第14話 バーガー伯領
森を抜けると、街が見えてきた。先日立ち寄った名も無き村に比べてずっと大きく、立派な石壁に囲まれている。王都ほどではないが、それなりに栄えた街であるようだ。ここならドラゴン退治に協力してくれる傭兵たちを集められるかもしれない。
街の入り口までやってくると、大勢の警備兵たちが現れ、スレインたちの馬車をぐるりと取り囲んだ。
「な、なんでしょう、これ?」怯えた様子でハルトマンが言った。「僕たち捕まっちゃうんですか?」
「さあな。でもあいつら武器は構えていないから、少なくとも今すぐ襲われることはないだろう」
警備兵の一人が一歩前に出て、スレインに向かって訊ねた。
「そこの馬車、どこから参られた?」
「王都からだ。それがどうした?」
「実はサンサースの第一王子が馬車で旅をしているという噂を聞いているのだが、何か知らないか?」
荷台からルカが顔を出した。
「僕が次期国王であるルカ・サンサースだ。何の用だ?」
すると、取り囲んだ警備兵たちが一斉に膝を折り、頭を垂れた。
警備兵は震える声で言った。「こ、これは失礼いたしました。領主のノリス・バーガー伯が、是非にもお会いしたいと申しております」
「そうか、構わん。領主の元に案内しろ」
「承知致しました」警備兵は再び深々と頭を下げた後、スレインに向かって命令口調で言った。「おい、御者。我々に付いてこい。ぐずぐずするなよ!」
警備兵たちはスレインたちに背中を向け門に向かって歩き始めた。
「随分態度が違いますね」と、スレインの隣に座るハルトマンが言った。
「そりゃそうだろ。相手は将来の国王、こっちはただの馬車の運転手だ」
「でも、スレインさんだって貴族なんでしょ?」
「元だけどな。それに吹けば飛ぶような小貴族だった。王家と比べたら平民とほとんど変わらんさ」
兵士たちの一団に続いて、スレインたちの馬車が街の中に入った。すると、街の人々が次々に集まって来て、馬車に向かって大きく手を振ってきた。
「えっ、なんですかこれは?」と、戸惑うハルトマン。
「か、歓迎されているようだな」と、同じくうろたえるスレイン。
「当然だろう」一人ご満悦な様子のルカが口を開いた。「次期国王にして絶世の美男子であるこの僕が街にやってきたんだ。よし、サービスだ」
ルカが荷台から身を乗り出し、沿道に集まった人々に向けて手を振った。すると、女性たちから一斉に「ルカ様、素敵! 格好良い!」と黄色い悲鳴が地鳴りの如く響き渡った。
最初は二十人足らずの警備兵だったが、通りを進むに連れて、行列に加わる兵士の数が増えていき、街の中心にある領主の館が前方に見え始めた時には、百人以上に膨れ上がっていた。そして兵士の数に比例するように、町中からも人々が集まり、沿道から「王子様、万歳!」と歓声を上げた。建物の窓から身を乗り出した住人たちが、王子の頭上に向かって色とりどりの花びらを撒いた。さながら戦争から帰ってきた兵士たちを迎える凱旋パレードのようだった。
「す、凄いですね。これ……」
街の熱狂ぶりにすっかり気圧されてしまったハルトマンに、スレインも同意した。
一方、群衆に向かって手を振るルカは一人上機嫌だった。
「これだよこれ、これこそが僕を迎え入れる正しい姿なのだ。僕にいきなり喧嘩をふっかけてくるような、教養も品性もない者たちが住む前の村と違って、ここの市民たちはちゃんと王家の権威というものを弁えている。実に気に入った」
大勢の群衆の注目を受けながら、領主邸にたどり着いた。門前には礼装に身を包んだ中年の男が立っていて、アルフレッドに続いて荷台からルカが出てくるや否や、男は早足でルカのもとにやってきた。
「これはこれはルカ王子殿下。遠路遥々このような田舎街にお立ち寄りいただき恐悦至極にございます。私は国王陛下の任を受けこの辺り一帯を治めております、ノリス・バーガー伯爵と申します」
「伯爵、手厚い歓迎に感謝する」
「そのようなもったいないお言葉、身に余る光栄にございます」ノリスは腰を百八十度に曲げた。
「バーガー伯爵、どうして俺たちがここにくると知っていたんだ?」
スレインが問うと、ノリスはゴミ溜めに群がるカラスに向けるような視線でスレインを一瞥してから、満面の愛想笑いでルカを見上げた。
「実は王都より国王夫妻直々の早馬がありまして、王子殿下がドラゴンを倒す旅に出られたので、もし街に寄った際には、不便なきよう万事取り計らうべしと、御達しがあったのです」
「ああ、僕はなんて良い両親に恵まれたんだろう」と、感慨深げにルカは言った。
「まったくでございます。私も陛下からの手紙を読んで、しばらく涙が止まりませんでした。私も娘を持つ父親でして、陛下の王子への並々ならぬ愛情が大変よく理解できます」
「娘?」ルカの瞳が鈍く光った。
「はい、今年で十八になりました」
「是非とも会ってみたいな」
「もちろんですとも。娘も殿下にお会いできると聞いたら大変喜ぶことでしょう。今宵は殿下のこれまでの疲労を癒し、また旅の成功を祈って、盛大な晩餐会を開きたいと思っております。娘もそこに出席いたします」
「わかった、楽しみにしている」ルカは満足げに頷いた。
「夕刻まで、どうか我が邸宅にておくつろぎください。ささ、こちらでございます」
ペコペコと何度も頭を下げるノリスに伴われ、ルカはスレインたちを置いて領主邸へ歩いていった。
ルカが領主邸の貴賓室を当てがわれたのに対して、スレインたちは地下にある従者用の狭い部屋に押しやられた。
「いやはや、すごい格差ですね」石壁にこびりついた黒カビを指で擦りながら、ハルトマンは嘆いた。「僕も一度でいいから、王様が使うようなベットで寝てみたいです。ああでも、僕たちも晩餐会の出席を許されただけでも良しと思わないと、ですね」
ハルトマンは小型のギターを取り出し、ポロンと音を鳴らした。
「おい、まさかお前?」
スレインが問うと、ハルトマンはにこりと笑った。
「もちろん、僕は吟遊詩人ですよ。晩餐会は名前を売る良いチャンスじゃないですか」
「今度こそルカに首を絞められるぞ」
それどころか、晩餐会の参加者は街の大商人や貴族たち。昼間にハルトマンが歌った曲を彼ら彼女らの前で披露したら、全員から袋叩きに遭いかねない。
「大丈夫ですって。僕だって場を弁えてますから。ああ、死を想え乙女たち~、しゃれこうべに金のティアラは似合わない~」
ハルトマンが歌の練習を始めてしまったので、手持ち無沙汰になったスレインはルカの部屋へ向かった。日々大勢の客人たちが訪れる領主邸の地上階は、絢爛豪華というに相応しく、壁には所狭しと大きな絵画が飾られ、天井には煌びやかな宝飾照明が吊るされていた。昔両親が生きていた頃に住んでいた、石壁が露出した質素なボルト邸とは大違いだ。この屋敷を建てるのに一体いくらかかったのだろうか?
ルカのいる貴賓室は輪にかけて豪勢だった。大人三人くらいが大の字になって寝れるほど広いベッドに、暖炉の上にはスレインも見たことがない緻密で立派な工芸品が多数置かれていた。ルカは部屋の真ん中にあるソファーで寛いでいた。道中に来ていた茶色い旅行用マントは脱ぎ捨てられ、金色のガウンに着替えていた。風呂に入ったのだろう、顔は整えられ金髪も濡れていた。ソファーの後ろにアルフレッドが立ち、ルカの肩を揉んでいた。
「久しぶりに生き返った心地がする」ワイングラスを傾けながら、ルカは言った。「長いこと馬車に揺られ、野宿に、安物の硬いベッド。ずっと我慢を強いられてきたけど、ここに来て、ようやく王子らしい生活を取り戻せた気がするよ。ベッドはもう少し大きいほうが嬉しかったけど、文句ばかり言ってもしようがないな。ノリスは十分僕に尽くしてくれている」
随分と上機嫌のようだ。
「もうこの部屋から出たくない、なんて言うんじゃないだろうな?」
スレインは今朝の宿屋での一幕を思い出しながら、険しい表情をルカへ向けた。
「はっはっはっ。まさか。僕だって自分の使命を忘れたわけじゃないさ。父上たちに認めてもらうため、ドラゴンを退治しないといけないことはわかっている。でも、ノリスは僕の顔を見て随分疲労が溜まってるようだから、一ヶ月でも二ヶ月でも好きなだけ滞在してほしいと申し出た。だから僕はその言葉に甘えようと思う」
スレインは唖然とした。「何のんびりしたこと言ってるんだ。こうしている間にもドラゴンは村々に被害を与えているんだろ。だったら急がないと」
「そう言われてもな」ルカは空になったグラスを持ち上げると、アルフレッドが素早くワインを注いだ。「僕は疲れたんだ。とてもドラゴンに挑める調子じゃない」
「はーっ」スレインはこれみよがしにため息をついてみせた。どうせこうなると思ったから、豪華な宿屋や有力者の屋敷には立ち寄りたくなかったのだ。
「そんなため息が出るほど、君だって疲れているんだろ。だったら休め。慌てても良いことはないぞ」
驚愕すべきことにルカに体調を心配されてしまったが、スレインの真意はまったく伝わっていないようだ。疲れの原因の全てはルカにある。
気を取り直して、スレインは言った。「実は頼みたいことがある」
「王子に頼み事とは随分おこがましいな。でも今は気分が良いから、話くらいは特別に聞いてやる」
顔面パンチを喰らわせたくなるのをグッとこられて、スレインは言った。「この旅に関することだ。伯爵にドラゴン討伐の兵を出してもらえないか、と思って」
ノリス・バーガーはかなりの財力と権力を有しており、警備兵も充実しているように見える。彼の力を貸してもらうことができれば、ドラゴン討伐もぐっと近づく。
「なるほど、僕にノリスを説得して欲しい、というわけだな」
「ああ、今夜の晩餐会の時に彼に話してもらえないか? こういうのは俺よりも王子の方が適任だろ」
「確かに。良いだろう、伯爵と話してみよう」
「それは助かる」
意外にもルカが素直に引き受けてくれたことに、スレインは驚いた。これだけ丁重に扱われて、よほど気分が良いのだろう。
とはいえ、本当ならば当事者であるルカがもっと積極的に動くべきなのでは? と思わないでもなかったが。
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