第20話 砦

 翌日、毛布を根こそぎルカとオリビアに持っていかれたせいで、体の節々が痛む中、スレインは砦へ向けて馬車を走らせた。


 しばらく進むと田園地帯に入った。見事に育った小麦畑と、まだ植えられたばかりの野菜畑が一面に広がり、遠くには放牧地帯も見えた。かなりの大地主の領地のようだ。


 昼過ぎ、小麦畑の中から、ポツンと立つ石造りの建物が現れた。あれが目的地の砦だ。


 馬車が砦の門前に到着すると、門番が近づいて来て、高圧的な口調で用件をスレインに詰問してきたが、ルカの名前を出すと、態度が一転、ペコペコと何度も頭を下げ、責任者を呼びに砦の中へ走っていった。


 すぐに、責任者のオーガスティン将軍がやってきた。将軍という肩書のわりにはまだ若い。スレインは彼に見覚えがあった。士官学校時代の同期で、ルカの取り巻きをしていた連中の一人だ。


 オーガスティンは完璧な敬礼で、王子を迎えた。


「ルカ王子殿下におかれましては、このような辺境のむさ苦しい砦においでいただき、感謝の言葉もありません。我々一同、今回の滞在が王子殿下にとって有意義なものとなりますよう、力の限り尽くす所存でございます」


 ところが、いつもなら王子に相応しく威厳たっぷりに振舞うはずが、荷台から姿を現したルカは顔面蒼白、立っているのもやっとというような有様だった。今朝、出発した時からずっとこんな感じで、オリビアと愛を語らう余力もなく、荷台の中でずっと吐き気に堪えてうずくまっていた。昨日の熊肉、よほど胃が受け付けなかったようだ。


「大丈夫ですか。王子殿下」


 驚愕の表情を浮かべたオーガスティンが駆け寄ると、ルカは、


「へ、部屋で休ませてくれ」


 と言って、アルフレッドに伴われ砦の中へ入っていった。続いて荷台を降りたオリビアもルカと同じくらい顔が青く、ジルの肩を借りて砦に向かった。


「大丈夫ですかね、王子様たち?」


 ハルトマンも心配そうに、彼らの背中を見つめていた。


 しかし、スレインはこれを好機と捉えていた。というのも、体調が悪そうなルカを見て、一人でドラゴン退治へ行かせようなんて、さすがに誰も思わないはずだ。王子に同情した兵士たちがたくさん参加してくれるに違いない。


 馬車を厩に入れて、スレインは早速オーガスティンのもとへ向かった。砦の責任者はルカたちを部屋に案内した後、屋上で午後のティータイムを満喫していたが、スレインの顔を見るなり顔をしかめた。


「まさか漆黒が王子殿下と一緒に来るなんてな、思ってもみなかったぞ。これは一体どういう事だ?」


「あいつに雇われただけだ」


「確かお前、巷じゃ疾告の剣士とか呼ばれてたな。士官学校でも実技だけは高かったし。まあ同期の再会だ、一杯くれてやる」


 紅茶の入ったティーカップを差し出されたが、スレインは手をつけなかった。彼から物を受け取ってろくなことになった試しがないからだ。


「相変わらず、愛想のない奴だな。だからお前は学校でも嫌われてたんだ」


 ルカやオーガスティンたちが髪の色や成績の高さを理由に、一方的に差別していただけだ、とは口にしなかった。過去を蒸し返したところで今更しようがない。それよりも今は実利を取ることが重要だ。スレインはすぐに本題へ入った。


「俺たちがこの砦に来た理由はわかっているのか?」


「もちろん。ドラゴンを退治しに来たんだろ。国王陛下からの親書を受け取っている。ルカ殿下のことを頼む、と」


 この調子だと、国王は国中の貴族や軍の施設に手紙を送ったようだ。よほど息子のことが心配なのだろう。だったら最初から一人で行かせなければ良いのに。


「ドラゴンはこの近くの山に住んでいるという話だが?」


「そのとおり。あの山で、ドラゴンが飛び回る姿を何度も目撃されている」


 オーガスティンが顎をしゃくった先にある山は、標高はさほど高くないが急峻で草木は少なく岩石が剥き出しになっており、所々霧に覆われていて、不気味さが漂っていた。


「あいつのせいで、ここの荘園の作物にも多大な被害が出ている。このままじゃ俺の経歴にも傷がつく。由々しき問題だ」


「目と鼻の先に居るのに、どうして今まで退治しなかったんだ?」


 スレインの質問に、オーガスティンは愚問だと言わんばかりに肩を竦めた。「相手はドラゴンだぞ。簡単に手を出せるような相手じゃない。それに我々の任務はこの荘園を護ることだ。荘園の脅威はドラゴンだけじゃないからな」


「山賊も多いのか?」


「そうだ。それに農民どもの反乱も」


「反乱?」


「ああ、困った連中さ。自分たちの権利がどうとかこうとか訴えて、しょっちゅう仕事を放棄しやがる。身の程知らずの不敬な奴らだ。この荘園の所有者を知らないわけではないだろうに」


「税の取り立てが厳しすぎるんじゃないのか。最近どの街に行ってもそんな話を耳にする」


「お前につべこべ言われる筋合いはないな。とにかく、いろいろあってとても手が足りない。そこに来て、ドラゴン騒ぎだ。頭を抱えていたところ、ルカ殿下がドラゴン退治に名乗りを上げてくれたんだ。こちらとしては願ったり叶ったりさ」


「実はその事で話があるんだ。さっきのルカの様子を見ただろ」


「随分酷かったな。あんな死にそうな姿を見たのは士官学校で二十四時間のサバイバル訓練を受けた時以来だ。そんな過酷な訓練をさせた教官は次の日に姿を消したけどな」オーガスティンは鼻で笑った。


「今のルカじゃ、ドラゴンと戦うなんてとても無理だ。だから王子を助けると思って、この砦の兵を貸してくれないか?」


「でもそれじゃあ、国王への誓約に反することになるぞ。殿下は承諾するのか?」


「もちろん。というかそもそも一人で戦うっていうのが無謀なんだ。最初から兵士を連れて行けばこんな面倒な旅をせずに済んだ。なあ、お前はルカの友人だったんだろ。だったら助けてやれよ」


「友人?」オーガスティンの眉間に皺が現れた。「俺はあいつにごまを擦ってただけだ。でなきゃ、士官学校で暮らしていけなかった」


 予想通りというべきか、ルカの人望は今も昔も高くないようだ。


「でも、ルカに気に入られたおかげで今の地位があるんだろ。もうすぐ国王になるあいつにもっと恩を売っておけば、将来も安泰だぞ」


 しばらくの沈黙ののち、オーガスティンは答えた。「……確かに。漆黒の言うとおりだ」


「じゃあ」


「兵を出そう」と、オーガスティンは請け負ってくれた。


 ようやくこの旅にも決着がつけられそうだ。スレインは大いに安堵した。

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