第18話 お嬢様の旅

 領主の娘とその世話係が増えただけで、戦力はまったく増強されないまま、街を逃げ出す羽目になった。夜の移動は危険なのだが、ルカの強い要請により(つまり、馬車を出さなければ報酬を払わないと脅してきた)、スレインは夜通し馬車を走らせ続けた。


 遠くの山脈の向こうから朝陽が顔を覗かせた頃、ようやくルカが言った。


「ここまでこれば大丈夫だろう。停まれ。食事にしよう」


 スレインはすぐ近くの川辺に馬車を停めた。すると、オリビアは白磁のような頬を青く染めて、言った。


「まあ、屋根のないところでお食事にするのですか。お肌が焼けてしまいますわ」


「それは大変だ」ルカは慌てて訂正した。「おい、漆黒。もっと陽の当たらないところに停めろ、相変わらず君は気が利かないな」


「ここで停めろと言ったのはルカだろ。それに、ここなら水が近くにあるから料理も楽だろ」


「屁理屈ばかり言いやがって。あっちの木がたくさん生えている所に行け」


 スレインはしぶしぶ馬車を川から少し離れた林の入り口まで移動させた。


「アルフレッド、食事の準備をしろ。オリビアをがっかりさせるなよ」


「承知いたしました」


 アルフレッドが馬車を降りると、ジルが「わたしも手伝います」と言って、彼女も馬車を降りた。そして川の水を汲みに二人並んで桶を持って歩き出した。


「老人二人じゃ辛いだろう。俺も手伝ってこよう」


 川から遠くに停めたことに罪悪感を覚えたスレインは御者席から降り、二人を追おうとした。しかし、ハルトマンがスレインの肩を掴んだ。


「スレインさん、それは野暮というものですよ」


「野暮? どうして。ルカとお嬢様のわがままのせいで重労働させられて、可哀想だと思わないのか?」


 チッチッチッ、とハルトマンは人差し指を左右に振った。「今は、二人の恋路をそっと見守ろうじゃありませんか」


 スレインは川へ向かう二人の背中を一瞥した。「……おい、冗談だろ」


「恋愛に歳なんて関係ないですよ。その証拠に、あのお二方、馬車に乗ってる時ずっと見つめ合ってましたから」


 よく見ているな、とスレインは感心した。でも、そういうことなら、今は手を貸さないほうが良さそうだ。食事の準備は二人に任せて、しばらく休ませてもらうことにした。夜通し馬車を走らせたせいでさすがに体が疲れていた。


「しばらく見張っていてくれ」とハルトマンに伝え、御者席から降りて、毛布を取り出そうと馬車の後ろへ回った。荷台の中を覗くと、ルカとオリビアが無言で見つめ合っていた。完全に二人だけの世界に入ってしまっているようだ。本当にこの調子でドラゴン退治なんてできるのだろうか。不安しかなかったが、今は休むことの方が大切だ。スレインは邪魔をしないようにそっと毛布を取り取り出し、木陰に敷いて横になった。


 早朝の心地よい風に頬を撫でられ、うとうとしていると、不意に耳元で「起きろ!」とルカの怒鳴り声が聞こえた。


「ど、どうした?」


 スレインはパッと目を開け、素早く身を起こした。山賊が襲ってきたのかと思い、周囲に目を走らせたが、山賊はおろか野獣一匹見当たらなかった。スレインは体の緊張を解いた。


「驚かせるなよ。疲れたから食事ができるまで休ませて欲しいんだが」


「そんなことより、君が使っている毛布を寄越せ。オリビアが休みたいと言っているんだ」


 スレインは荷台を指差した。「毛布ならまだあるだろ」


 ルカは首を振った。「足りないんだ」


 確かに、同行者は当初の予定を大幅に超えているが、アルフレッドとジルは料理中、ハルトマンも御者席でギターを鳴らしているので、オリビア一人分の毛布ならまだ残っているはずだ。


「一枚じゃ薄すぎる。こんなゴツゴツとした地面の上で寝たら彼女が体を痛めてしまうだろ」


 つまり、柔らかいベッドをこしらえるためにたくさん毛布が欲しいということらしい。


「断る。さすがに俺だって地面に直接寝るのは辛い。少しは我慢してくれ、彼女だって多少の不便は覚悟の上で付いてきたんだろ」


「だが、しなくていい苦労を彼女に背負わせる必要はない。君さえ毛布を提供すれば、彼女は心地よく安眠できるんだ」


「俺の安眠はどうなる?」


「知ったことか。それこそ、多少の不便は覚悟の上で傭兵家業をやっているのだろ」


 スレインは答えず、奥歯をぐっと噛み締めた。


 馬車の方からオリビアの苦痛に満ちた声がした。


「ああ、ルカ様。わたくし、もう腰が痛くて痛くて、これ以上耐えられませんわ」


「待っていてくれ、オリビア。すぐに行くから。……さあ、漆黒。彼女があんなに苦しんでいるんだぞ。弱き者に手を差し伸べるのが貴族としての義務だろ」


「……元だ。貴族の特権を失った時に、義務からも解放された」


 皮肉で答えると、ルカはますます表情を険しくした。


「黙れ。なら僕の従者としての義務を果たせ。報酬を減額されてもいいのか」


 ルカと終わりの見えない問答を続けていたら、休める時間がなくなってしまう。それに報酬を減らされては困る。スレインは舌打ちと歯軋りを繰り返しながら、ルカに毛布を渡した。


「最初からそうすればいいのに、手間かけさせやがって」


 ルカは強引に毛布をひったくると、馬車へ戻っていった。


 地面に直接横になるのはやはり辛く、スレインは結局ほとんど寝ることができなかった。


 肉の焼ける匂いが漂ってきたので、スレインは体を起こした。食事の準備は整っていたが、その晩餐会のフルコースを思わせる圧倒的な量を見て、スレインは再び肝を冷やした。


「ア、アルフレッドさん。何ですか、この食事の量は?」


「御坊ちゃまが、オビリア様を失望させるなと仰いましたので、腕によりをかけて作りました」


「もしかして、また食材を全部使ったんじゃ? 計画的に使わないとって、前にも言いましたよね」


 すると、スープの味見をしていたジルが言った。「なにせこいこと言っているだい、この若造は。たとえ館を出てもお嬢様には最高の生活を送ってもらわなきゃ困るんだから」


 スレインが頭を抱えていると、ルカとオリビアがやって来た。お嬢様は並んだ食事を見て、顔を輝かせた。


「まあ、なんて素敵な料理なのかしら。ここが屋敷の外とはとても思えませんわ」


「そうだろう。旅の間も僕は決してオリビアに不自由な思いをさせないから」


「嬉しいわ、ルカ様」オリビアがルカをうっとりと見つめた。


「オリビア……」ルカもオリビアをじっと見つめ返した。


 するとハルトマンも現れ、「こりゃ凄いですな。さすが王侯貴族の旅だ」と感嘆の声を上げると、見つめ合う二人をそっちのけで、一人座って食事を始めてしまった。


 一刻も早くこの旅を終わらせて、こいつらとの縁を切らなければ……、とスレインは改めて固く心に誓った。

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