第12話 襲撃
村を出発した後も、ルカは「ベッドの一つや二つ良いじゃないか」とか「どうして僕がこんな目に遭わなきゃならないんだ」とかぶつぶつと文句を言い続けていたが、スレインは構わず馬車を進めた。
こんな子守みたいな仕事、辞められるものならさっさと辞めたい。しかし、この仕事を完遂することが、借金を返済するための唯一の道で、どんなに腹わたが煮えくり返っても耐え忍ばなければならない。その代わり、残りの報酬を貰ったら、今後どれだけ莫大な報酬を提示されたとしても、わがまま王子とは金輪際縁を切ると決心していた。
空は厚い雲に覆われている。雨が降ったらまたルカが騒ぎ出して、更に予定が遅れかねない。スレインは馬の速度を上げて、山間の林道を進んでいった。
しばらくすると、前方から馬のいななきがした。続いて、物が倒れる音や、人々の叫び声が聞こえてきた。
「騒がしいな、もう次の街に着いたのか?」
呪詛のように文句を続けていたルカの顔がぱっと明るくなり、彼は荷台から身を乗り出してきた。
「こんな森の中に街なんてあるか。前方で何かあったな。行ってみよう」
スレインは周囲に警戒しつつ、馬車を進めたが、緩やかなカーブを曲がった先で目に入ってきた光景に、思わず叫んだ。
「大変だ、馬車が山賊連中に襲われている!」
前方で一台の馬車が横倒しになって、その周りで毛皮でできた鎧に身を包んだ男たちが、うつ伏せに倒れる馬車の持ち主らしき人たちに向けて剣先を向けていた。
「山賊? ああっ、山奥の洞穴で暮らす未開の連中か……。おい、漆黒、何をするつもりだ?」ルカが御者席から降りたスレインに向かって訊ねた。
「何をするって! 助けるに決まってるだろ」
「助ける? 誰を?」
「誰をって……、本気で言っているのか!」
目を丸くするスレインに対して、ルカはまったく意味がわからないと言いたげに首を傾げた。
「所詮は平民同士のいざこざ、王侯貴族が自ら手を下す問題じゃない。街の警備兵に任せておけば良いだろ」
スレインは木々に囲まれた道を見渡した。「街の警備兵なんて何処にいるんだ? 王の権威も警備兵も当てにできない旅の途中は、旅人同士で助け合うのがルールなんだ」
「なるほど一理ある。でも僕たちは今、ドラゴンを退治するという大義を果たす旅の途中、そんな些細なことにかまっている暇などないだろ。一刻も早く次の街に辿り着いてベッドで横になる必要がある」
「ベッドの方がよっぽど些細な問題だろ」
「いいや、僕にとっては死活問題だ。わかったらさっさと出発し給え」
ルカと話すだけ時間の無駄だと悟ったスレインは、「おい待て!」と叫ぶルカに背を向けて、前方の馬車に向かって走り出した。スレインの動きに気づいた山賊たちが一斉に振り返った時には、もう先祖伝来の黒剣を抜き、一人目の山賊に切りかかっていた。斧を取り落とし腕の傷口を抑えてうずくまるのを確認することなく、続いて二人目、三人目に襲いかかり、疾告の剣士の名にふさわしい速さで、山賊の半分を戦闘不能にした。山賊のリーダー格らしき男は悲鳴を上げると部下たちを置いて一人逃げていった。残りの山賊も蜘蛛の子を散らすように消えてしまった。
剣をしまい、スレインは地面に倒れていた馬車の持ち主たちの肩を抱いて、体を起こしてあげた。
「大丈夫か?」
「危ないところを助けていただき、本当にありがとうございます」
茶色い帽子をかぶった背の低い男が頭を下げた。
「この辺りは昼でも山賊が出るんだ。護衛はつけていなかったのか?」
「もちろんいました。でも山賊どもが現れるや否や、そいつらは一目散に逃げ出してしまったのです」
「それは災難だったな。どっちに向かう予定だったんだ?」
帽子の男はスレインたちが来た道を指差した。「王都へ向かう予定です。旅の方、相当腕のある剣士とお見受けしました。どうか我々の護衛をしていただけませんか。金ならいくらでも払いますから」
この申し出にスレインの心は一瞬揺れた。彼らの馬車は山賊が狙いたくなるのもわかるほど大きく、たくさんの高価な積み荷を運んでいるようだ。今なら彼らの弱みにつけ込んで法外な価格を払わせることもできそうだ。そうなれば、これ以上ルカの面倒を見る必要もなく借金が返せる……。
いやいや、スレインは邪念を必死に追い払った。どんなに腹立たしくなるような仕事でも、途中で仕事を投げ出したら傭兵としての信用に関わるし、一度決めたことは最後までやり遂げなければならない、というボルト家の家訓にも反する。それに今の仕事は、ドラゴンによって生活を奪われた大勢の人たちを助けられる有意義なものだ。
スレインは帽子の男に答えた。「申し訳ありません。今は別の仕事であなたたちとは反対の方向へ行かなければならないのです」
「そうですか」帽子の男は肩を落とした。
「次の村まではそれほど遠くありません。急いで行くことをお勧めします。本当に申し訳ありません」
「いえ、いいんです。助けていただいただけでも感謝しています」
帽子の男は立ち上がり、他の男たちと共に転倒した馬車へ向かって歩き出した。
その時、スレインの背後からルカの声がした。
「おい、君たち。ちょっと待て」
「ルカ……。どうしたんだ突然?」
訝しげな視線を向けるスレインを無視して、ルカは威圧声で続けた。
「まさかこのまま、立ち去ろうと考えているんじゃないだろうな」
「な、何か問題でしょうか?」
突然の介入者に帽子の男は唖然とした表情を浮かべた。
「問題は大有りだ。僕はこの国の第一王子、ルカ・サンサースだぞ。君たち、頭が高いぞ」
「えっ、ええ?」
どうしてこんなところに王子がいるんだ? と困惑しつつも、男たちはルカの前で渋々膝をついた。
「何をする気だ、ルカ?」
「君はここで黙って見ていろ」ルカは帽子の男たちに視線を戻して言った。「わかっているのか、この男は今は僕の従者だ」
「いや、だから、俺は従者になったつもりは……」
ルカは無視して続けた。「つまりお前たちは、畏れ多くも王子自ら救い出されたことになる。それが何を意味しているのかわかっているのか?」
「そ、それは……」
膝をついた男たちは互いを見合わせた。
ルカは更に言った。「ふむ、見たところお前たちはよその国の者だな。本来であれば、この国の庇護を受ける資格はない。でも寛大なるこの僕はお前たちを救ってやったのだ」
「寛大って……」
最初、無視しろ言ったのはルカだ。なんて自分勝手な!
黙っている男たちに業を煮やしたのか、ルカは苛立たしげに言った。「では、単刀直入に言おう。お前たちの馬車の積荷半分、それを僕に差し出せ」
「そ、それは!」帽子の男の顔が青ざめた。「たとえ王子殿下の頼みでも承知致しかねます。数多の国と街を巡って集めたこの積荷に、我々の生活の全てがかかっているのです。どうかご容赦を」
「勘違いするな。僕は頼んでいるんじゃない。サンサース王子の名において君たちに命令をしているのだ。もし聞けないと言うのであれば、それ相応の処罰を覚悟してもらおうか」
「おいルカ、無茶を言うのはやめろ……」
とスレインが口にしている途中で、突然、帽子の男が言った。
「お願いです、荷物だけは勘弁してください。代わりと言っては何ですか、この男を差し上げます。おいっ」
帽子の男が周りの男に命じると、彼らによって一人の細身で色白の男が起立させられた。
「なんだ、この男は?」
「隣の国で見つけて、金に困っていると言ったので、我々のもとで働かせてやっていたのです」
つまり、積荷の代わりに奴隷を差し出すということらしい。王子も王子なら相手も相手だ。スレインの中で商人たちによる同情はすっかり消え去り、もうお互い勝手にやってくれ、と投げやりな気分になった。
「どう見ても役に立つとは思えないが」ルカは蔑むような目でもやし風の男を見た。
帽子の男が答えた。「ち、力仕事は期待できませんが……。こ、こいつは歌が歌えます。吟遊詩人なんです」
「ほう。それは面白い。ちょうど今の旅に退屈していたところなんだ。わかった、これで手を打とう」
「ご寛大な処置、ありがとうございます」
帽子の男は深々と頭を下げると、吟遊詩人と紹介された男を残して、大慌てで去っていった。
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