第23話 対決
スレインは怒りに任せて岩だらけの山道を進んだ。陽が沈む頃、山の中腹で人間の身長の数倍も大きな洞穴を見つけた。奥からは「ズーズー」とただの獣とは思えない大きな寝息が響いてくる。ここがドラゴンの巣に違いない。
「と、とうとう来ましたね」ハルトマンが興奮気味に言った。
「ああ」スレインは腰から剣を抜いた。
「何か、作戦はあるんですか?」
「特にない」
兵士がたくさんいたら、作戦の練りようもあるだろう。しかし一人では取れる手にも限度がある。幸い、相手は現在熟睡中のようだ。寝込みを襲えば奇跡もあり得る。戦士としては褒められた戦い方ではないが、怒りの一太刀を浴びせるために手段は選んでいられない。
スレインは姿勢を低くし、慎重に洞穴へ足を踏み入れた。一歩進むごとに寝息はどんどん大きくなっていく。暗闇のなから出し抜けにドラゴンの鼻先が現れた。鼻の穴から出される生暖かい息にスレインのコートが激しくはためいた。ハルトマンも飛ばされまいと土壁にしがみついた。
「すごい鼻息……、それにひどい匂い」ハルトマンは鼻をつまんだ。
「シーッ!」
スレインはハルトマンを黙らせると、黒剣を構えつつドラゴンに近づいた。噂によれば喉元がドラゴンの弱点だという。そこは比較的鱗も柔らかく太い血管も通っていて、一突きできれば大きなダメージを与えることができる。
ゴツゴツした鱗に覆われた顔の横を通り過ぎ、ついに喉までやってきた。呼吸に合わせて皮膚がぶるぶると震えている。スレインは剣の切っ先をドラゴンの喉へ向けた。
と、その時、
「へっ、ぐしゅんっ!」
ハルトマンが盛大なくしゃみをした。次の瞬間、ドラゴンの大きな目がかっと見開かれ、喉を狙うスレインの姿を捉えた。
「まずい、逃げろ!」
スレインは洞穴の外へ向かって走り出した。そして、後に続くハルトマンに向かって叫んだ。
「お前、なに古典的なことやらかしてるんだ!」
「しようがないじゃないですか。あの中の匂いにとても耐えられなかったんです。まあ、様式美ってやつですよ」
「訳わからねえこと言うんじゃねえ」
スレインたちは洞穴を抜け出したが、二人を追ってドラゴンも洞穴から姿を現した。人間の身長の何倍もある巨大な蝙蝠のような翼を左右に広げ、星々が輝き始めた夜空に向かって雄叫びを上げた。凄まじい大音声に空気と地面が揺れ、ハルトマンが転倒してしまった。スレインはしゃがんで彼の体を担ぎ起こそうとしたが、ハルトマンは再び尻餅をついてしまった。
「おい、しっかりしろ」
ハルトマンは目に涙を浮かべ、全身を震わせた。「だっ、だめです……。こ、腰が抜けてしまいました」
「だから来るなと言ったのに……」
「ぼ、僕のことは置いて、スレインさんだけでも逃げてください」
「そんなことできるか」
スレインはハルトマンの前に立ち、剣を構え直した。黒い鱗に覆われたドラゴンが両眼をギラつかせて迫ってくる。スレインはどこかに隙はないかと必死に視線を走らせたが、相手はあまりに巨大で剣が届く前に焼き殺されてしまうだろう。だがなんとしてもハルトマンだけは助けなければならない。死の危険が迫っていても、貴族の血が、両親の教えが、スレインを突き動かしていた。
「ハルトマン、俺が時間を稼ぐ。這ってでも逃げろ」
「そんな、スレインさん!」
スレインはドラゴンに向かって走り出した。まさかこんな形で人生の最期を迎えるとは思ってもみなかった。そもそもの原因は商人どもに騙された自分自身の不注意なのだが、やはりルカに頼ろうとしたのが大きな間違いだったのだ。しかし悔やんでも後の祭り。せめて最後は先祖の名に恥じぬよう堂々と戦い尽くそう。
ドラゴンの口が大きく開かれ、喉の奥がはっきりと見えた。そこには巨大な火の玉が渦巻いていた。しかしスラインは臆せず走ったまま剣を構え、ドラゴンへ向かって飛びかかろうとした。
その時、
「待て……、剣士よ」
前方から声が聞こえた。スレインは驚き、思わず足を止めた。何故なら前にはドラゴンしかいなかったからだ。
「その声は、まさか……」
「いかにも、我が話しかけておる」
間違いない、声の主はドラゴンだ。ドラゴンが人間の言葉を話すなんて聞いたことがなかった。
「驚くことではない。知能ある生物は人間だけではないのだ。我は大昔人間と暮らしていて、そこで言葉を覚えた。そこで剣士に問いたい」
「な、なんだ?」
スレインは体を緊張させつつも、心の中では時間が稼げそうだと安堵した。ハルトマン、今のうちに逃げてくれよ。
ドラゴンは問うた。「その手にある黒い剣は、剣士の物か?」
「あっ、ああ……」予想外の質問に戸惑いを覚えつつもスレインは答えた。「俺の家に代々伝わる家宝だ」
「よく見せては貰えぬか?」
スレインは躊躇した。隙を見せたところでがぶりと丸飲みされてはかなわない。
ドラゴンはスレインを見透かしたように言った。「安心せよ。剣士を騙す理由など我に存在せぬ。そんな姑息なことをせずとも我は簡単に剣士たちを消し炭にできるのだからな」
ドラゴンの言う通りだ。スレインに選択の余地はなかった。スレインはドラゴンに向けて剣を掲げた。ドラゴンは首を伸ばして剣に顔を近づけ、大きな瞳をグリグリと動かしながら見つめていたが、やがて、「ああっ」と小さく感嘆の声を漏らした。
そしてドラゴンは、スレインから首を離すと、顔を地面すれすれまで下げてきた。
「剣士よ、我は御身に忠誠を誓います」
「……へっ?」あまりに唐突な展開に、スレインはつい間の抜けた声を発してしまった。「ど、どういうことだ?」
ドラゴンは平伏したまま答えた。「御身が所持する剣こそ、かつてアーニンゲンが用いし物。古の時代、我は自ら犯した罪の代償として、代々の黒剣の所持者に忠誠を尽くすという誓いを立てたのだ。我の体は御身のもの。なんなりとご命令を」
「まっ、マジで……」
すぐに事情が飲み込めなかった。スレインが父親から譲り受け今や借金のカタとなっている黒剣は、先祖代々大切にされてきたものだが、お伽話に出てくる人物が絡んでいるような、曰く付きなものだとは知らなかったのだ。
「つ、つまり、お前は俺の言う通りにすると?」
「ガヴァンとお呼びください、我が主。全ては主の仰せのままに」
「凄いじゃないですか、スレインさん!」興奮した様子のハルトマンが駆け寄ってきた。「ドラゴンを倒すどころか、服従させちゃったんですから。前代未聞ですよ!」
「あっ、ああ……」
ただし、自身の力ではなく剣のおかげだ。素直に喜んでいいものかと、スレインは躊躇った。
一方、ガヴァンと名乗ったドラゴンは依然平伏したまま言った。「ところで我が主、今宵は我にどのような理由があっておいでになられたのですか?」
「ああ、そうだった」
スレインは本来の目的を思い出した。ガヴァンがこの様子ならば、暴力に訴えることなく、話し合いで解決できそうだ。
「麓の村々が、お前の被害で困り果てている。農場を荒らして食料を奪うのをやめてもらえないか?」
「面目次第もございません」ガヴァンはとうとう顎を完全に地面につけた。「最も強力な生物と言われる我らドラゴンも飢えには勝てませぬ。最近は天候のせいで森や山の食料も乏しく、しかたなく人間の畑に手を出してしまいました。ですが我が主、叶うならば、我の弁明もお聞きいただけないでしょうか?」
「弁明?」
「はい。まず我は人間には一切危害を加えておりません。それに我が主は先ほど村々と仰いましたが、我が手を出したのは荘園の作物のみ。あそこは国王の私領であり、そもそも農作物は一般の人々の口には届きません」
「それは本当なのか?」
ルカからは、ドラゴンに襲われ村の人々が食糧不足に陥っていると聞いていた。ガヴァンの話が本当だとすれば随分と様相が変わってくる。
「我が先祖に誓って嘘は申しません」ガヴァンは答えた。「それに、あそこで取れた作物は、調理されても半分は食べられることなく廃棄されると聞きます。ならば我が少々失敬しても誰が困りましょうか?」
盗人の都合の良い理屈に聞こえなくもないが、一方的にドラゴンだけを断罪するのも不公平だという気がしてきた。
「どう思う、ハルトマン?」
一人では整理しきれず、ハルトマンに助けを求めると、彼はすぐに答えた。
「ドラゴンの言うことは概ね正しいと思います。今の国王の浪費癖は有名ですから。豪華な料理を見ただけで満足してほとんど捨てているらしいです。でも、荘園で取れる食材が減ったら、料理も減って国王が激怒するから、近くの村々から徴収して不足分を補っているんでしょう」
「おいおい、マジかよ……」
人々を苦しめる最大の原因はドラゴンではないということだ。今回の旅は本当に何だったのだろうか? スレインは体から一気に力が抜けていく感じがした。
気を取り直して、スレインはガヴァンに言った。「お前の言い分はわかった。だがお前のせいで間接的だが人々に被害が出ていることも事実だ。俺が何とかできないか考えてみるから、しばらくの間、荘園を襲うのはやめてくれないか」
「おおっ、なんと寛大なる処置」ドラゴンは目から涙を流して答えた。「主に仕えることができて、我は幸せです。もし我が力を必要となった時は、その黒剣を空へ掲げ、我が名をお呼びください。必ずや駆けつけます」
「わかった。じゃあ、しばらく大人しくしていてくれ」
と言い残して、スレインは山を降りることにした。
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