第22話 山へ

 翌朝、スレインが出発の準備をしようと厩に向かったら、馬車がなくなっていた。兵士の誰かが別の場所に移動したのだろうかと考え、周囲を探してみたが、やはり見つからない。近くにいた兵士に訊ねてみたが知らないと言われた。


 砦に戻るとハルトマンがいた。


「おや珍しい。スレインさんがそんなに慌ててるなんて。どうしたんですか?」


「俺たちの馬車がなくなってるんだが、何か知らないか?」


 ハルトマンは首を振った。「アルフレッドさんかジルさんに訊いたらどうですか? もしかして昨日、馬車に荷物を取りに行ったかもしれません」


 スレインとハルトマンは世話係たちを探したが、砦のどこにも見つからなかった。いや、まだ探していないところが一箇所ある。スレインは胸騒ぎを覚えた。


「ちょっとルカの部屋を見てくる」


「いいんですか? 王子様いつも昼過ぎまで寝てますよね。起こしたら怒られません?」


「そもそもこんな時間まで寝てるほうが悪いんだ。ハルトマンはオリビアの部屋を見てきてくれ」


 二手に分かれ、スレインはルカの部屋にやって来た。扉を強くノックしたが返事はない。もう一度ノックする。やはり返事はない。スレインは強硬手段に出ることにした。扉を蹴破ろうとしたが、鍵はかかっておらず、難なく開いてしまった。


 部屋に押し入ったスレインは愕然とした。ルカの部屋は何一つ残っていないもぬけの殻だったのだ。


 慌てた様子でハルトマンが走ってきた。


「大変です、スレインさん。オリビア嬢の部屋が……」


 部屋に入ってきたハルトマンも中を見て、口をぽかんと開けてしまった。


「これは一体、どう言うことでしょうか?」


 スレインは答えず、両手をブルブルと震わせると、大声で叫んだ。


「あいつら、逃げやがったな!」



 ドラゴンに恐れをなして、ルカはオリビアと従者たちを連れて逃げ出した。執務室で朝の紅茶を飲んでいたオーガスティンにそのことを伝えると、かつてルカの取り巻きだった旧友もさすがに苦笑いを浮かべた。


「まさかの敵前逃亡だと、あの口だけ王子。やってくれたな」


「追いかけるか? まだそれほど遠くには行っていないと思う」


「しっぽを巻いて逃げ出した王子を見つけろなんて命令、部下に出せるわけないだろ。そんな話が広まれば国を揺るがす大問題になるぞ。あんなやつ、放っておけ」


「じゃあ、ドラゴン退治はどうなるんだ?」


「ドラゴン退治だ?」オーガスティンは眉根をひそめた。「王子がいなくなったんだから、その話もなかったことになるだろ」


「本当にいいのか? ドラゴンの被害でこの辺りも大変なんだろ」


「それがどうした、何か問題でもあるのか?」


「何言ってるんだ。民と国を守るのが軍の仕事だろ」


 オーガスティンは顔をしかめて、ずずずっと紅茶を飲んだ。


「知るかそんなこと。そもそも、俺はドラゴンを退治せよなんて命令は受けていない。王子のために兵を出すと言ったのも、個人的な理由からで、今じゃそれも失った。俺がドラゴン退治をするメリットは何一つない」


「……わかった」スレインは言った。「俺が今からドラゴン退治へ行く」


 オーガスティンはティーカップを持ったまま、口を半開きにしてスレインを見上げた。


「本気で言っているのか?」


「ああ」スレインは力強く頷いた。「だから、かつての士官学校の同期のよしみで、兵を貸してくれ」


 オーガスティンは鼻で笑った。「断る。王子の頼みだから引き受けただけで、漆黒に恩を売って私になんの得がある」


「ドラゴン退治の指揮官はお前ってことにしてやる。末代まで誇れる名誉だぞ」


「名誉なんてクソ喰らえだ。私が欲しいのは権力と金だけだ。そんなにドラゴン退治がしたけりゃ一人でやってくれ」


 オーガスティンは紅茶を一気に飲み干すと、これ以上スレインの訴えには耳を貸すことなく、執務室を出ていってしまった。



 スレインは荷物をまとめて、一人砦を出た。


 歩き始めてしばらくすると、背後からハルトマンが追ってきた。


「ちょっと、置いていかないでくださいよ」


 スレインは歩みを止めることなく答えた。「お前の主人は逃げた。もう俺に付き合う必要はないだろ」


「そんなこと言わないでください。あんな砦に一人残されても困ります」


「自由になったんだ、好きなところに行けばいい」


「だから、スレインさんの後をついてきたんです」ハルトマンは笑った。「で、今からどこへ向かうんです?」


 変な奴に付きまとわれてしまったな、と困惑しつつスレインは答えた。


「ドラゴンの山だ」


「わおっ! やっぱりそうなんですね、ついてきて正解でした」


 驚くどころか歓喜するハルトマンを見て、スレインは面食らった。


「お前……、怖くないのか?」


「もちろん怖いですよ。でもそれ以上に、創作に対する情熱が僕を突き動かしているんです。前に言ったじゃないですか、僕は素晴らしい詩を作って歴史に名を残したいんですから。じゃあ、張り切って行きましょう!」


「だめだ」歩調を早めるハルトマンにスレインは言った。「危険すぎる。お前を連れて行くわけにはいかない」


「それを言うなら、スレインさんもでしょ。いくら武人の誉れ高き疾告の剣士でも、たった一人でドラゴンに立ち向かうなんて無謀も良いところです。それでもあなたはドラゴンの山を登ろうとしている。依頼主は逃げたのに、この仕事を続ける意味は何ですか?」


 スレインは黙って笑みを浮かべるハルトマンを見返した。少なくとも彼の熱意は本物で、足の骨の一本や二本を折っても、無理やりついてくるだろう。彼を突き動かそうとする意思はどこから湧いてくるのか? でも案外、自分たちは似たもの同士なのかもしれない、とスレインは思った。


「はあーっ」と喉に詰まっていた息を吐いて、スレインは答えた。「これは傭兵の仕事とか報酬とか関係ない、誇りの問題だ。困っている人々を見たら助けなければならない、貴族とはそういうものだ。たしかに今となっては元貴族かもしれないが、両親から教えられた良心は俺の体に深く刻まれている」


「なるほど、そんな立派な意志を持っている方がまだいたなんて、驚きです。でも……」ハルトマンがぐっと顔を近づけた。「それだけですか?」


 スレインは小さく舌打ちをした。こんなに人の心が読めるのなら、場違いな詩を歌わなければいいのに、と思った。


「もう一つ理由を挙げるなら……」


 スレインは両手をぐっと握りしめて、大声で叫んだ。


「どいつもこいつもムカつくんだよ! わがままばかりの王子とお嬢様、そいつらに唯々諾々と従うだけの世話係どもに、自分の利益しか考えねえ連中! 下手に出てりゃ図に乗りやがって。ふざけんじゃねえぞ。てめえらのせいで散々振り回された俺がどれだけ苦労してるのか少しは理解しろよ! 積りに積もったこの怒り、こうなったらもう全部ドラゴンにぶつけるしかねえじゃねえか! 危険? 知るかそんなこと。ドラゴンの顔面に一発お見舞しねえと気が済まないんだ」


 ハルトマンは腹を抱えて笑い出した。


「最高です。怒りに燃えた戦士とドラゴンの一騎討ち! 僕はそれを見届けて、人生で一番の詩を作ってみせましょう。さあ、ドラゴンの首目指して出発です!」

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