっと近づけたが、すぐに「ふんっ」と鼻で笑いながら席に座った。


「そんなの、証拠になるか。山で落ちてたのを拾っただけだろ」


「ちゃんと見てください」ハルトマンが言った。「抜け落ちたのを拾っただけなら、こんなに真新しいわけないでしょ」


「それに、俺がこんなところで、すぐバレるような嘘をついてどうする?」


 しばらくの間、オーガスティンは考え込むように小さく唸りながら、スレインとハルトマンと鱗へ交互に視線を向けていたが、やがて口を開いた。


「……まさか、本当にドラゴンと話をつけて来たのか?」


「そうだ」スレインは頷いた。「それで、いくつかお前に訊きたいことがある」


「でもその前に、私もお前に用事がある」


 オーガスティンは手元にあったベルを力一杯鳴らした。すると突然、執務室の扉が開いて、槍や剣を持った兵士たちが雪崩れ込んできて、スレインたちを取り囲んだ。


「おいっ、これはどういうつもりだ?」


 すると、スレインたちの背後から、聞き慣れた不快な声が聞こえてきた。


「ご苦労だった、漆黒」


 廊下には兵士たちに守られたルカが立っていた。


「ルカ……、どうしてお前がここに。お嬢様たちと逃げたんじゃないのか?」


「逃げた? 人聞きの悪いことを言わないでくれ給え。僕は愛に生きるため、オリビアと駆け落ちしただけだ」


「それを逃げたというんじゃ……」


 ハルトマンの突っ込みを無視して、ルカは続けた。


「でもやはりこの体に流れる王家の血に逆らうことはできなかった。ドラゴンを討伐し苦しむ臣民たちを開放するため、この砦に戻ってきたのさ」


「途中で道に迷って、泣きながら戻って来たくせに……」オーガスティンのつぶやき声が聞こえた。


「何か言ったか、オーガスティン?」


 オーガスティンは激しく左右に首を振った。「なっ、何でもありません。王子殿下の立派な志に、涙で打ち震えておりました」


「なら結構」ルカは再びスレインに視線を戻した。「でも砦に戻ってきたら、君がドラゴン退治に山を登ったというじゃないか。もしやと思い待っていたら……、さすが僕が見込んだだけのことはある。ドラゴンと話し合いで決着をつけるのは予想外だったが」


「お前との契約は果たした。さっさと残りの報酬を払ってここから出してくれ」


「そういうわけにはいかないな。このことを世間に言い触らされるわけにはいかないんだ。ドラゴンを屈服させたのはこの僕でなければ、国王に認めてもらえないからね」


「誰にも言わない。だから解放してくれ」


「信用できないな、特に隣の男は」


 ルカの視線が向けられたハルトマンはびくりと肩を震わせた。


「決して口外いたしません、王子様」


 ルカは鼻を鳴らすと、オーガスティンに向かって言った。


「こいつらを牢にぶち込んで、二度と口がきけないようにしろ」


「承知いたしました、王子殿下」


「おい、ルカ!」スレインは背中を向けたルカに叫んだ。「まさかお前、最初からこうするつもりだったのか?」


「人聞きの悪いことを言わないでくれ給え」ルカは冷酷な笑みを浮かべた。「君たちを捕まえたのは王家への反逆の意図がみられたからだよ。なあ、オーガスティン?」


「その通りでございます、王子殿下」


「というわけだ。ご機嫌よう、かつての士官学校の同期。君の働きは決して忘れないよ」


 高笑いとともに、ルカは去っていった。

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