第21話 ドラゴンの咆哮

 夜、ドラゴン退治の壮行会が開かれることとなった。


 その頃には、ルカの体調も回復したようで、会場となった大広間に姿を現した彼の顔にだいぶ赤みが戻っていた。ルカは一段高い壇上にある席で、オーガスティンと談笑をしていた。


 ところが、集まった兵士たちの表情は一様に暗かった。彼らはオーガスティンによってドラゴン討伐隊に任命された面々だったが、非常に不安なようで、聞こえてくる言葉も後ろ向きなものばかりだ。


「まさかこんなことになるなら、兵士にならなきゃよかった」「遺書書いといたほうがいいのか……」「あっ、俺、胸が痛くなってきた。これきっと重病だ。だから戦えねえ」「汚ねえぞ、てめえ。一人だけ逃げる気だな!」「うるせえな、病気だからしょうがねえだろ」「嘘つけこの野郎!」


 取っ組み合いまで始まってしまった。このままでは、討伐隊はドラゴンと戦う前に内部崩壊してしまうだろう。


「こんな時こそ、僕の出番ですね」


 ハルトマンがギターを持って兵士たちの方へ歩き出したので、スレインは慌てて制止した。


「何する気だ?」


「もちろん、僕の歌で元気付けてあげるんです」


「あまりいい考えとは思えないな」


「どうしてですか? この前の晩餐会は大好評だったじゃないですか。任せてください」


 と、ハルトマンは自信満々に言うと、スレインの手を逃れて、力強い声で歌い始めた。


  さあ、恐るな。猛き者たちよ。勝利へ向かって突き進め

  矢は折れ、剣を失おうとも、己の鋼の意志こそ最高の武器

  目は潰れ、戦友が炎で焼かれようとも、決して砕かれぬ我が心

  肉体は滅せども、戦士の魂は永遠に称えられるだろう

  さあ、続け。猛き者たちよ。栄光に向かって突き進め


 ハルトマンの歌を聴いた兵士たちは一様に言葉を失い、精気を失ったかのようにがくりと項垂れてしまった。


「やってくれたな!」スレインはハルトマンの胸ぐらを掴んだ。「兵士たちをますます意気消沈させてどうするんだ」


「あれ、おかしいですね。僕の中では自信作だったんですが」


「時と場合を選べ」


 無理矢理召集させられた兵士たちに、勝利のために自ら犠牲になれと訴えても逆効果なだけだ。今必要なのは絶対に勝てるという自信を彼らに持たせることだろう。


 ハルトマンを後ろに押しやり、スレインは兵士たちに向かって語りかけた。


「変な歌を聞かせて悪かったな。今回のドラゴン討伐、みんなが不安になるのはわかる。ドラゴンに関するいろんな伝説や噂がお前たちの脳裏によぎってることだろう。でもドラゴンだって所詮は生物だ。最強かもしれないが、無敵ではない。過去にも多くの勇者たちがドラゴンを倒してきた事実もある。だから俺たちも力を合わせればきっと勝てる。いや、疾告の剣士であるこの俺が、お前たちを絶対に勝たせてやる!」


「おっ……、おお!」兵士たちの目の色が変わった。


「ドラゴン退治の秘策も考えてきた。だから明日は安心して俺たちについてきてくれ」


「なんだか、やれそうな気がしてきたぞ」「ああ、俺もそう思う」「腹の痛みが無くなった」「よし、景気付けに飲もうぜ!」


 兵士たちに活気が出てきて、影に覆われていた大広間も明るく輝き始めたような気がした。スレイン自身は嫌っていても、こういう時に二つ名があると便利だ。


 壇上からルカがスレインを呼んだ。行くと、彼はあまり面白くなさそうな表情を浮かべた。


「おい、漆黒。あいつらに何を言ったんだ?」


「まあ、彼らを安心させるような言葉だ。兵士の士気の維持は上官の大切な仕事だって、士官学校でも習っただろ」


「余計なことを。ドラゴン退治のトップはこの僕だぞ。勝手にしゃしゃりでないでほしいな」


 そのトップが頼りないから苦労しているのだ、と口にしたら余計拗れそうなので、スレインは黙っていた。


 二人のやりとりを聞いていたオーガスティンが口を出してきた。


「でしたら、王子殿下からも彼らにお言葉をお与えになったらいかがでしょう。王子直々のお言葉、彼らも泣いて喜びましょう」


「それはいい考えだ、オーガスティン」


 オーガスティンの見事なごま擦りにより、ルカの機嫌が治ったようだ。


 砦の責任者は立ち上がって兵士たちに言った。


「諸君、静粛に。これより王子殿下のお話がある。心して拝聴するように」


 会場が静まり返るのを見届けて、ルカは立ち上がった。


「僕は、この国の第一王子にして次期国王であるルカ・サンサースだ。我が国土を荒らすドラゴンを成敗するためにここへ来た。確かにドラゴンは危険な怪物だ。しかし、たとえ獰猛な怪物であっても、第一王子の威光の前には平伏さずにはいられまい。その昔、征服王アーニンゲンは、一睨みでドラゴンを破滅に導いたという。征服王にできたことが、同じ王であるこの僕にできないことがあろうか! 諸君たちは安心して、この僕がドラゴンを屈服させる姿を見ているがいい!」


「さすが王子様!」「格好いい!」


 方々で大歓声が上がった。ルカは手を振って応え、拍手が鳴り止まぬ中、満足そうに微笑んで席に座った。


「いくら何でも、話を盛り過ぎていないか?」


 スレインが不安そうに言うと、ルカは鼻で笑った。


「王族たるもの、これくらいのリップサービスは当然さ。何ならもっと派手なことを言っても良かったんだぞ……」


 突然、砦の外から大音声が響いてきた。それは、思わず耳を塞ぎたくなるような、激しい苦しみと怒りを伴った、聞いた者を本能的に震え上がらせてしまうような叫び声だった。


 咆哮の余波だろうか、砦全体がグラグラと揺れ、天井から砂埃が降ってきた。


「なっ、なんだこれは?」


 スレインが警戒しつつ周囲を見渡すと、会場にいた全員が頭を低くし、顔を青くしていた。


「ド、ドラゴンだ……」兵士の誰かが呟いた。


「今の声がドラゴンなのか?」


 オーガスティンは手にしたワイングラスをガタガタと震わせ、今にも泣きそうな表情で答えた。


「そ、そうだ山で鳴いた声がここまで届くんだ。あれはきっと腹を空かせているに違いない。ああ、恐ろしい」


「でも大丈夫ですよ、みなさん」ハルトマンが一人、その場には不釣り合いと思えるほど陽気な声を上げた。「皆さんの恐怖を取り除くために、王子様はここに来たんですから」


 すると兵士たちが呼応しだした。


「その通りだ!」「王子様が必ずドラゴンを倒してくださる!」「ありがとうございます、王子様!」


 兵士たちの期待の眼差しが一斉にルカへと注がれる。


「こ、これ、どうするんだ……」


 兵士たちの熱い視線に気圧されるのを感じつつ、スレインは横にいるルカを見た。すると王子は白目をむいて気を失っていた。


□ □ □


 気がつくと、ルカの目の前に、氷のように冷たい目をしたスレインの仏頂面があった。


「……やっと目が覚めたか」


「何があったんだ?」周囲を見渡す。ここはルカの部屋だった。「……確か、大広間で宴会をしていただろ」


「それは終わった、というか解散した。お前が気を失ったから」


「どうして僕が……」


 と言いかけて、ルカは大広間で聞いた身体中の内臓がひっくり返されるような激しい咆哮を思い出し、体を震わせた。


「さて、面倒なことになったぞ」スレインが隣に立つオーガスティンを見た。「この調子で、本当に兵士は来てくれるのか?」


「まあ、無理だろうな」オーガスティンは他人事のような口調で言った。


「どういうことだ?」


 ルカが訊くと、スレインがぎっと睨み付けてきた。


「ドラゴンの鳴き声と、お前の発言のせいで、兵士たちは戦う気をすっかり無くしたんだ」


 まったく意味がわからない。ルカが首を傾げると、スレインは面倒くさそうに「はあっ」とため息をついた。


「兵士たちは、全てルカが何とかしてくれるって思ってしまったんだ」


「何かと思えば、そんなことか。臣民どもが王子に期待を寄せるなんて当たり前……」ルカははっと顔を上げた。「って、おい。つまり、兵士たちはドラゴンと戦わないって言っているのか? どうして?」


 スレインは深く嘆息した。「お前が演説で、自分がドラゴンを屈服させるって口にしたからだ。その直後にあの叫び声だ。我らが王子様に期待するのも当然だろ。つまり、お前は自分でドラゴン退治をする必要がある」


 今更ながら、ルカはとてつもない恐怖に襲われ始めた。


「ふ、ふざけているのか! あんな恐ろしい叫び声を上げる怪物に一人で挑めだと! おい、オーガスティン。今すぐ兵士を集めろ。僕についてこない奴は全員軍紀違反で縛り首にしろ」


 オーガスティンは変わらず他人事風な口ぶりで言った。「まあ、王子殿下がついてこいと言えば彼らは従うでしょう。でも、ああいう状態になってしまっては、戦闘力は期待できません。彼らはただ殿下の戦いを見守るだけです」


「戦うだって、この僕が! そうならないように漆黒を雇ったんだろ。おい、この状況をどうするつもりだ」


「どうするって……、どう考えても、お前の中身のないリップサービスが招いたことだろ。俺は悪くないぞ」


「うるさい。なんとかしろ、報酬が欲しくないのか」


「……少し考えさせてくれ」


 苦虫を潰したような表情を浮かべ、スレインはオーガスティンの後に続いて部屋を出ていった。


 一人残されたルカは頭まで布団を被った。まったく揃いも揃って役に立たない連中だ、家臣に恵まれない僕は何て不幸なんだろう、とスレインとオーガスティンを心の中で罵り、己の境遇を嘆いた。


「このままじゃ、国王になれないだろ……」


 砦の外からドラゴンの咆哮が聞こえてきた。さっきよりはずっと遠かったが、それでもルカの全身は氷水を浴びせられたかのようにガクガクと震え始めた。


 あんな怪物と戦うなんてあり得ない。


 その時、部屋の扉を優しくノックする音が聞こえた。


「……誰だ?」


「オリビアでございます。ルカ様」


 部屋に入ってきたオリビアは、ルカのベッドに駆け寄ってきた。


「倒れたと聞きまして。顔色も優れないようですが、大丈夫ですかルカ様」


「ああ、問題ない。オリビアの顔を見たら気分も良くなった」


「まあ」オリビアは顔を赤らめた。


「でも、今日はもう部屋に戻り給え。長旅で疲れただろう」


 オリビアは首を振った。「いいえ、そんなことございません。ルカ様と一緒にいられるならどんな障害も苦難にはなりえませんわ。わたくしにとっては、ルカ様に会えないことの方がよっぽど辛く思います」


「僕の女神よ」ルカはオリビアを強く抱きしめた。「僕を優しく受け止めてくれるのはオリビアだけだ。僕は君に会えて幸せだ。誰にも奪われたくない」


「わたくしもです、ルカ様」


 再びドラゴンの咆哮が聞こえ、窓ガラスがバタバタと震えた。


「ああ、何と恐ろしい」オリビアはルカから離れると、両手で自分の腕をさすった。「あれが噂に聞くドラゴンの咆哮ですのね。こんなところにいるなんて怖くて、それに危険ですわ。早く遠くへ行きましょう」


「それはできない、オリビア。僕は国王になるため、あのドラゴンを退治しないといけないんだ」


「でも、ルカ様にもしものことがありましたら、わたしどうしたら……。とても生きていられませんわ」


「僕だって、オリビアを一人で残していくなんてできない」


「ああ、何と残酷な運命なのでしょう。この不幸を断ち切る方法はないのかしら。いっそうのこと、全てのしがらみから逃れられたら……」


「それだ!」


 ルカは突然叫ぶと、オリビアの両手を強く握りしめた。


 愛か権力か……。ルカの頭の中で一つの答えが導き出された。


 オリビアの顔をじっと見つめ、ルカは言った。


「僕についてきてくれ」

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