第17話 駆け落ち

 領主邸での晩餐会はまだ続いているが、馬車の前にはすっかり支度を終えたルカとその世話係のアルフレッドが立っていた。ルカはスレインの姿を認めるや否や怒鳴りつけてきた。


「漆黒、何をぐずぐずしている。さっさと出発の準備をしろ」


「本気で……、今から出発するのか?」


「当たり前だ。オリビアがこの館を抜け出せるのは今をおいて他にない」


 ルカに付いていくと宣言したオリビアだったが、これまで深窓の令嬢として育てられてきた彼女をドラゴン退治に同行させるなんて親のノリスは絶対に許可しないだろう。なので館を抜け出すことになったのだ。愛ってこんなに人を大胆にさせるものなのか、とスレインは驚くより他になかった。


「しかしな……」スレインは言った。「伯爵に一言も言わず、逃げるように出ていくのはさすがにまずいだろ」


「昼間、ここに長居はするなと言ったのは君の方だったじゃないか」


「いや、それはそうだが……。でも、兵の方はどうするんだ。ルカがノリスに頼めばきっと貸してくれるぞ」


「のんびりしていたら、ノリスにこの計略が露見してしまうだろ。そんな烏合の衆の兵士どもより、オリビアの方がずっと重要に決まっている」


 頭痛を覚えてスレインは思わず頭を抱えてしまった。一個大隊の兵士を捨てて、一人の戦闘経験はおろか屋敷すら出たこともなさそうな女性を伴って、ドラゴン退治の旅を続けるなんて正気の沙汰とは言い難い。ルカの後先考えないわがままにも程がある。


「ここで兵士が集められなかったらどうするんだ、一生彼女を連れて王都に帰れないぞ」


「君もうるさいやつだな」ルカは苛立たしげに言った。「そんなの後で考えればいいだろ。君は僕に雇われているんだぞ。残りの報酬が欲しかったら、黙ってオリビアを連れてこの街を出るのを手伝え」


 お姫様をさらって面倒をみることまでは契約に含まれていない、と言い返してやろうかと思ったところで、館の方からドタドタと足音が聞こえてきた。振り返ると、晩餐会の時ほどではないにしろ、それでもフリルがたくさんついたボリュームあるドレスを着たオリビアが馬車に向かって走ってくるのが見えた。そして更に彼女の後ろから、長い白髪を振り乱して追いかけてくる老婆の姿が見えた。


「お待ちくだされ、お嬢様!」


 老婆の叫び声を背に、オリビアはスレインたちのいるところまでたどり着くと、ルカの影に隠れた。


「ごめんなさい、ルカ様、撒こうとしたんですが、老婆やに見つかってしまいまして」


 老婆がゼイゼイと息を切らせながら言った。「お、お嬢様。今すぐ館へお戻りください。旦那様が心配いたしますぞ」


「嫌よ、ジル。わたしはルカ様と一緒について行くと決めたんだから」


「お嬢様がそのお方のことをどれだけ好いているか、老婆やにはよくわかっております。旦那様もお喜びになりましょう。でも旅などとても無理です」


「おい」ルカがジルと呼ばれた老婆を睨みつけた。「オリビアが行きたいと言っているのだ。彼女の好きにさせてやればいい」


 するとジルは負けじとルカを睨み返してきた。その必死な形相に、ルカはわずかに怯んだ。


「言うだけなら簡単です。でも、生まれた時からお嬢様の面倒を見ていたわたしにはちゃんとわかります。一人で町の中を歩いたこともないお嬢様に、旅なんてとてもできるわけがありません。お嬢様のことを本当に大切に思っているのなら、どうかここで待っているように言ってやってください」


 スレインは口には出さなかったものの、心の中ではジルのことを応援していた。彼女の主張はまったくもって正しい。間違っているのは全面的にルカの方だ。だから早くオリビアを連れて帰って欲しい。


 するとその時、ルカの代わりに、なんとアルフレッドが口を開いた。


「あなたの主を想う気持ち、わしには痛いほどわかります。ですが主の成長と幸せを願うのなら、オリビア様の希望を叶えてあげる事が、何よりもわしらに課せられた責務ではないでしょうか」


 ジルは憑き物が落ちたような目で、アルフレッドを見返した。「おお、あなたのおっしゃる通りです。お嬢様の安全を心配するがあまり、お嬢様の幸せを邪魔していたのはわたしでした。天啓を得た心地がいたしました。蒙昧なるわたしを救ってくれたあなた様のお名前を、どうか教えてください」


「アルフレッドと申します。ルカ王子の世話係をしております」


「わたしはオリビア様の世話係、ジルです」と言って、ジルは頬を僅かに赤らめた。


 アルフレッドめ、余計なことを言いやがって! と、一人地団駄を踏んでいるスレインの横で話はどんどん進んでいく。


「もはや、わたしは何も言いません。お嬢様の望むままになさいませ。ただ、そうは言うものの、お嬢様のことが心配なのは変わりありません。ですので、わたしもお嬢様に付いていきます」


「もちろんよ、ジル。あなたが居てくれれば心強いわ」オリビアは喜んで承諾した。


 スレインは驚愕のあまり意識を失いそうになった。スレインとルカとアルフレッドの三人に、更にオリビアとジルが加わって五人。けっこうな大所帯になるのに、戦えるのは相変わらずスレインのみ。荷物ばかりが増えていく……。


「おい、俺たちは遠足にくんじゃないぞ。考え直してくれ」


 スレインは彼らに訴えたが、ルカの威勢のいい声に邪魔されて、まったく届か

なかった。


「よし、話はまとまった。それじゃあ早速出発するか!」


 その時、「ちょっと待って下さい」と声がして、館の方からハルトマンが駆け寄ってくる姿が見えた。


「ひどいなあ、僕だけ置いていこうとするなんて。ちゃんと連れて行ってくださいよ」


「お前のことなど、僕は知らない」


 と、ルカは突き放したが、オリビアはにこりと笑った。


「吟遊詩人さんも来てくれるのね。わたしあなたの歌が好きよ。この旅、ますます楽しくなりそうだわ」


「そう言っていただけて、僕は幸せです。フロイライン」ハルトマンは慇懃にお辞儀した。


「……もう、好きにし給え。でも今度僕の前で、君の変な詩を歌ったら、谷に突き落とすからな」


 と、ルカは不機嫌そうな声で言い残して、オリビアや従者たちと一緒に荷台に登った。


「やれやれ、晩餐会の時は褒めてくれたのに……、王子様もなかなかツンデレだなあ」


「お前の認識は色々間違ってると思うが……」スレインは突っ込みを入れつつ、ハルトマンに訊ねた。「それよりも、街の富豪どもから仕事を引き受けたんじゃなかったのか? それは良いのか」


「もちろんお金も大切ですけど、僕にはこの旅に同行して、歴史に残る詩を作らないといけないんです。だからこの世の果てまでもあなたたちについていきますよ。じゃあ、行きましょうか」


 御者席に座ったハルトマンの横顔を見て、スレインはがっくりと肩を落とした。


 やっぱりこいつら全員、遠足かなにかだと思ってるだろ。

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