第15話 晩餐会
夕刻になり晩餐会が始まった。領主邸の広いダンスホールに貴族や大商人、寺院の高僧など、五十人以上が集まり、あちこちで輪が作られ、グラス片手に談笑している姿が見えた。その中でも、紫色の礼装に身を包んだルカの周りは一際賑やかで、未来の国王に挨拶しようと人が次々に押し寄せていた。
そんな華やかな晩餐会の様子を、スレインはホールの隅で観察していた。
隣に立つハルトマンが声をかけた。「スレインさんは、彼らのところへ行かないのですか?」
「俺は、こういう喧しいのが苦手なんだ」
ワイングラスに口をつけつつ、スレインは答えた。一人で傭兵稼業をしている理由も、喧騒を逃れ人との関わり合いを減らすためという面が大きい。人が集まれば集まるほどその中で断絶が生まれ、やがて差別が広まり、互いを罵りあい始める……。ドロドロした世界には関わりたくない。
「実は、僕もなんですよ」ハルトマンは言った。「うるさいと、歌が聞こえませんからね」
「じゃあ、やっぱり歌うのは諦めたのか?」
「まさか。うるさいのは嫌ですが、でも、吟遊詩人の腕の見せ所でもあるんですよ。どうか見ていてください。全員を僕の歌で振り向かせてみせます」
いったいその自信はどこから来るのだろう? と、不思議に思いつつ、スレインはダンスホールの中央に向かうハルトマンの背中を見つめた。
小型のギターをポロンと一つ鳴らし、笑い声が飛び交う中でハルトマンは朗々と歌い出した。
冷たい夜空に瞬く星々、乙女は今夜も思い出す。戦争に行った恋人のことを~
吟遊詩人の一番近くで喋っていた男女が、振り返った。
帰ったら結婚しようと約束し、乙女のもとを去ったのが一年前、今日も便りは届かない~
人々は次々に会話を中断し、ハルトマンの方へ視線を向けていった。
手に握られた赤いリボンが、唯一残された彼との絆~
ハルトマンの歌に気づいたルカは、顔を真っ赤にして目尻を吊り上げた。
乙女の涙が風に揺れ、星々の中へと消えていく~
ハルトマンが歌い終えると、ダンスホールは盛大な拍手に包まれた。人々は口々に「素晴らしい」と彼の歌声を讃え、中には目に涙を浮かべているものもいた。ホールにいた全員が吟遊詩人の歌声に酔いしれていた。ただ一人を除いて。
額に青筋を浮き上がらせたルカが激しく足を踏み鳴らして、スレインのところに近づいてきた。相当なご立腹のようだ。
「おい、漆黒! どうしてあの吟遊詩人が歌っているんだ!」
「そんなこと、俺に言われても。これだけの名士が揃ってるんだから、彼にとってはチャンスだったんだろ」
「僕はあいつに二度と歌うなって、厳命したはずだぞ。なのに君はどうして止めなかったんだ」
「俺はハルトマンの子守じゃない。それに、別にそこまで目くじら立てることもないだろ。好評だったみたいだし」
未だ拍手を続ける出席者たちを一瞥して、ルカは苛立たしげに言った。
「あいつは僕の命令に背いた、それが問題なんだ。今すぐ吟遊詩人の息の根を止めてやる!」
「まっ、待てよ」
スレインはルカのあとを追った。
その時、鈴の音のように透き通った女性の声がした。
「大変素敵な歌声をありがとうございます。吟遊詩人さん。わたしとても感動いたしました」
突然、ルカが足を止めたものだから、彼の背中にスレインの鼻の先が当たってしまった。
「痛っ、どうしたんだ、急に止まって」
文句を言いつつ、ルカの顔を覗き込むと、その目は神聖なる存在を前にしたかのように、大きく開かれていた。彼の視線の先には、吟遊詩人に向かって声をかける象牙色のドレスを着た、二十歳前の少女が立っていた。先ほどの声の主だ。
「う、美しい……」と呟くルカの声が聞こえた。
一方、ハルトマンは少女の前で跪いた。
「あなたにそう言っていただいて光栄です、フロイライン」
そして、差し出された少女の手の甲に口づけしようとした時、いきなりルカが割って入った。
「お気に召していただき光栄です、お嬢さん。彼は僕が召抱えている吟遊詩人です」
「まあ、そうだったのですね」少女はうっとりとした表情を浮かべた。
「彼の歌声を聞いた瞬間、僕はこの男が将来大陸中でもっとも優れた歌い手になると思い、三顧の礼を尽くして、今度の旅に同行してもらいました。そして彼の歌があなたに気に入ってもらえたことで、僕の耳には狂いがなかったと改めて確信することができました。ありがとう。おっと、申し遅れました。僕の名前はルカ・サンサース。次期国王です」
そう言って、ルカはしゃがんで少女の甲に口づけした。
「まあ、あなたさまが。これは失礼いたしました。わたしはノリス・バーガーの娘で、オリビアと申します」
「オリビア! 何と美しい響きだ。そして名前以上にあなたはとても美しくて魅力的だ」
「王子様にそう言っていただけて、わたしを産んだ母もきっと喜んでくれますわ」
「あなたという奇跡を生んだご両親に、そして僕たちを巡り合わせてくれた神に感謝をしなければ。僕はもっとあなたのことが知りたい」
「わたしも、ルカ様のことが知りたいですわ」オリビアはわずかに俯いて、頬を赤くした。
ルカはオリビアの手を掴み、その手をオリビアは強く握り返し、二人並んでバルコニーの方へ歩いていってしまった。
スレインはしばらく開いた口が塞がらなかった。ルカは伯爵の娘に一目惚れし、オリビアも同様に王子に一目惚れしてしまったようだ。
ようやく本来の目的を思い出し、スレインはノリスの元へ向かった。ルカのあの様子では、伯爵に派兵を要請することなんてすっかり忘れてしまっているだろう。結局、スレイン自身が動かなければならないようだ。
ノリスが一人になった時を見計って声をかけた。
「伯爵、ルカ王子と共に旅をしているスレイン・ボルトと言います。ちょっとお話よろしいですか?」
顔がすっかり赤くなったノリスは蔑むような視線をスレインに向けてきた。
「ボルト……? どこかで聞いたことのある姓だが、まあいい。従者風情が私に直接話しかけるなど無礼であろう」
「今はこんな身なりですが、かつては貴族でした。私については、疾告の剣士と言えばもしかしてわかってもらえるかと」
ノリスのまぶたが僅かに上がった。「もしかして、お前が疾告の剣士なのか?」
「はい」
「一匹狼の優秀な傭兵がいると耳にしたことがある。なるほど、王子殿下のドラゴン退治の補佐というわけだな。で、その傭兵が私に何の用だ」
なんとか話は聞いてくれそうだ、まずは第一関門突破だ。
「実はドラゴン退治について、伯爵に兵を出してもらえないかと思いまして」
「何、兵を? これはまたどうして?」
「一人や二人でドラゴンに挑むなんて不可能です。確実に仕留めるには一個大隊に匹敵する兵が必要だからです」
「しかし、国王陛下からの手紙では、王子一人でドラゴンを退治するという話だったのではないか?」
その話が知れ渡っていたようだ。面倒くさいことになってきた。
「ですが、バーガー伯爵。実際問題、そんなことが可能だと思いますか? 相手はドラゴンです。王子殿下に到底実現不可能な無謀なことをさせて、万が一ということがあれば、この国はどうなってしまうでしょう?」
そっちの方が国は安泰では? という持論は決して表には出さず、スレインはノリスに語りかけた。
「ううむ」ノリスは額に幾重もの皺を作った。「そうは言ってもな、王子殿下自らが言い出したことだ。私が勝手に手を出すのはまずかろう」
「この派兵要請は、ルカ王子の意思でもあります」
「何だと!」ノリスの眉がピクリと動いたが、すぐにより多くの皺が額に現れた。「王子殿下の頼みとはいえ、そんなこと急に言われてもなあ。それなりの兵士の数が必要なのだろう。ちょっと考えさせてくれないか、と王子に伝えてもらえないか」
ノリスは頭を抱えて、スレインの前から去っていった。
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